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佐藤垢石の全作品

青空文庫で公開されている佐藤垢石の全作品95篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全95件
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職業漁師でも遊釣人でも、鯛といえば、真鯛を指すのが常識である。
数日前ちょっと閑があったから、水戸の常盤公園へ観梅に出かけて行った。
観音崎と富津岬とが相抱いた東京湾口は、魚の楽園らしい。
山の緑は次第に濃くなる。
今年は、五十年来の不作で、我々善良なる国民は来年の三月頃から七月頃にかけ、餓死するであろうという政府の役人の仰せである。
私は、ふた昔それ以上も久しい前、水戸に浪人していたことがあった。
榛名湖の公魚釣りは非常に繁盛である。
母はいつも、釣りから戻ってきた父をやさしくいたわった。
小アジ釣は誰にでもやれるのでファンが大分多い。
鮒釣りには季節によりいろいろの釣り方があるが、乗っ込み鮒ほど興趣が深いものはないのである。
謹啓、余寒きびしくと申し上げ度く存じ候へ共、今年程暖かき例無之、お互に凌ぎよき春日に候。
岩魚は、石を食う。
釣り人が、獲物を家庭へ持ち帰って賑やかな団欒に接した時くらいうれしいことはないであろう。
鮎は、毛鈎や友鈎で掛けるばかりでなく、餌に食いつくのは、誰も知っている。
寒い冷たいとはいうが、もう春だ。
釣りは、主人が釣りそのものを楽しむということと共に、獲物の味を家族に満喫させるところに一層の興味がある。
人間は、だれしもおいしい物を食べているときが一番楽しいのではないかと思う。
品川沖道了杭夜の黒鯛釣は、夏の暑熱を凌ぐにこれほど興味豊かな遊びはない。
青鱚釣は例年八十八夜即ち五月上旬には釣れはじまる。
奥山へは、秋の訪れが早い。
小田原の筑紫誠一氏から、海岸でガラガラの投げ込み釣が大そう面白いからやって来ないか、という手紙が来たので、十六日午後から行って見た。
幸田露伴博士は凝り屋で有名である。
瀬戸内海の鯛釣り漁師は、蛸の足を餌に使っている。
梅雨の、わが庭に蚯蚓(みみず)が這いだしてきた。
静寂といおうか、閑雅といおうか、釣りの醍醐味をしみじみと堪能するには、寒鮒釣りを措いて他に釣趣を求め得られないであろう。
私の、山女魚釣りを習った場所は奥利根であった。
釣道具の呼称については解釈のつかぬものが多い。
トルコ人ほど水をよく飲む国民はない。
冬の美味といわれるもののうち鰍(かじか)の右に出るものはなかろう。
大きな山蜘蛛が、激しい溪流を、斜めに渡る姿を見た瞬間、水面にガバと音を立てて白泡の渦巻を残し、忽として蜘蛛が消え去る事がある。
山女魚は貪食の魚で、昆虫とかその幼虫とか、魚類の卵、みみずなど、この魚の好んで食う餌は、殆ど数えることができないほど多い。
秋がくると、山女魚は鱒(ます)の卵を争って食うのである。
こうして私は、長い年月東西の国々を釣り歩いた。
私の故郷の家の、うしろの方に森に囲まれた古沼がある。
この頃は、一盃のむと途方もなく高値な代金を請求されるので、私ら呑ん平にはまことに受難時代である。
物が高くなって、くらしに骨が折れてきたのは私の家ばかりではあるまい。
手もとは、まだ暗い。
いま、想いだしても、その時のことがはっきりと頭に浮かび、眼にも描かれる。
もうそろそろ、もずが巣を営む季節が近づいてきた。
秋の蠅(はえ)も、私には想い出の深い餌である。
私は、明治四十三年四月二十三日の午前十時ごろ、新聞記者を志望して、麹町区有樂町にある報知新聞社の応接間に、私の人物試験をやりにくる人を待っていた。
二、三日前、隣村の老友が私の病床を訪れて、例の「しゃもじ」がまた出たという。
上私は、鯰の屈託のない顔を見ると、まことに心がのんびりとするのである。
釣人の気質にはいろいろある。
秋がくると食べものがおいしい。
このほど、元代議士生方大吉君の案内で東京火災保険の久米平三郎君と共に、上州と越後の国境にある三国峠の法師温泉の風景を探ったのである。
十一月二十七日夜六時頃、先輩の生駒君と一緒に有楽座の美音会へ行ってみる。
遠からず酒の小売値段は、いままでの倍額となるらしい。
物の味は季節によって違う。
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