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木暮理太郎の全作品

青空文庫で公開されている木暮理太郎の全作品53篇を、おすすめ人気順で表示しています。


1〜50件 / 全53件

作品名 著者 読了時間 人気 書き出し
作品名 著者 読了時間 人気
木曽駒と甲斐駒
(1935年)
木暮理太郎
1時間〜
  27,036 文字
木曽駒矧川志賀先生の『日本風景論』(第三版)を読まれた人は、日本には火山岩の多々なる事という章...
木曽駒と甲斐駒 木暮理太郎
木曽駒矧川志賀先生の『日本風景論』(第三版)を読まれた人は、日本には火山岩の多々なる事という章の終りに、附録として「登山の気風を興作すべし」という一文が添えてあることを記憶されているであろう。
奥秩父の山旅日記
(1916年)
木暮理太郎
1時間〜
  37,613 文字
私が始めて秩父の山々から受けた最も強い印象は、其(その)色彩の美しいこと及び其連嶺の長大なるこ...
奥秩父の山旅日記 木暮理太郎
私が始めて秩父の山々から受けた最も強い印象は、其(その)色彩の美しいこと及び其連嶺の長大なることであった。
黒部川を遡る
(1935年)
木暮理太郎
60分以内
  23,603 文字
はしがき我国の一大峡流である黒部川の全貌が完全に世に紹介されるに至ったのは、誰が何と言っても、...
黒部川を遡る 木暮理太郎
はしがき我国の一大峡流である黒部川の全貌が完全に世に紹介されるに至ったのは、誰が何と言っても、これは立山後立山両山脈の山々と其(その)抱擁する谷々とに限りなき興味を有し、就中立山連峰と黒部峡谷とを礼讃して措かざる冠君の数年に亘(わた)りて惓むことを知らない努力の結果であることは、動かす可からざる事実であり、又よく人の知っている通りである。
秩父の奥山
(1914年)
木暮理太郎
1時間〜
  32,920 文字
何の為に山へ登るか。
秩父の奥山 木暮理太郎
何の為に山へ登るか。
黒部峡谷
(1919年)
木暮理太郎
60分以内
  13,587 文字
立山山脈と後立山山脈地質学者の説に拠ると、今日普通に日本北アルプスの名で広く世に知られている飛...
黒部峡谷 木暮理太郎
立山山脈と後立山山脈地質学者の説に拠ると、今日普通に日本北アルプスの名で広く世に知られている飛騨山脈は、凡南十度西より東十度北即ち南南西から東北東に向って並走して居る数条の連脈から成っているということである。
越中劒岳
(1922年)
木暮理太郎
30分以内
  4,911 文字
日本アルプスの大立物の中で、最後に登られてしかも今でも最も人気を集めている山は、恐らく立山連峰...
越中劒岳 木暮理太郎
日本アルプスの大立物の中で、最後に登られてしかも今でも最も人気を集めている山は、恐らく立山連峰の劒岳であろう。
木曾御岳の話
(1933年)
木暮理太郎
30分以内
  7,829 文字
今日は懐古の夕だそうですから思いきり古い話をすることにしますが、私の古い山旅はただぶらぶら歩い...
木曾御岳の話 木暮理太郎
今日は懐古の夕だそうですから思いきり古い話をすることにしますが、私の古い山旅はただぶらぶら歩いていたのみで日記さえもつけない、ですから忘れてしまった方が多いのは残念ですが、しかし何といっても、見て面白いし、登って面白いし、読んで面白く、聞いても考えても亦(また)おもしろい山のことですから、随分古い思い出はあります。
白馬岳
(1927年)
木暮理太郎
60分以内
  14,766 文字
位置今では日本北アルプスの名で広く世に知られている飛騨山脈は、加藤理学士の説に拠ると、凡そ南十...
