書き出し
私が或る特殊な縁故を辿(たど)りつつ、雑司ヶ谷鬼子母神裏陋屋の放浪詩人樹庵次郎蔵の間借部屋を訪れたのは、恰(あたか)も秋は酣(たけなわ)、鬼子母神の祭礼で、平常は真暗な境内にさまざまの見世物小屋が立ち並び、嵐のような参詣者や信者の群の跫音話声と共に耳を聾(ろう)するばかりの、どんつくどんどんつくつくと鳴る太鼓の音が空低しとばかりに響き渡る、殷賑(いんしん)を極めた夜であった。
初出
1936年
(「探偵春秋 第一巻第三号」春秋社、1936(昭和11)年12月号)
底本
「幻の探偵雑誌4 「探偵春秋」傑作選」光文社文庫、光文社, 2001(平成13)年1月20日