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5分以内で読める岸田国士の短編作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている岸田国士の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編312作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(〜2,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
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ドストイエフスキイの小説は、人類の残した業績の最も偉大なものの一つであることは云ふまでもないが、この天才が露西亜に生れたといふことを、われわれは特に注意すべきであると思ふ。
阿部正雄君の戯曲『骨牌遊びドミノ』を紹介します。
芸能祭の為の臨時公演として、特に内村直也君の書卸ろした戯曲「歯車」を幹事会の指名によつて私が演出することになつたのだが、私は先づ、この戯曲の主題と形式について研究した。
日清日露両戦役をはさんで、軍人の家に生れ育つた私は、「大きくなつたら何になる」といふ問題を、至極簡単に考へてゐた。
月々僕のところへ来る演劇雑誌が十種あまりある。
私は不勉強で行動主義の何であるかといふことを今日まで余り注意しないでボンヤリしてゐた。
「我家の平和」は、フランスでも一度見たことがありますが、その印象は頗る薄いものでした。
今度「劇作」といふ雑誌が創刊されるさうである。
築地小劇場の「夜の宿」を観て「これは佳い」と思つた、「本もの」だと思つた。
ジロオドウウの戯曲は、その取材と云ひ、構想と云ひ、殊にその文体の一種独特な調子と云ひ、まさに現代フランス劇壇に齎らされた文字通りの新風である。
真船豊氏のラヂオ・ドラマ集を一読して感じたことは、いはゆる「ラヂオ・ドラマ」の形式としての目立つた新工夫がない代り、飽くまでも戯曲の定石を踏んで、しかもラヂオ的な効果をねらつた独得の計算が行はれてゐるといふことである。
ベルサイユの講和条約に、国境劃定委員会が出来て、その一分科である墺伊両国間の国境劃定に日本からも委員を出すことゝなつて服部兵次郎少将(当時中佐)が任命され、私は通訳として随行した。
劇壇をざつと見渡してみて、そこに若い時代の溌剌たる動きがちつとも見えないのは特に演劇といふものゝ性格によるのであらうか?さういふこともたしかにあると思ふが、しかし、それよりもなによりも、私は、最近の新劇がやゝ老成の態を擬して新風を阻む傾向が著るしいからだと思ふ。
十一月三十日の壁評論「新劇さびれ戯曲栄ゆ」を読んで、小生が徒らに空言を弄するやうに思はれては困るから、「世界的水準に迫るのも遠からぬ各戯曲が何故新劇を興隆させることができぬかその謎をハツキリ解け」といふ車引氏の注文にちよつと挨拶をしておく。
明石哲三君は鋭い感覚の画家であり、「生きもの」に興味をもつ自然科学者であり、しかも、最も人間の原始的なすがたを愛する詩人である。
私の手許に送られて来た作品は、いづれもなかなか佳いものであつた。
私たちが文学座をはじめてから、なるほどもう十五年たつわけであるが、それだけの成長をしたかどうか、このへんで厳しい自己批判を加えてもよさそうである。
わたくしが子供の頃から身につけた習慣といえば、一般日本人なみの習慣以外になにもこれといつて取り立てて言うほどのことはない。
素人演劇には良いものと悪いものとがある。
芝居のことについて、今、何も云ふ気にならぬ。
四月号の諸雑誌の戯曲を二十五篇読んでその印象を朝日に書いたが、その後寄贈された雑誌の中にも戯曲が一二篇づゝ載つてゐるので、これも読まなければわるいやうな気がする。
近頃一部の演劇評論家の間に、「進歩的演劇」といふ言葉が使はれてゐる。
