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木村荘八の全作品

青空文庫で公開されている木村荘八の全作品23篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜23件 / 全23件
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一、東京「パースペクチヴ」亡友岸田劉生が昔、そのころ東京日日だつた今の毎日新聞へ、東京繁昌記の画文を寄せて、「新古細句銀座通」=しんこざいくれんがのすぢみち=と題する戯文をものしたことがある。
「東京の風俗」といふ題名のもとに初めから一冊の本を書いたとすれば、又現在の本とは違つたものになつてゐたかと思はれますが、今全編の校正を終つて「東京の風俗」一本としてこの本を見ますと、題名に不釣合ひのものにはなつてゐなかつたことを感じます。
私は初めて絵を見たのは何が最初か、一寸おぼえていません。
「ハイカラ」という言葉があるが、今の若い人達には既にこの言葉はピンと来ないようで、今の人達にはこれよりも「モダン」であるとか「シック」という言葉がよく通じるようだ。
昔の面影を偲ぶやうな今の東京の材料をとの意向だが、存外はづれの「淀橋」といつたやうなところにその「昔の面影」があるやうである。
僕の描いたこの絵は果して非常に「東京」の感じがするのかどうか、ぼくにはわからない。
花火で忘られない記憶は、私の家の屋根へ風船の付いた旗の落ちたことだ。
立見の金網図は「木下杢太郎」こと太田正雄氏の写生画を借りるものであるが(小生模写)、遺憾のことには画中に日附もなければ、場所のかき入れもない。
吉原のおはぐろ溝とこれに架かつた刎橋――(一葉がこの字を使つている)――「たけくらべ」にいふ「……垢ぬけのせし三十あまりの年増、小ざつぱりとせし唐棧ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちやらちやら忙がしげに横抱きの小包はとはでもしるし、茶屋が棧橋とんと沙汰して、廻り遠やこゝからあげまする、誂へ物の仕事やさんとこのあたりに言ふぞかし……」、この棧橋。
山川秀峰大兄この便遅延失礼。
柳橋の明治二十年以前木橋であつた頃は、その欄干は上図のやうな木組であつたが、これは一曜斎国輝の錦絵「両ごくやなぎばし」の図や、明治二十二年発行の「日本名所図会東京の部」(大阪府平民上田維暁編)などに写されてゐるので(第一図)わかる。
源之助の演る芝居に女団七と言ふのがある。
浴衣がけは便利だといふ、無論便利だ。
東京の中は何処も大抵知つてゐるつもりでゐたけれども、燈台もと暗し、洲崎をろくに知らずにゐたことを最近になつて気が付いた。
角力の頃になると両国界隈がトピックになるやうである。
羽左衛門を失ったことを転機として――戦争を転機としてと云えば早いが、それではニベも無い――俳優の「顔」も変ったと思います。
私事に傾くとすれば恐縮するが、今となつては強ち「私事」でもなく、これも「東京世相」の一つの波の色と化つてゐることだらう。
これが森田恒友さんについての書きものならば、日本画とはいはずに水墨とするところであるが、岸田は「水墨」が似合ひでない。
櫓太鼓にフト目をさまし、あすは……といふけれども、昔ぼくが成人した家は、風の加減で東から大川を渡つてとうとうと回向院の櫓太鼓が聞えたものだつた。
ぼくは鏑木さんに面と向ふと「先生」と呼ぶ。
永井さん(荷風子)が「日和下駄」の中の一節に路地について記された件りがある。
………生ひ立ちについて記せといふことですが、生ひ立ち万端すべていつか記しつくしたやうに思ひます。
これはしかつめらしい小杉論でもなければ、小杉伝でもない。
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