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中井正一の全作品

青空文庫で公開されている中井正一の全作品61篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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第1部――美学とは――美とは何であるか自然の中に美学とは何を学ぶ学問であろうか。
すべての民族の言語が、文法をそれぞれもっているのをみて、私はいつも考えさせられるのである。
二つの足で立つようになるために、人間は二十万年もころんでは立ち、ころんでは立ちしたんだろう。
やや重い感じのする回転音、……フィルムは三フィート、五フィートと記録していく。
真に在るものは不安の上にある、というハイデッガーの考えかたには何ものか深いものがある。
大塚金之助博士に或雜誌記者が、博士の一生に最も感銘深かった記憶は何でございますかとたずねた。
夜の家庭の雑談の中で、十歳の女の子が、「神様はほんとにあるの、地球の外は宇宙でしょう。
ロマン・ロランは第一次大戦にあたって彼の「戦いを超えて」の中で次のようにいっている。
これまで書店と図書館は、あたかも商売仇のような感じをお互いにもっていたときもあった。
一九二二年頃の事である。
三年前、第一回の支部図書館準備会の会合に出席した人々の何人が、この三年目の今日、かかるかたちで三周年を迎えることができると想像しえたであろう。
何の針をとって見てもヴィクターのソフトはヴィクターのソフトだ。
概念は常に、技術の進展とともに変化してきた。
今度の大会を顧みて、私たちは図書館なるものの概念が、一九五〇年にふさわしく、新たなる意味を、日本においてもおのずから新たにつくられつつあることを、確然と見ずにいられない。
一九五〇年の新しい年があけるにあたって、日本の図書館は何を自らに省みるべきであろうか。
この数年間、わが図書館界は、この法のために、実に多くの討論をし、実に多くの交渉をし、海を越え山を越えて、ここに辿り来ったのである。
アメリカのテネシー谿谷の水を合理的処理をすることで、かつて、洪水で人々の苦労の種であった落差が、今や、電力となり、木材の運搬の水路となり、光と、動力の根源とさえなったことは有名な事件である。
立法部門が自分で立法機関をもつということ、この当り前のことが、今までなかったということが、実は不思議だといえば不思議だったわけである。
本年はちょうど二十世紀半ばの、世界歴史にとって深い意味をもつ年である。
生物が生きているというしるしは、それが自分の中の古いもの、疲れたものを間断なく棄てて、日に新たに日に日に新たに、その生きている汁液をめぐらしているというところにある。
人々が自然の美しさの中に見とれるということは、その中に定かではないが、漲っている深い秩序にあっと驚き、その中に、溶け入り、ともに秩序に諧和し、それと一つになり、力がぬけ、それに打ち委す心持ちのことである。
朝から、空は暗く、チラチラ窓のふちから、雪が散りこぼれて來た。
「金沢文庫」「足利文庫」などといっていたものが、「図書館」となるには、なんといっても、時代の流れを感ぜずにいられない。
日射しの暖かい南向きの窓に、開くともなしに、美しい装釘の本をひもどく、といった、読書のよろこび、「閑」というこころもちの深い厳しさ、こんな世界から、だんだん遠ざかりつつある。
終戦後、アメリカが図書館界に示した関心はまことに深いものがあった。
これまで、誰でも図書館とは、寂かな、がらんとした庫のようなシーンとした、け押されるような感じのところとなっていたのである。
立ちあがりのときは、どうなることかと思っていたが、二年半もたってみれば、どうやら一つのコースに乗ってきたようである。
バンジャマン・クレミュウは『不安と再建』の中で、一九三〇年は、すべての領域で決定的な年であったといっている。
十万の労働者が月十銭の会費で、労働文化協会を組織しているんだというと、誰でもほんとか、といって驚く。
あの戦争のさ中、或る兵器を造っている人が次のような面白いことをいった。
『詩経』は中国での万葉集ともいうべき、まことに可憐な詩句と自由な愛がうたわれている。
何年前であったか、親不知子不知のトンネルをでたころであった。
私はフィルムが色彩を駆使するにあたって、それを「天然色映画」と名づけているのに、反対である。
ユネスコの国際的報告書を読むと、日本はイスラエルとパキスタンにはさまれて、日本は図書館に関して処女地 Virgin Soil であると書いてあるにすぎぬのである。
歴史変革の任務今年の冬の夜のことであった。
私はこの雑誌の五号で「カットの文法」という文章を書いたが、あの中で私は次のように書いた。
戦後の春、こんなところにと思われる爆撃の跡に、一杯に青草が生えて来た。
群青のところどころ剥げて、木目の寂びてあらわなる上に、僅かに仏像が残っている。
これまで映画は、夏興行のものを、冬撮ることになり、ブルブル慄えながら裸かものを撮り、夏の真中に着物をいっぱい着込んで、塩をいっぱいまいて雪のつもりにしたものであった。
インドの王様が――たいていの物語はこれで始まる――二人の画家に壁画を描かしめた。
一九三九年、アーチボルド・マックリーシュ氏がアメリカ国会図書館長に任命されたときは、全米図書館人は、彼がこの道のズブの素人であるという理由をもって反対したものであった。
山口県の「光」に鉄道の講演会に行った帰途であった。
見るということは、光の物理作用と、眼の知覚作用の総合作用だと誰でも考えているし、またそれにちがいはない。
ヘーゲルの弁証法が生れる周囲には、その頃の青年ドイツ派ロマン的皮肉があると考える人々がある。
この議会で図書館法が通過したことは、全図書館人にとって、まことに感慨深いものがあるのである。
ラテン語で書かれたすべての哲学書がいつでもイヴの犯した罪なしには書きはじめられなかったように、ドイツ語のあらゆる哲学書も歴史の末にあるという最後の審判なしにはその本を書き終ることができない。
夢のような終戦、疎開先から帰る荷馬車のほこりっぽい街、内海の潮の香のただよう尾道市の図書館の暗い部屋で、私は、何となく「暗澹」という文字を胸に書いてみた。
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