白馬岳 木暮理太郎
位置今では日本北アルプスの名で広く世に知られている飛騨山脈は、加藤理学士の説に拠ると、凡そ南十度西より北十度東に向って並走せる数条の連脈から成っているものであるという。
金峰山
(1932年)
木暮理太郎
10分以内
  2,339 文字
秩父山塊の金峰山は、私の古い山旅の朧げな記憶の中では、比較的はっきりしている方である。
金峰山 木暮理太郎
秩父山塊の金峰山は、私の古い山旅の朧げな記憶の中では、比較的はっきりしている方である。
皇海山紀行
(1923年)
木暮理太郎
60分以内
  12,582 文字
降りがちな天候は、十一月に入ってもからりと晴れた日は続かなかった。
皇海山紀行 木暮理太郎
降りがちな天候は、十一月に入ってもからりと晴れた日は続かなかった。
針木峠の林道
(1918年)
木暮理太郎
5分以内
  1,638 文字
針木峠は人も知る如く、明治九年に新道が開鑿され、数年の後にそれが再び破壊されてしまってからは、...
針木峠の林道 木暮理太郎
針木峠は人も知る如く、明治九年に新道が開鑿され、数年の後にそれが再び破壊されてしまってからは、籠川の河原や雪渓を辿ることなしに峠を通過することは殆んど不可能であった。
紙魚こぼれ
(1933年)
木暮理太郎
10分以内
  2,103 文字
大田蜀山人の『半日閑話』の中に「信州浅間岳下奇談」と題して次の記事が出ている。
紙魚こぼれ 木暮理太郎
大田蜀山人の『半日閑話』の中に「信州浅間岳下奇談」と題して次の記事が出ている。
嘉陵紀行
(1916年)
木暮理太郎
10分以内
  2,517 文字
『嘉陵紀行』は徳川幕府の頃、三卿の一であった清水家の用人村尾正靖の著である。
嘉陵紀行 木暮理太郎
『嘉陵紀行』は徳川幕府の頃、三卿の一であった清水家の用人村尾正靖の著である。
初めて秩父に入った頃
(1937年)
木暮理太郎
10分以内
  2,666 文字
当初、山を愛好する一部の人々の間にのみ行われていた登山が、一般世間からは物ずきの骨頂と蔑視され...
初めて秩父に入った頃 木暮理太郎
当初、山を愛好する一部の人々の間にのみ行われていた登山が、一般世間からは物ずきの骨頂と蔑視されながらも、勇敢に口や筆で夫等の人々が宣伝につとめた努力は報いられて、次第に同好者を獲得することに成功し、後年の隆盛を想わせる曙光にも似た明るい前途を約束し得るに至ったことは、誠に愉快なことであった。
八ヶ峰の断裂
(1918年)
木暮理太郎
10分以内
  2,919 文字
八ヶ峰というのは、鹿島槍ヶ岳と五竜岳との間にある山稜の一大断裂に名付けられた称呼であって、峰と...
八ヶ峰の断裂 木暮理太郎
八ヶ峰というのは、鹿島槍ヶ岳と五竜岳との間にある山稜の一大断裂に名付けられた称呼であって、峰とは呼ばれているが実は隆起した地点ではない。
秩父のおもいで
(1928年)
木暮理太郎
10分以内
  3,444 文字
秩父の数多い山の中で、高さに於ても姿に於ても、金峰山は一際すぐれて群を抜いている。
秩父のおもいで 木暮理太郎
秩父の数多い山の中で、高さに於ても姿に於ても、金峰山は一際すぐれて群を抜いている。
尾瀬雑談
(1925年)
木暮理太郎
10分以内
  3,493 文字
尾瀬の記事は既に書き尽されてあるから、この上の剰筆は真に蛇足であるに過ぎないが、敢て二、三の見...
