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5分以内で読める北大路魯山人の短編作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている北大路魯山人の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編95作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(〜2,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
51〜95件 / 全95件
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河井寛次郎氏の製陶もとうとう世の末になってしまった。
古美術界では、とかく掘出しが流行する。
瀬戸黒だね、俺が茶碗を作るとしたら。
美術面に於て、現存者から師を仰ぐことはなかなかむつかしい。
これは旨い字か、拙い字か、おとなか、子どもか、手の字か、心の字か、はた人格の賜物か、それとも、学者の書か、高僧の筆か、あるいは書家の字か……。
私が鎌倉の山崎に窯を築き、製陶の事に懸命に係り出してからといふものは、勢の赴くところとでも云はうか、参考品としての古陶磁の蒐集が余儀なく一箇の大事になつた。
簡単に言って、料理とは単に舌先だけで味わうものではなく、また弄ぶものでもない。
あゆの小さなものは、どうかするとうまくないというひともあるが、わたしは一概にそうは思わない。
今春、思いがけない大雪が降って、都下全体交通ストップ、自動車などは一夜に皆エンコして一歩も前進できない因果な時、拙作陶の展示会を催すことになった。
私たちが料理をとやかく言ったり、美味い不味いを口にしますと、ぜいたくを言っているように聞えて困るのですが、私が言うのはそうじゃないのです。
古来貴重視せらるる陶磁器は東洋に於て特に発達を遂げ西邦に及ぼす所ありたるは言ふまでも無い。
陶器だけで美はわからぬ。
毎年のことながら、春から夏、秋と昔からいう年魚の季節となる。
さばずしはなんと言っても古来京都が本場である。
春屋は大徳寺の名僧で、慶長十六年示寂している。
東京で西京漬けと呼んでいるのは、京都産の白味噌に魚類を漬け込んだものを言う。
ぜいたくにと、ひと口に言っても、上には上、下には下の段々がある。
料理屋の料理にせよ、あるいは家庭の料理にせよ、それがうまくできるもできないも、要するに料理をする人の舌次第なのである。
中国料理の食器を使っている日本料理日本料理に使っている上手物の陶器の食器は、多く中国で出来たものである。
書相は、よくその人の価値を表現する。
じゅんさいというものは、古池に生ずる一種の藻草の新芽である。
この名前は、昭和十年ごろ、私が勝手につけたもので、てんぷらのようであって、てんぷらとも違うものだ。
日本料理の革新を叫んで星岡を始めたころ、私が板場へ降りて仕事をしだすと、料理材料のゴミが三分の一しか出ないと、ある料理人から言われた。
美味いさかな、それはなんと言っても、少数の例外は別として関西魚である。
これは有名な大徳寺蔵の牧渓「竜虎」の双幅に見られるその題語款識である(但し「蜀僧法常識製」の分は「観音」の三幅対のもの)。
これから秋までつづく夏季の美肴中、とりわけ重きをなしているものに、あわびが挙げられる。
小島政二郎君ロンドンに向かう途中、カナダのグース・ベイ飛行場にて、天候回復を待つこと十二時間。
小島政二郎君僕の作品展示会の模様は、後便で記事の出ている新聞といっしょに送りますから、それをご一覧ください。
鮎の美味いのは大きさから言うと、一寸五分ぐらいから四、五寸ぐらいまでのものである。
私が陶器を自分で作る気になり、窯を自分の家に築き始めたのは昭和二年四月であり、窯が出来て第一回の製作を了り、初窯を試みたのはその年の十月の七日であるから、まだ至つて日の浅いことである。
今日は簡単に薄口醤油の話をしてみたいと思う。
鎌倉を生きて出でけん初鰹芭蕉(ばしょう)目には青葉山ほととぎすはつ鰹素堂初がつおが出だしたと聞いては、江戸っ子など、もう矢も楯(たて)もたまらずやりくり算段……、いや借金してまで、その生きのいいところをさっとおろして、なにはさておき、まず一杯という段取りに出ないではいられなかったらしく、未だに葉桜ごろの人の頭にピンと来るものがある。
生かすことは殺さないことである。
獣は「人」のように「美」というものの世界を知らない。
山というほどの山ではないが、山中での朝夕起臥三十余年、ほとんど社交のない生活を営みながら、小生は時に快速船のように、何事をも進ませずにはいられないクセを持っている。
鮎は水が清くて、流れの急な、比較的川幅の広い川で育ったのでないと、発育が充分でなく、その上、味も香気も、ともによくない。
心のおもむくままに、いつも美味いものを食って、心の底から楽しんでみたい。
美味い料理をしようと思ったら、その根本は食品材料を生かせばよい、それだけのことである。
ある日、友人の紹介で人が来た。
美味談も考えてみるとなかなか容易ではない。
芸術の中でも、絵画は努力次第で一寸楽しめる境地までは漕ぎつけることが出来るものであるが、書道となるとなかなかに至難である。
書道展覧会など殆ど全部がといって差支えない今の書家風の書、すなわち手先の器用で作り上げる「書」形態は、筆調は体裁上、一寸見に本当の能書と変るところなきものかに見える。
益友と交わることの有益を説き聞かせた者は孔子である。
干ものの美味いのに当ったよろこびは格別である。
磁印、陶印取り混ぜ六顆をご紹介する。
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