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片山広子の全作品

青空文庫で公開されている片山広子の全作品53篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全53件
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むかし、ファネットの田舍に、ジェミイ・フリールという青年が母と二人でくらしていた。
洗足池のそばのHの家に泊りに行つて、Hの弟のSにたびたび会つた。
雄心や花ふみにじりわか芽つみほゝゑむすべは知らずあらなむふと行きてかへらぬ人よ掌をすべりて消えし玉ならなくに身の秋にしのぶも悲し日陰草小さく咲きて散りし花はも天つ世の魂の足音のきこゆらしゆめの国ゆくあかつきの時思ひなゝあらそひもなき後の世は唯いとまあり眠る人のみつばさ破れ落ちしはやぶさやけ砂にうなじやかせて遠き空見るうつくしき青葉の岡の殿づくり饑ゑし百人つちはこぶらし花散りし胸の園生の垣ゆれて道行く人となり...
明治の末頃、田辺和気子といふ有名なお茶の先生があつた。
今から何十年も前のことである。
農村が町となり、ながめが好く空気もきれいなので、だんだん新しい家が出来て、住む人も多くなつて来た。
麦の芽のいまだをさなき畑に向く八百屋の店は一ぱいの林檎深山路のもみぢ葉よりも色ふかく店の林檎らくれなゐめざまし立ちて見つつ愉しむ心反射して一つ一つの林檎のほほゑみみちのくの遠くの畑にみのりたる木の実のにほひ吾を包みぬ手にとればうす黄のりんご香りたつ熟れみのりたる果物の息すばらしき好運われに来し如し大きデリツシヤスを二つ買ひたり宵浅くあかり明るき卓の上に皿のりんごはいきいきとあるわがいのる人に言はれぬ祈りなどしみじみ交る林檎のにほひ...
今は世にないアイルランドの詩人イエーツが書いた舞踊劇の一つに「鷹の井戸」といふのがある。
むかし私がまだむすめ時代には、家々の奥さんたちが近所の若い主婦やおよめさんの悪口をいふとき、あの人は買食ひが好きですつてね、毎日のやうに買食ひをしてゐるんですつて!といふやうなことを言つて、それが女性の最大の悪徳のやうであつた。
トラ子はもみの頸輪をして、庭のいてふの樹を駈けあがりかけ下りたりしてゐる。
たぶん五六年前のことと覚えてゐる。
暮れかかる山手の坂にあかり射して花屋の窓の黄菊しらぎくこの歌は、昭和十一年ごろ横浜の山手の坂で詠んだのであるが、そのときの花屋の花の色や路にさした電気の白い光も、すこしも顕れてゐない。
Tが私のために筮竹や※木を買つて来て、自分で易を立てる稽古をするやうすすめてくれたのは、もうずゐぶん古い話であつた。
もう二十何年か前、昭和の初めごろ、私は急に自分の生活に疲れを感じて何もかもいやになつてしまつた。
五月五日「こどもの日」の新聞に「子供からドロ棒へ」といふ文が出てゐた。
はがきを出さうと思つて、畑道を通つて駅前のポストの方に歩いて行つた。
花の里、吉原にその青年は初めて行つたのである。
古いゲエルの伝説に出てくる蝙蝠の話を読むと、昔の昔から彼はきらはれものであつたらしい。
その小説はエンチヤンテッド・エプリル(まどはしの四月)といふ題であつたとおぼえてゐる。
先日読んだ話のなかに燈火節といふ字が出てゐた、二月の何日であつたか日が分らないまま読んでゐたのを、今日辞書で探してみると、燈火節二月二日、旧教にては、この日に蝋燭行列をなし、一年中に用ひる蝋燭を祓ひ清むる風習あるを以てこの名あり、とあつた。
グレレゴリイ夫人の伝説によると、むかしゲエル人の先住民ダナ人らがアイルランドに渡つて来た時には、大ぞらの空気の中を通つて霧に乗つて来たさうである。
むかし私はたいそう暇の多い人間だつた。
いま浜田山の庭にある棗の木は私にとつては三本目の棗である。
いつ、どんな本で読んだ伝説かはつきり覚えてゐない、夢のなかでどこかの景色を見て、蒼ぐらい波の上に白い船が一つみえてゐたやうに、伝説の中の女の姿を思ひ出す、美しい女である。
何年も何十年も前のことが記憶の中のどこかによどんで残つてゐて、明方の夢にそれをはつきり見ることがある。
聖書の中にあるイエス・キリストやお弟子たちの話が、人の口から耳へ、思ひもかけない遠くの国に伝へられて、その国のキリストやペテロの話になつてゐることもある。
