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10分以内で読める片山広子の短編作品

青空文庫で公開されている片山広子の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編27作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(2,001〜4,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
1〜27件 / 全27件
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明治の末頃、田辺和気子といふ有名なお茶の先生があつた。
農村が町となり、ながめが好く空気もきれいなので、だんだん新しい家が出来て、住む人も多くなつて来た。
いつ、どんな本で読んだ伝説かはつきり覚えてゐない、夢のなかでどこかの景色を見て、蒼ぐらい波の上に白い船が一つみえてゐたやうに、伝説の中の女の姿を思ひ出す、美しい女である。
何年も何十年も前のことが記憶の中のどこかによどんで残つてゐて、明方の夢にそれをはつきり見ることがある。
聖書の中にあるイエス・キリストやお弟子たちの話が、人の口から耳へ、思ひもかけない遠くの国に伝へられて、その国のキリストやペテロの話になつてゐることもある。
隣家の庭に初めてあけびが生つたからと沢山わけていただいた。
菊池寛さんが「忠直卿行状記」を書かれるより少し前だつたと思ふ、時事新報の文芸記者として、或る日私の大森の家にインタビューに来られた、ある日ではなく、或る夜だつた。
M夫人は私たち十二三の時からの学校友達で、むかしも今も親しくしてゐるが、彼女は実家も婚家も非常に裕福なので趣味としての諸芸に達して、殊にお茶や歌では趣味以上のくろうとである。
九月二十八日はミケルマス(ミケル祭)といつて、聖マイケルを記念する祭日である。
小野小町は小野の篁の孫で、父は出羽守良真とも伝へられ、仁明、文徳、清和の頃の人と思はれるが、生死の年月もはつきり分らず、伝説は伝説を生み、今の私たちには彼女が美しかつたといふ事と、すぐれた歌人であつたといふことだけしか伝はらない。
銭形平次の時代には乗物といつてもバスも電車もなく、さうむやみとお駕籠にも乗れなかつたらうから、八五郎が聞きこみをすれば、向う柳原の伯母さんの家からすぐ飛び出して神田の平次の家まで駈けてゆく。
十坪に足りない芝庭である。
入浴は、コーヒーを飲み甘い物をたべるのと同じやうに私たちにはたのしいリクリエーシヨンで、同時にどうしてもはぶくことの出来ない清潔法である。
むかしの世では、あづまから京へ、京から筑紫のはてへと、手紙を書いたり書かれたりすることが、非常に珍しひことであり、又一生のうちの幾つかに数へられるよろこびでもあつたらうと思ふ。
雨ばかり多い春であつたが、今日は珍らしくよく晴れて空気も寒いくらゐ澄んでゐる。
終戦直後わが国にゐた外人たちの中で、兵隊さんたちはみんな一食づつきまつた配給であつたから、その人たちはそれでもよかつたが、家族づれの一家で軽井沢に暮してゐる人たちなぞ私たち以上にともしかつた。
季節の変るごとに、武蔵野はそれより一足先きに春秋の風がふき、霜も雪も早く来る、夏草が茂るのも早い。
大正のいつごろであつたか、大森新井宿で私はサラリーマンの家の平和な生活をしてゐた時分、或る日奇妙なおじいさんが訪ねて来た。
ダンセニイの「アラビヤ人の天幕」が先日明治座で新劇座の人々に依って上演され、今月になって友田恭助水谷八重子諸氏の手で同じ脚本及び「光の門」「旅宿の一夜」の三種が鉄道協会で試演されるということである。
Y氏が山手線電車の中で集団掏摸のためにポケツトの中をみんな奪られて帰つて来た。
はじめに生れたのは歓びの霊である、この新しい年をよろこべ!一月霊はまだ目がさめぬ二月虹を織る三月雨のなかに微笑する四月白と緑の衣を着る五月世界の青春六月壮厳七月二つの世界にゐる八月色彩九月美を夢みる十月溜息する十一月おとろへる十二月眠るケルトの古い言ひつたへかもしれない、或るふるぼけた本の最後の頁に何のつながりもなくこの暦が載つてゐ...
今から四十年あるひは五十年ぐらゐ前の嫁入支度はたいてい千五百円から二千円ぐらゐの金で充分間に合つたのである。
昭和二十六年四月二十四日、午後一時四十分ごろ、京浜線桜木町ゆき電車が桜木町駅ホームに正に入らうとする直前、最前車の屋根から火花を発して忽ちの間に一番目の車は火の海となり、あわてて急停車したが、二番目の車にも火が移つて、最前車は全焼、二番目は半焼し、この二台の車にいつぱい乗つてゐた乗客たちは火の中から脱け出さうとしても、ドアが開かず、百何十人かの男女、子供も赤んぼもみんな車内で焼死してしまつた。
和染の大家である木村和一氏が大森新井宿の家を引払つて井の頭線浜田山に移られた後、その改築された殆ど新築のやうな意気なお家を私は娘につれられてお訪ねした。
その頃、防空壕は各戸に一つか二つ位づつ掘られてゐたが、防火貯水池もだんだん必要となつて来たので、至急に用意をするやうその筋の命令が出た。
よる眠る前に、北の窓をあけて北の空を見ることが私のくせになつてしまつた。
今はもう昔のこと、イエーツは一九二三年にノーベル文学賞をもらつた時の感想を書いてゐる――その時私の心にはここにゐない二人のことが考へられた。
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