尾瀬雑談 木暮理太郎
尾瀬の記事は既に書き尽されてあるから、この上の剰筆は真に蛇足であるに過ぎないが、敢て二、三の見聞をここに載せることにした。
鹿の印象
(1935年)
木暮理太郎
10分以内
  3,726 文字
大井川奥の田代から入って三伏峠まで、十数日に亙(わた)る南アルプスの縦走を企てたことがある。
鹿の印象 木暮理太郎
大井川奥の田代から入って三伏峠まで、十数日に亙(わた)る南アルプスの縦走を企てたことがある。
古図の信じ得可き程度
(1923年)
木暮理太郎
10分以内
  3,780 文字
古図を閲覧するに当りて何人も抱く可き疑問は、其(その)図が輯製の当時既に知られたる事実を、果し...
古図の信じ得可き程度 木暮理太郎
古図を閲覧するに当りて何人も抱く可き疑問は、其(その)図が輯製の当時既に知られたる事実を、果して如何程まで広く採録せりや否やといえることなる可し。
美ヶ原
(1921年)
木暮理太郎
10分以内
  3,887 文字
筑摩山脈の武石峠が日本アルプス殊に北アルプスの好展望地であることは、『山岳』五年三号の附録中村...
美ヶ原 木暮理太郎
筑摩山脈の武石峠が日本アルプス殊に北アルプスの好展望地であることは、『山岳』五年三号の附録中村清太郎君筆の「冬季信州武石峠より望める日本アルプス略図」に依って世に紹介されてから、山岳の展望に趣味を持つ程の人で知らぬ者は無い位有名になった。
冬の山
(1926年)
木暮理太郎
10分以内
  3,928 文字
都大路に木枯が音ずれて、街路樹の梢が日に増しあらわになりまさる頃になると、濁りがちな空の色も流...
冬の山 木暮理太郎
都大路に木枯が音ずれて、街路樹の梢が日に増しあらわになりまさる頃になると、濁りがちな空の色も流石に冴えて、武蔵野をめぐる山々の姿が、市中からも鮮に望まれる日が多くなる。
山の魅力
(1934年)
木暮理太郎
30分以内
  4,215 文字
夏の登山が今日のように盛になったのは、色々の原因があるにしても、山が何かしらん人の心をしっかり...
山の魅力 木暮理太郎
夏の登山が今日のように盛になったのは、色々の原因があるにしても、山が何かしらん人の心をしっかりと捉えずには置かない、強い魅力を持っている為である。
四十年前の袋田の瀑
(1936年)
木暮理太郎
30分以内
  4,334 文字
勿来関趾をたずね、鵜子岬に遊び、日和山に登って、漁船に賑う平潟の港内や、暮れ行く太平洋の怒濤を...
四十年前の袋田の瀑 木暮理太郎
勿来関趾をたずね、鵜子岬に遊び、日和山に登って、漁船に賑う平潟の港内や、暮れ行く太平洋の怒濤を飽かず眺めた後、湾に臨んだ宿屋の楼上に一夜を明かして、翌日仙台からはるばると辿って来た海岸を離れ、小雨そぼふる中を棚倉道に沿うて歩き出した。

(1938年)
木暮理太郎
30分以内
  4,775 文字
峠は「たむけ」の音便であるといわれている。
木暮理太郎
峠は「たむけ」の音便であるといわれている。
山と村
(1934年)
木暮理太郎
30分以内
  5,040 文字
アーヴィングの『スケッチブック』を初めて読んだとき、リップ・ヴァン・ウィンクルの話の冒頭に、カ...