隣家の庭に初めてあけびが生つたからと沢山わけていただいた。
菊池寛さんが「忠直卿行状記」を書かれるより少し前だつたと思ふ、時事新報の文芸記者として、或る日私の大森の家にインタビューに来られた、ある日ではなく、或る夜だつた。
M夫人は私たち十二三の時からの学校友達で、むかしも今も親しくしてゐるが、彼女は実家も婚家も非常に裕福なので趣味としての諸芸に達して、殊にお茶や歌では趣味以上のくろうとである。
九月二十八日はミケルマス(ミケル祭)といつて、聖マイケルを記念する祭日である。
小野小町は小野の篁の孫で、父は出羽守良真とも伝へられ、仁明、文徳、清和の頃の人と思はれるが、生死の年月もはつきり分らず、伝説は伝説を生み、今の私たちには彼女が美しかつたといふ事と、すぐれた歌人であつたといふことだけしか伝はらない。
銭形平次の時代には乗物といつてもバスも電車もなく、さうむやみとお駕籠にも乗れなかつたらうから、八五郎が聞きこみをすれば、向う柳原の伯母さんの家からすぐ飛び出して神田の平次の家まで駈けてゆく。
十坪に足りない芝庭である。
入浴は、コーヒーを飲み甘い物をたべるのと同じやうに私たちにはたのしいリクリエーシヨンで、同時にどうしてもはぶくことの出来ない清潔法である。
むかしの世では、あづまから京へ、京から筑紫のはてへと、手紙を書いたり書かれたりすることが、非常に珍しひことであり、又一生のうちの幾つかに数へられるよろこびでもあつたらうと思ふ。
雨ばかり多い春であつたが、今日は珍らしくよく晴れて空気も寒いくらゐ澄んでゐる。
終戦直後わが国にゐた外人たちの中で、兵隊さんたちはみんな一食づつきまつた配給であつたから、その人たちはそれでもよかつたが、家族づれの一家で軽井沢に暮してゐる人たちなぞ私たち以上にともしかつた。
季節の変るごとに、武蔵野はそれより一足先きに春秋の風がふき、霜も雪も早く来る、夏草が茂るのも早い。
大正のいつごろであつたか、大森新井宿で私はサラリーマンの家の平和な生活をしてゐた時分、或る日奇妙なおじいさんが訪ねて来た。
ダンセニイの「アラビヤ人の天幕」が先日明治座で新劇座の人々に依って上演され、今月になって友田恭助水谷八重子諸氏の手で同じ脚本及び「光の門」「旅宿の一夜」の三種が鉄道協会で試演されるということである。
Y氏が山手線電車の中で集団掏摸のためにポケツトの中をみんな奪られて帰つて来た。
はじめに生れたのは歓びの霊である、この新しい年をよろこべ!一月霊はまだ目がさめぬ二月虹を織る三月雨のなかに微笑する四月白と緑の衣を着る五月世界の青春六月壮厳七月二つの世界にゐる八月色彩九月美を夢みる十月溜息する十一月おとろへる十二月眠るケルトの古い言ひつたへかもしれない、或るふるぼけた本の最後の頁に何のつながりもなくこの暦が載つてゐ...
今から四十年あるひは五十年ぐらゐ前の嫁入支度はたいてい千五百円から二千円ぐらゐの金で充分間に合つたのである。
昭和二十六年四月二十四日、午後一時四十分ごろ、京浜線桜木町ゆき電車が桜木町駅ホームに正に入らうとする直前、最前車の屋根から火花を発して忽ちの間に一番目の車は火の海となり、あわてて急停車したが、二番目の車にも火が移つて、最前車は全焼、二番目は半焼し、この二台の車にいつぱい乗つてゐた乗客たちは火の中から脱け出さうとしても、ドアが開かず、百何十人かの男女、子供も赤んぼもみんな車内で焼死してしまつた。
和染の大家である木村和一氏が大森新井宿の家を引払つて井の頭線浜田山に移られた後、その改築された殆ど新築のやうな意気なお家を私は娘につれられてお訪ねした。
その頃、防空壕は各戸に一つか二つ位づつ掘られてゐたが、防火貯水池もだんだん必要となつて来たので、至急に用意をするやうその筋の命令が出た。
よる眠る前に、北の窓をあけて北の空を見ることが私のくせになつてしまつた。
今はもう昔のこと、イエーツは一九二三年にノーベル文学賞をもらつた時の感想を書いてゐる――その時私の心にはここにゐない二人のことが考へられた。
日本では蛇の昔ばなしがたくさんあるが、アイルランドの伝説にも蛇が多いやうである。
軽井沢の家でY夫人から教へて頂いた豚肉のおそうざい料理はさぞおいしいだらうと思ひながら、まだ一度も試食したことがない。
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