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5分以内で読める坂口安吾の短編作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている坂口安吾の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編103作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(〜2,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
51〜100件 / 全103件
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私の書斎が二ヶ年ほったらかしてあるのは、別にとりたてゝ理由あることではないのである。
御手紙ありがたく存じました。
日本に戦争があってくれれば――私は二十年前から、そう考えていた。
過去の文士の論争がどんな風に行われたかということについて私は不案内であるが、佐藤春夫、河盛好蔵両先生の大論争には新時代風があると思った。
私は社会人としての自我というものを考えるから、政治についても考えるけれども、政治家にはなる筈のない生れつきである。
塩入三段と岩谷社長とフラリときて挑戦するのを迎えうって、僕が塩入三段に勝った。
夏場所が近づいた。
「南紀風物誌」といふ本がある。
輓近日本帝国に於きましては実子殺しとか若妻殺しとかその他色々賑やかな文化的事件があります。
如何に生くべきか、ということは文学者の問題じゃなくて、人間全体の問題なのである。
十何年前のことだが本因坊秀哉名人と呉清源(当時五段ぐらいだったと思う)が争碁を打ったころは碁の人気は頂点だった。
岡本綺堂「相馬の金さん」僕はこの有名な舞台を見たことがなく、読んだのだけれども、一場面が記憶に残つてゐる。
人間通の文学というものがある。
ヨーロッパ精神は実在するか、また実在するとせば如何なるものがそれであるか、といふことが西洋の思想界でもだいぶ問題になつてゐるといふことで、私もヌーヴェル・リテレールのアンケートで同じ質問の解答を読んだ記憶がある。
私の小説が観念的だといふのは批評家の極り文句だけれども、私の方から言ふと、日本の小説が観念的でなさすぎる。
新潟へ帰ることはめつたにないが、先年村山政司氏等の個人展を新潟新聞楼上にひらいたとき、私も三週間ほど新潟に泊つた。
私の終戦後の作品のうち「外套と青空」「白痴」以後の今日までの短篇の大部分をまとめたものです。
いろは加留多には「ン」がない。
幽霊の凄味の点では日本は他国にひけをとらない。
私は一家言といふものを好まない。
私はスタンダアルが好きであるが、特に私に興味のあるのは、彼の文体の方である。
敵は中小都市の予告爆撃というものをやりだしたが、これはつまり予告殺人事件と同じ性質のものだと思われる。
朝日新聞の八段位獲得戦木谷七段対久保松六段の対局で呉七段の解説。
私はサルトルについてはよく知らない。
最近私は、N・R・Fの新年号に於て、イリヤ・エレンブルグが「青年期ロシヤ」という一種の報告書を寄せているのを読んだ。
「海の霧」は私が始めて職業雑誌といふものへ書いた、つまり原稿料といふものを貰つた最初の作品で、昭和六年夏、私は二十六であつた。
織田作之助が死んだ。
璽光様の話がでるとみんなが笑う。
花田清輝の名は読者は知らないに相違ない。
私は戦争中、日本映画社の嘱託をしていた。
道鏡といふ題名はよくなかつた。
二十年ほど昔「アドルフ」を買ったら百六十何版とあったのを記憶する。
競輪というと八百長騒ぎが景物のようだが、終戦後急速に流行して、組織が完備していないからいろいろのトラブルが起るのは仕方のないことで現にそうだからといって、競輪の性格がそういうものだときまってるワケでもなかろう。
一年半京都に住んで、本郷へ戻つてみると、街路樹の美しさが、まつさきに分つた。
パヂェスの「日本切支丹宗門史」だとか「鮮血遺書」のやうなものを読んでゐると、切支丹の夥しい殉教に感動せざるを得ないけれども、又、他面に、何か濁つたものを感じ、反撥を覚えずにゐられなくなるのである。
今日(四月七日)どこかの新聞にボクが東大神経科の三階から飛降り自殺をしたという記事が出た由、朝来各社の記者と写真班がつめかけて、撃退に往生したという千谷先生(ボクの主治医)の話であった。
拙作「逃げたい心」で長野市桜枝町の位置が間違つてゐることを、本誌前号に長野の人が指摘してゐるのを読んだ。
僕の小説によらず、感想によらず、自分を表現する以外に、又、自分の思ふことを人に通じようとする以外に、余念はない。
私にとつての文学は、いはゞ私個人だけの宗教であるかも知れない。
私の考へ方が間違つてゐるのかも知れないが、私には牧野さんの死がちつとも暗く見えないし、まして悲痛にも見えない。
こゝに、歴史的事実といふものがあつて、作家が、製作欲をそゝられる場合、然しながら、如何に書くべきか、といふことは、かやうな意欲と同時に忽ち構想されるほど容易なものでは決してない。
若園君往昔とつくにの曠野に一匹の魔物が棲んでおりました。
私は葬式というものがキライで、出席しないことにしている。
あの頃私は疲れてゐた。
誰かの批評に、女房として不適格、とあったが、これはアベコベだ。
僕は天性模倣癖旺盛で、忽ち人の感化を受けてしまう。
三年ほど前の早春、自分が京都に住むことになつてものの二週間とたたないうちに、突然小田嶽夫君が訪ねてくれた。
歴史文学とはどういふものだか、さて、改めて考へてみたら、僕は今まで、さういふことに就て一向に考へてみたことがなかつたことに気がついた。
私は少年時代から探偵小説の愛好者であったが、日本で発行されたほぼ全部の探偵小説を読むに至ったのは戦争のおかげであった。
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