山と村 木暮理太郎
アーヴィングの『スケッチブック』を初めて読んだとき、リップ・ヴァン・ウィンクルの話の冒頭に、カツキル連山が季節の移り更りや天候の変る毎に、いや実に一日の中でも刻々に不思議な色やら形やらを変えるので、遠近のおかみさん達から完全な晴雨計と見做されていたということが書いてあるのを見て、直に思い出したのは故郷の赤城山のことであった、そして外国にも同じような風習が自然と行われているのを非常に興味深く感じたのであった。
笛吹川の上流(東沢と西沢)
(1916年)
木暮理太郎
30分以内
  5,075 文字
笛吹川は秩父街道最奥の部落である広瀬附近から上流になると子酉川と呼ばれている。
笛吹川の上流(東沢と西沢) 木暮理太郎
笛吹川は秩父街道最奥の部落である広瀬附近から上流になると子酉川と呼ばれている。
高原
(1934年)
木暮理太郎
30分以内
  5,315 文字
八ヶ岳の裾野ほど高原に富んでいる所は、火山の多い我国にも稀であろうと思う。
高原 木暮理太郎
八ヶ岳の裾野ほど高原に富んでいる所は、火山の多い我国にも稀であろうと思う。
思い出す儘に
(1934年)
木暮理太郎
30分以内
  5,346 文字
陸地測量部で輯製二十万分一の地図を発行するようになったのは、『陸地測量部沿革誌』に拠れば明治十...
思い出す儘に 木暮理太郎
陸地測量部で輯製二十万分一の地図を発行するようになったのは、『陸地測量部沿革誌』に拠れば明治十七年からで、これは伊能図を基礎とし、各府県調製の地図を参酌校訂して、全国の地図を作り、一般の便に供するのが目的であったという。
秩父の渓谷美
(1926年)
木暮理太郎
30分以内
  5,386 文字
五月の秩父いつも五月、一年中でのよき日である五月になると、私は秩父の山や谷を思い出すことが避け...
秩父の渓谷美 木暮理太郎
五月の秩父いつも五月、一年中でのよき日である五月になると、私は秩父の山や谷を思い出すことが避け難い一の習慣のようになっている。
日本アルプスの五仙境
(1922年)
木暮理太郎
30分以内
  5,495 文字
これから私が茲(ここ)に述べようとする日本アルプスの仙境というのは、其処に仙人が住んでいたとか...
日本アルプスの五仙境 木暮理太郎
これから私が茲(ここ)に述べようとする日本アルプスの仙境というのは、其処に仙人が住んでいたとか、又は現に住んでいるらしいとかいう訳で、仙境と称するのでは勿論ありません。
奥秩父
(1922年)
木暮理太郎
30分以内
  5,631 文字
秩父という名が大宮を中心とした所謂秩父盆地に限られていた時代には、武甲山や三峰山などが秩父の高...
奥秩父 木暮理太郎
秩父という名が大宮を中心とした所謂秩父盆地に限られていた時代には、武甲山や三峰山などが秩父の高山であるように思われていたのも無理ではない。
南北アルプス通説
(1930年)
木暮理太郎
30分以内
  5,690 文字
日本アルプスの名称日本本島中部の大山脈である赤石山系、木曾山脈及び飛騨山脈は、今日普通に日本ア...
南北アルプス通説 木暮理太郎
日本アルプスの名称日本本島中部の大山脈である赤石山系、木曾山脈及び飛騨山脈は、今日普通に日本アルプスの名で呼ばれている。
渓三題
(1924年)
木暮理太郎
30分以内
  6,494 文字
いつぞや秩父の長瀞見物に行って来た人が「どうもいい景色ですな、あんな所は山の中にもそう沢山はあ...
渓三題 木暮理太郎
いつぞや秩父の長瀞見物に行って来た人が「どうもいい景色ですな、あんな所は山の中にもそう沢山はありますまい」というて、其(その)話をして呉れたことがある。
上州の古図と山名
(1923年)
木暮理太郎
30分以内
  6,646 文字
古図には立派に記載されている山でも、今日では夫がどの山であるか、殆ど見当のつけようもない程不正...
上州の古図と山名 木暮理太郎
古図には立派に記載されている山でも、今日では夫がどの山であるか、殆ど見当のつけようもない程不正確にあらわされているものがある。
三国山と苗場山
(1931年)
木暮理太郎
30分以内
  6,856 文字
大正二、三年の頃、東京から見える山のスケッチを作る為に、強い北西の風が吹く晴れた冬の日には、よ...
