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永井荷風の全作品

青空文庫で公開されている永井荷風の全作品102篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全102件
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わたくしは殆ど活動写真を見に行ったことがない。
東京市中散歩の記事を集めて『日和下駄』と題す。
俳諧師松風庵蘿月は今戸で常磐津の師匠をしている実の妹をば今年は盂蘭盆にもたずねずにしまったので毎日その事のみ気にしている。
女給の君江は午後三時からその日は銀座通のカッフェーへ出ればよいので、市ヶ谷本村町の貸間からぶらぶら堀端を歩み見附外から乗った乗合自動車を日比谷で下りた。
荷風歳卅九◯九月十六日、秋雨連日さながら梅雨の如し。
戦争後に流行しだしたものの中には、わたくしのかつて予想していなかったものが少くはない。
○猥※[#「褒」の「保」に代えて「執」、U+465D、245-2]なる文学絵画の世を害する事元より論なし。
十六、七のころ、わたくしは病のために一時学業を廃したことがあった。
此断腸亭日記は初大正六年九月十六日より翌七年の春ころまで折※鉛筆もて手帳にかき捨て置きしものなりしがやがて二三月のころより改めて日日欠くことなく筆とらむと思定めし時前年の記を第一巻となしこの罫帋本に写直せしなり以後年と共に巻の数もかさなりて今茲昭和八年の春には十七巻となりぬかぞへ見る日記の巻や古火桶五十有五歳荷風老人書。
午飯の箸を取ろうとした時ポンと何処かで花火の音がした。
小説はいかにして作るものなるやどういふ風にして書ものなりやと問はるる人しばしばあり。
二人の借りている二階の硝子窓の外はこの家の物干場になっている。
小庭を走る落葉の響、障子をゆする風の音。
昭和二年の冬、酉(とり)の市へ行った時、山谷堀は既に埋められ、日本堤は丁度取崩しの工事中であった。
われは病いをも死をも見る事を好まず、われより遠けよ。
その年の二百十日はたしか涼しい月夜であった。
わたくしはその頃身辺に起つた一小事件のために、小説の述作に絶望して暫くは机に向ふ気にもなり得なかつたことがある。
お※!ローザ、トリアニ。
一月一日の夜、東洋銀行米国支店の頭取某氏の社宅では、例年の通り、初春を祝ふ雑煮餅の宴会が開かれた。
顔を洗う水のつめたさが、一朝ごとに身に沁みて、いよいよつめたくなって来る頃である。
我邦現代における西洋文明模倣の状況を窺(うかが)ひ見るに、都市の改築を始めとして家屋什器庭園衣服に到るまで時代の趣味一般の趨勢に徴して、転た余をして日本文華の末路を悲しましむるものあり。
○曇って風もないのに、寒さは富士おろしの烈しく吹きあれる日よりもなお更身にしみ、火燵にあたっていながらも、下腹がしくしく痛むというような日が、一日も二日もつづくと、きまってその日の夕方近くから、待設けていた小雪が、目にもつかず音もせずに降ってくる。
毎夜吾妻橋の橋だもとに佇立み、徃来の人の袖を引いて遊びを勧める闇の女は、梅雨もあけて、あたりがいよ/\夏らしくなるにつれて、次第に多くなり、今ではどうやら十人近くにもなつてゐるらしい。
凡てのいまはしい物の形をあからさまに照す日の光が、次第に薄らいで、色と響と匂のみ浮立つ黄昏の來るのを待つて、先生は「社會」と云ふ窮屈な室を出で、「科學」と云ふ鐵の門を後にして、決して躓いた事のない極めて規則正しい、寛濶な歩調で、獨り靜に藝術の庭を散歩する。
○窓の外は鄰の家の畠である。
一文學美術の理論に關して疑問の起つた時にはまづ審美綱領と審美新説の二書を讀む。
大方帳場の柱に掛けてある古時計であらう。
○日本人そもそも洋服の着始めは旧幕府仏蘭西式歩兵の制服にやあらん。
昭和廿一年一月一日(熱海にて)一月初一。
深川古石場町の警防団員であつた荒物屋の佐藤は三月九日夜半の空襲に、やつとのこと火の中を葛西橋近くまで逃げ延び、頭巾の間から真赤になつた眼をしばだゝきながらも、放水路堤防の草の色と水の流を見て、初て生命拾ひをしたことを確めた。
この一、二年何のかのと銀座界隈を通る事が多くなった。
どうしても心から満足して世間一般の趨勢に伴って行くことが出来ないと知ったその日から、彼はとある堀割のほとりなる妾宅にのみ、一人倦(う)みがちなる空想の日を送る事が多くなった。
天保十三壬寅(みずのえとら)の年の六月も半を過ぎた。
病めるが上にも年々更に新しき病を増すわたしの健康は、譬えて見れば雨の漏る古家か虫の喰った老樹の如きものであろう。
森先生の事に關してわたしは一時にいろ/\の雜誌や新聞から執筆を請はれてゐるが、今の場合何を書いてよいものか殆ど考をまとめる事ができない。
竜子は六歳の時父を失ったのでその写真を見てもはっきりと父の顔を思出すことができない。
白魚、都鳥、火事、喧嘩、さては富士筑波の眺めとともに夕立もまた東都名物の一つなり。
一、そも/\都下の古本屋に二種ありなぞと事々しく説明するまでもなし。
鉄橋と渡船との比較からこゝに思起されるのは立派な表通の街路に対して其の間々に隠れてゐる路地の興味である。
震災の後上野の公園も日に日に旧観を改めつつある。
持てあます西瓜ひとつやひとり者これはわたくしの駄句である。
灯火のつきはじめるころ、銀座尾張町の四辻で電車を降ると、夕方の澄みわたつた空は、真直な広い道路に遮られるものがないので、時々まんまるな月が見渡す建物の上に、少し黄ばんだ色をして、大きく浮んでゐるのを見ることがある。
友の来って誘うものあれば、わたくしは今猶向島の百花園に遊ぶことを辞さない。
国府台から中山を過ぎて船橋の方へと松林に蔽はれた一脈の丘陵が延長してゐる。
しづかな山の手の古庭に、春の花は支那の詩人が春風二十四番と数へたやう、梅、連翹、桃、木蘭、藤、山吹、牡丹、芍薬と順々に咲いては散つて行つた。
中洲の河岸にわたくしの旧友が病院を開いていたことは、既にその頃の『中央公論』に連載した雑筆中にこれを記述した。
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