エドモン・セエの「旧友」は、辰野隆氏によつて巧みな翻案が企てられ、私が予て主張する「西洋劇の消化」が、ここに、一個の前例なき舞台的見本を提供したことは、ひそかに快とするところだ。
舟橋聖一氏長篇小説「白い蛇、赤い蛇」は新聞の連載小説として書かれたものだが、なるほどこれなら、大概の読者を満足させることに成功したであらう。
野上彰君の「夢を喰ふ女」の戯曲としての新しさは、現代の生活風景の中から、家族としてもつとも崩壊しやすい条件を持つている人間群をとらえて、それを心理的、もしくは思想的角度からではなく、一種の感覚的角度で、それらの人物個々の生態を描いていることと、戯曲の定石としての構成を無視して、人物の絵模様のリズミカルな動きを、そのまま投げ出していることとの二つにあると思う。
僕のところの子供は、父親たる僕に話しかける時は、はじめから癇癪を起してゐる。
候補作品として私の手許に送り届けられた十篇のうち、特に一篇だけ傑出したといふものはなかつた。
商業劇場の口吻を真似て、所謂新劇団体が、なにかと云ふと脚本難を訴へてゐる。
幹事の一人として一言します。
仮面座創設について、同座創立同人諸君がわれわれに提示された宣言の内容は、可なり注目に値すべきものである。
小山君の戯曲家としての成長は、その階梯が極めて劃然とし、『翻るリボン』から、『十二月』、それからこの『瀬戸内海の子供ら』に至る最近の三作を通じて、見事な飛躍をなし、遂に、同君の今日の境地に於て、恐らく完璧ともいふべき表現に到達し得たといふことは、芸術修業の道にあるものが、等しく羨望に堪へぬところである。
事変は遂にまる二年続いた。
矢代静一君の城館をみて、私は非常に新鮮なものと、極めてゆたかな才能の開花のようなものを認めた。
この作は、順序としては私の第四作である。
巴里で岡田君と別れてから、もう十二三年になる。
素人演劇が特に近頃盛んになりつゝある理由は、いろいろ考へられるけれども、私は、この傾向の一面として、勤労と娯楽との問題が生産部門に於て真剣に取りあげられつゝあることを見逃し得ないと思ふ。
伊賀山君の『騒音』を、最初読んで聞かされた時、僕は、いきなり、たうとう伊賀山君も、作家らしい作家になつたといふ気がし、この戯曲のもつ「真実性」が、単なる見せかけのものでないことを信じたのである。
ある知人の小児科医がかつて私に云つた。
元来、戯曲は舞台で演ぜられるために書かれたものであるが、活字として読まれることも今日では考へなくてはならない。
○文学界の精神といふやうなものがだん/\はつきりして来たことはうれしい。
文学座三月公演のゴーリキーの「どん底」を演出することになり、信濃町のアトリエ近くに宿をとって、みっちりけいこをするつもりである。
私は最近、ある本を読んで非常に感動をうけた。
中元歳暮の贈答を廃止するとかしないとかいふことが問題になつてゐる。
新劇協会が、今後経済的支持者を得て、更生の第一歩を踏み出さうとする機会に、その新しい関係者の一人として、私は、世の新劇研究家並に愛好者に訴へる――われわれの仕事を理解し、援助して頂きたい。
こゝに集めたいくつかの文章は、最近の諸雑誌を通じて私の眼にふれたもののなかから、これは是非青年諸君に熟読してもらひたいと思つた評論感想の類を選んで再録したものである。
十二月号の本誌(「劇作」)に掲載された君の力作『唯ひとりの人』を、たつた今読み了りました。
候補作品九篇のうち、私が最も推賞に値すると思つたのは、庄野潤三の「流木」と小島信夫の「吃音学院」であつた。
岡田禎子さんの「クラス会」は、一読してこれはなかなか面白いものだと思つた。
私がフランスの現代戯曲にはじめて接したのは、この「炬火おくり」である。
私はこの事変以来、全日本の女性の祈願を日夜、胸の底に聴き、彼女たちが、歴史上いまだかつて見ないこの民族の大試煉に堪へる力のみが、やがて祖国日本を救ふであらうと固く信じてゐるのである。
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