三国山と苗場山 木暮理太郎
大正二、三年の頃、東京から見える山のスケッチを作る為に、強い北西の風が吹く晴れた冬の日には、よく愛宕山の塔や浅草の凌雲閣に上って、遠い雪の山の姿に見入りながら、新しい印象や古い記憶を辿って、山の持つ個性から其(その)何山であるかを探し出すのが楽しみであった。
那須、尾瀬、赤城、志賀高原
(1935年)
木暮理太郎
30分以内
  7,215 文字
那須岳那須火山群は、広漠たる那須ヶ原の北端に在って、南北に長い連嶺をなし、所謂那須の五岳を含む...
那須、尾瀬、赤城、志賀高原 木暮理太郎
那須岳那須火山群は、広漠たる那須ヶ原の北端に在って、南北に長い連嶺をなし、所謂那須の五岳を含む山塊を総称したものである。
春の大方山
(1935年)
木暮理太郎
30分以内
  8,116 文字
南アルプスの二、三の山が東京から望まれることが確実となったので、外にも尚お、遠い大井川奥の空か...
春の大方山 木暮理太郎
南アルプスの二、三の山が東京から望まれることが確実となったので、外にも尚お、遠い大井川奥の空から煤煙の都東京をこっそり覗いている山が或は有るかも知れない。
後立山は鹿島槍ヶ岳に非ざる乎
(1917年)
木暮理太郎
30分以内
  8,206 文字
後立山という名は、黒部川の峡谷を隔てて立山の東に連亙している信越国境山脈中の一峰として、夙(は...
後立山は鹿島槍ヶ岳に非ざる乎 木暮理太郎
後立山という名は、黒部川の峡谷を隔てて立山の東に連亙している信越国境山脈中の一峰として、夙(はや)くから地誌地図等に記載され、一個の山体として取り扱われていたらしいにも拘わらず、元来が越中の称呼であって、此(この)方面からの登山は、甚しく困難でもあり且つ危険でもあるから、偶に入込む猟師などの外は登山者絶無という有様であったと想われる。
尾瀬の昔と今
(1936年)
木暮理太郎
30分以内
  8,230 文字
尾瀬の名は『会津風土記』に「小瀬峠陸奥上野二州之界」又は「小瀬沼在会津郡伊南郷縦八里横三里」と...
尾瀬の昔と今 木暮理太郎
尾瀬の名は『会津風土記』に「小瀬峠陸奥上野二州之界」又は「小瀬沼在会津郡伊南郷縦八里横三里」として載っているのが古書に見られる最初である。
登山談義
(1935年)
木暮理太郎
30分以内
  8,647 文字
八月二十日於霧ヶ峰「山の会」講演大意、後補筆昔からお談義を聞かせるのは大抵老人と極っているよう...
登山談義 木暮理太郎
八月二十日於霧ヶ峰「山の会」講演大意、後補筆昔からお談義を聞かせるのは大抵老人と極っているようで「またお談義か、うんざりするな」というようなことは、日常見聞する所であります。
北岳と朝日岳
(1929年)
木暮理太郎
30分以内
  8,691 文字
白峰北岳日は忘れたが明治二十六年の八月であった、初めて木曾の御岳に登った時、兼てこの山は高さ一...
北岳と朝日岳 木暮理太郎
白峰北岳日は忘れたが明治二十六年の八月であった、初めて木曾の御岳に登った時、兼てこの山は高さ一万七百尺、日本第二の高山であると地理書で教えられ、又近所の御岳講の講中で登山したことのある人の話にも、頂上からは富士山が高く見えるだけで、外に目に立つ山は無いと聞かされていたので、そうと許り信じていた私は、意外な展望にすっかり驚いてしまった。
初旅の大菩薩連嶺
(1933年)
木暮理太郎
30分以内
  10,174 文字
大正七年の秋の末に初めて黒岳山から大菩薩峠に至る大菩薩山脈の主要部を縦走した時の山旅は、おかし...
