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佐左木俊郎の全作品

青空文庫で公開されている佐左木俊郎の全作品39篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜39件 / 全39件
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私の郷里は(宮城県玉造郡一栗村上野目天王寺)――奥羽山脈と北上山脈との余波に追い狭められた谷間の村落である。
明治三十三年(1900)宮城県岩出山町在の中農の家に生まる。
私はよく、ホームシックに襲われる少年であった。
札幌の場末の街、豊平を出た無蓋二輪の馬車が、北を指して走っている砂利道を、月寒の部落に向けてがたごとと動いて行った。
彼女は銀座裏で一匹のすっぽんを買った。
炭坑の坑は二つに区別されている。
福治爺は、山芋を掘ることより外に、何も能が無かった。
洋装の女どこで何をしていたのか、新聞記者の村井は、星田代二が検事の第一回訊問を受けた日、彼が警視庁へかえされたのと入れちがいに、検事局の構内に姿を現わした。
寡黙と消極的な態度とは私達一族の者の共通性格と言ってもいいのだ。
口上雪深い東北の山襞(ひだ)の中の村落にも、正月は福寿草のように、何かしら明るい影を持って終始する。
伸子は何か物の堕ちる音で眼をさました。
街裏の露地で社は五時に退けることになっていた。
改札孫の柴田貞吉は一昼夜の勤務から解かれて交代の者に鋏(はさみ)を渡した。
序言植物のもつ美のうちで、最も鋭く私達の感覚に触れるものは、その植物の形態や色彩による視覚的美であろう。
薊(あざみ)の花や白い山百合の花の咲いている叢(くさむら)の中の、心持ちくだりになっている細道を、煙草を吸いながら下りて行くと、水面が鏡の面のように静かな古池があって、岸からは雑草が掩(おお)いかかり、中には睡蓮の花が夢の様に咲いている。
弾力に富んだ春の活動は、いたるところに始まっていた。
惑いし途私が作家として立とうと決心したのは、廿一の秋で、今から五年前の事である。
平三爺は、病気で腰が痛むと言って、顔を顰(しか)めたり、自分で調合した薬を嚥(の)んだりしていたのであったが、それでも、山の畠に、陸稲の落ち穂を拾いに行くのだと言って、嫁のおもんが制めたにもかかわらず、土間の片隅からふごを取って、曲がりかけた腰をたたいたりしながら、戸外へ出て行った。
銀座裏のカッフェ・クジャクの内部はまだ客脚が少なく、閑散を極めていた。
その線は、山脈に突き当たって、そこで終わっていた。
禿頭の消防小頭或る秋の日曜日だった。
朝日は既に東の山を離れ、胡粉の色に木立を掃いた靄(もや)も、次第に淡く、小川の上を掠(かす)めたものなどは、もう疾くに消えかけていた。
暗欝な空が低く垂れていて家の中はどことなく薄暗かった。
私が十一の頃、私の家の近所の寺に、焼和尚という渾名のお坊さんが住んでいた。
房枝の興奮は彼女の顔を蒼白にしていた。
お婆さんはもう我慢がしきれなくなって来た。
伝平は子供の頃から馬が好きだった。
序景窓は広い麦畠の、濃緑の波に向けて開け放されていた。
灌木と雑草に荒れた叢(くさむら)は、雑木林から雑木林へと、長い長い丘腹を、波をうって走っていた。
都会は四つの段階をもって発達し膨張するのを常とする。
靄(もや)!靄!靄!靄の日が続いた。
偽映鏡が舗道に向かって、街頭の風景をおそろしく誇張していた。
煉瓦工場からは再び黒煙が流れ出した。
集落から六、七町(一町は約一〇九メートル)ほどの丘の中腹に小学校があった。
東京は靄(もや)の濃い晩秋だった。
無蓋の二輪馬車は、初老の紳士と若い女とを乗せて、高原地帯の開墾場から奥暗い原始林の中へ消えて行った。
第一章森谷牧場の無蓋二輪の箱馬車は放牧場のコンクリートの門を出ると、高原地帯の新道路を一直線に走っていった。
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