ブンゴウサーチ
児童書版
TOP 堀辰雄 短編(30分以内)

30分以内で読める堀辰雄の短編作品

青空文庫で公開されている堀辰雄の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編38作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(4,001〜12,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
1〜38件 / 全38件
Tweet
作品名
著者
読了時間
人気
私は十七になった。
「更級日記」は私の少年の日からの愛讀書であつた。
僕は、ベツドのかたはらの天使に向つて云つた。
これはレイモン・ラジィゲの小説だ。
七月二十三日夕方だのに汽車は大へん混んでゐた。
源氏物語の「總角」の卷で、長患ひのために「かひななどもいとほそうなりて影のやうによわげに」、衾(ふすま)のなかに雛(ひいな)かなんぞの伏せられたやうになつたきり、「御髮はいとこちたうもあらぬほどにうちやられたる、枕よりおちたるきはの、つやつやと」した宇治の姫君が愛人の薫の君たちにみとられながら、遂に息を引きとつてしまふ。
「文藝林泉」は室生さんの最近の隨筆集である。
一九〇六年一月二十五日、ライネル・マリア・リルケはロダン夫妻と同行して、シャアトルの本寺を見物に行つた。
「何よりもまづ獨創的であれ。
あなたの、お父さんの雜誌に書けといはれた隨筆でも書けたら書かうと思つて、かうやつてけふも森の中へ、例の大きな drawing-book をかかへて、來てゐるのです。
十月六日、鎌倉にてお手紙うれしく拝読いたしました。
私はいま自分の前に「窓」といふ、插繪入りの、薄い、クワルト判の佛蘭西語の詩集をひろげてゐる。
Maurice de Gu※rin はラングドックのシャトオ・ド・ケエラに一八一〇年八月五日に生れた。
御高著「室生犀星詩集」(第一書房版)をお送り下さつて有難うございました。
散文の本質といふものは、自分の考へをどんな風にでも構はずに表現してしまふところにある、と言つてもいいやうであります。
四月十七日追分にてホフマンスタアルの「文集」を讀み續ける。
七月二十五日、信濃追分にてこの前の土曜日にこちらに來るかと思つてゐたが、とうとう來られなかつたね。
主やあ、どこへ行ったかと思ったら、雪だらけになって帰って来たね。
「吾人の賞美する建築は、その建築家が目的によく副ふやうな手段を用ひて、その柱が、エレクションの麗はしき人像柱の如く、上にかかる重みを苦もなく輕々と支へてゐるやうな建築である。
丸岡明に一九三三年六月二十日、K村にてこつちへ來てから、もう二十日になる。
「こちらで冬を過すのは、この土地のものではない私共には、なかなか難儀ですが、この御堂が本当に好きですので、こうして雪の深いなかに一人でそのお守りをしているのもなかなか愉しい気もちがいたします。
夏に先立つて、村の會堂の廣場には辛夷の木に眞白い花が咲く。
一八七五年十二月四日、ボヘミヤの首都プラアグに生る。
この頃私は逢ふ人ごとにモオリアックの小説論の話をしてゐる位だ。
前口上昔タルテイーニと云ふ作曲家がTrillo del Diavolo と云ふソナータを夢の中で作曲したといふ話は大層有名な話である故、讀者諸君も大方御存知だらうが一寸私の手許にある音樂辭典から引用して見ると、何でもタルテイーニは或晩の事、自分の靈魂を惡魔に賣つた夢を見たさうな。
アトリエとその中庭は、節子の死後、全く手入れもせずに放つておかれたので、彼女が繪に描くために丹精して育てられてゐた、さまざまな珍らしい植木は、丁度それらの多くがいま花をさかせる季節なのでごちやごちやにそれぞれの花を簇がらせながら、一層そこいらの荒れ果てた感じを目立たせてゐた。
前口上昔タルティーニと云う作曲家がTrillo del Diavolo[#「Trillo del Diavolo」は斜体]と云うソナータを夢の中で作曲したと云う話は大層有名な話である故、読者諸君も大方御存知だろうが、一寸私の手許にある音楽辞典から引用してみると、何でもタルティーニは或(ある)晩の事、自分の霊魂を悪魔に売った夢を見たそうな。
雉子日記去年の暮にすこし本なんぞを買込みに二三日上京したが、すぐ元日にこちらに引っ返して来た。
その女が僕を見てあんまり親しげに微笑したので、僕はその女について行かずにゐられなかつた。
※丘の上のU塔には、千羽の鳩が棲んでゐた。
「やあ綺麗だなあ……」埃りまみれの靴の紐をほどきながら、ひよいと顏を上げた私は、さう思はずひとりごとを言つた。
秋になりました……秋になりました。
彼女は窓をあけた、さうすると、まるでさういふ彼女を待つてゐたかのやうに、小屋のすぐ傍らの大きな樅(もみ)の木から、アカハラが一羽、うれしさうに啼きながら飛び下りてきて、その窓の下で餌をあさり出した。
プルウストに關する三つの手紙を神西清に宛てて書いてから數ヶ月が過ぎた。
わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山にてる月をみてよみ人しらず上総の守だった父に伴なわれて、姉や継母などと一しょに東に下っていた少女が、京に帰って来たのは、まだ十三の秋だった。
忘れぬる君はなかなかつらからでいままで生ける身をぞ恨むる拾遺集そのころ西の京の六条のほとりに中務大輔なにがしという人が住まっていた。
一九三七年九月十一日、追分にてお手紙を難有う。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。