初旅の大菩薩連嶺 木暮理太郎
大正七年の秋の末に初めて黒岳山から大菩薩峠に至る大菩薩山脈の主要部を縦走した時の山旅は、おかしい程故障が多かった。
大井川奥山の話
(1920年)
木暮理太郎
30分以内
  10,362 文字
赤石山系の二大山脈即ち白峰山脈と赤石山脈とは、其(その)北端に位する鳳凰山塊と共に、日本南アル...
大井川奥山の話 木暮理太郎
赤石山系の二大山脈即ち白峰山脈と赤石山脈とは、其(その)北端に位する鳳凰山塊と共に、日本南アルプスと呼ばれている。
秩父宮殿下に侍して槍ヶ岳へ
(1923年)
木暮理太郎
30分以内
  10,655 文字
中房温泉荒模様であった空は、夜が明けると少し穏になって、風は強いが雨脚は疎になった。
秩父宮殿下に侍して槍ヶ岳へ 木暮理太郎
中房温泉荒模様であった空は、夜が明けると少し穏になって、風は強いが雨脚は疎になった。
釜沢行
(1920年)
木暮理太郎
60分以内
  12,499 文字
都門の春はもう余程深くなった。
釜沢行 木暮理太郎
都門の春はもう余程深くなった。
朝香宮殿下に侍して南アルプスの旅
(1923年)
木暮理太郎
60分以内
  13,798 文字
西山温泉寝覚の耳元へいきなりザアと大雨の降るような谷川の音が聞えた。
朝香宮殿下に侍して南アルプスの旅 木暮理太郎
西山温泉寝覚の耳元へいきなりザアと大雨の降るような谷川の音が聞えた。
マル及ムレについて
(1937年)
木暮理太郎
60分以内
  16,309 文字
本稿は昭和十一年十一月十五日霧の旅会で催した集会の席上に於て述べたもので、謂(い)わば私の物ず...
マル及ムレについて 木暮理太郎
本稿は昭和十一年十一月十五日霧の旅会で催した集会の席上に於て述べたもので、謂(い)わば私の物ずきな地名穿鑿(せんさく)の際にふと思い付いた考に過ぎないのであるが、山名や地名などを考証する場合、時としてはこうした方面も考慮に入れて然る可きではあるまいかと思うので、本誌に掲載して読者の一粲を博することにした、何かの御参考ともなれば幸である。
秋の鬼怒沼
(1923年)
木暮理太郎
60分以内
  17,269 文字
日光の紅葉大正九年十月十日。
秋の鬼怒沼 木暮理太郎
日光の紅葉大正九年十月十日。
山の今昔
(1936年)
木暮理太郎
60分以内
  22,862 文字
山と山人我国に於て山登りが始められたのは何時頃からであるか、元より判然たることは知る由もないが...
山の今昔 木暮理太郎
山と山人我国に於て山登りが始められたのは何時頃からであるか、元より判然たることは知る由もないが、遡って遠く其(その)源を探って見ると、狩猟を以て生活の資を得ていた原始民族に依りて、恐らく最初の山登りが行われたであろうことは想像するに難くない。
二、三の山名について
(1928年)
木暮理太郎
1時間〜
  30,743 文字
この一篇は昭和三年六月十日、霧の旅会創立第十周年紀念大会の席上で述べた話の原稿を纏めて、改訂増...
二、三の山名について 木暮理太郎
この一篇は昭和三年六月十日、霧の旅会創立第十周年紀念大会の席上で述べた話の原稿を纏めて、改訂増補したものであるが、もとより未定稿であって、ほんの一寸した思い付を述べたに過ぎない、謂(い)わば夢物語に似たようなものであるから、予め左様御承知を願って置きたい。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。