水野仙子の全作品

日は照れど、日は照れど君を見る日の來（こ）なければわたしの心はいつも夜日は照れど、日は照れどわたしは目盲ひ、耳聾ひ、唖者君を見もせず、聞きも得ず「日が照つてゐる……。

『あなたは、あなたの旦那樣の御容子をすつかりお氣に召してゐらつしやる？』と、いきなりよしのさんの言葉が私に向いて來た。

どちらから誘ひ合ふともなく、二人は夕方の散歩にと二階を下りた。

――（櫻田本郷町のＨさんへ）――今日はほんとうにお珍しいおいでゝ、お歸（かへ）りになつてから「お前は今日よつぽどどうかしてゐたね。

ある地方の郡立病院に、長年看護婦長をつとめて居るもとめは、今日一日の時間からはなたれると、急に心も體（からだ）も弛（たる）んでしまつたやうな氣持ちで、暮れて行く廊下を靜（しづ）かに歩いてゐた。

貧といふものほど二人の心を荒くするものはなかつた。

『女つてもの位、なんだね、僕等に取つて依體の［＃「依體の」はママ］知れないものはないね、利口なんだか馬鹿なんだか、時々正體をつかむに苦しむことがあるよ。

「おい、散歩に行かないか。

患者としてはこの病院内で一番の古顏となつたかはりに、私は思の外だんだん快くなつて行つた。

年老いた父と母と小娘二人との寂しいくらし――それは私が十二の頃の思出に先づ浮んで來る家庭の姿であつた。

時は移つて行く。

さうだ、私はそれを忘れないうちに書きとめて置かう。

藤村の羊羹、岡野の粟饅頭、それから臺灣喫茶店の落花生など、あの人の心づくしの数々が、一つ一つ包の中から取り出されつゝあつた。

東北のある小さな一町民なる綿屋幸吉は、今朝起きぬけに例の郡男爵から迎への手紙を受け取つたのであつた。

炬燵にうつ伏したまゝになつてゐて、ふと氣がついてみると、高窓が青白いほど日がのぼつてゐた。

まだ九月の聲はかゝらぬのに、朝夕のしんめりとした凉しさは、ちようど打水のやうにこの温泉場の俗塵をしづめました。