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種田山頭火の全作品

青空文庫で公開されている種田山頭火の全作品68篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全68件
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若うして死をいそぎたまへる母上の霊前に本書を供へまつる鉢の子大正十四年二月、いよいよ出家得度して、肥後の片田舎なる味取観音堂守となつたが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であつた。
このみちやいくたりゆきしわれはけふゆくしづけさは死ぬるばかりの水がながれて九月九日晴、八代町、萩原塘、吾妻屋(三五・中)私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の行き方はないのだ。
十一月一日晴、行程七里、もみぢ屋という宿に泊る。
『あきらめ』ということほど言い易くして行い難いことはない。
六月廿日(伊佐行乞)朝あけの道は山の青葉のあざやかさだ、昇る日と共に歩いた。
九月廿一日庵居第一日(昨日から今日へかけて)。
いつからともなく、どこからともなく、秋が来た。
三月十二日晴、春寒、笹鳴、そして出立――八幡。
七月廿八日六時すぎ出立、道はアスフアルトの一路坦々。
九月十一日広島尾道地方へ旅立つ日だ、出立が六時をすぎたので急ぐ、朝曇がだん/\晴れて暑くなる、秋日はこたえる、汗が膏のやうに感じられるほどだ。
八月八日五時半出立、はつらつとして歩いてゐたら、犬がとびだしてきて吠えたてた、あまりしつこいので※杖で一撃をくれてやつた、吠える犬はほんとうに臆病だつた。
其中日記は山頭火が山頭火によびかける言葉である。
禅門に「歩々到着」という言葉がある。
私は長いあいだ漬物の味を知らなかった。
御飯ができ、お汁ができて、そして薬缶を沸くようにしておいて、私は湯屋へ出かける。
あんまり早く起きたところで仕方がないから、それに今でもよく徹夜するほど夜更しをする性分の私だから、自分ながら感心するほど悠然として朝寝をする。
――私はその日その日の生活にも困っている。
私もどうやら思い出を反芻する老いぼれになったらしい。
新年句会には失敬しました、あれほど堅く約束していた事ですから、私自身は必ず出席するつもりでしたけれど、好事魔多しとやらで、飛んでもない邪魔が這入って、ああいうぐうたらを仕出来しました、何とも彼とも言訳の申上様もありません、ただただ恐縮の外ありません、新年早※ぐうたらの発揮なんぞは自分で自分に愛想が尽きます、といったところで、ぐうたらは何処まで行ってもぐうたら、何時になってもぐうたらで、それは私の皮膚の色が黒いのとおなじく、私の性であります、私自身さえ何うする事も出来ません、有体に白状しま...
昭和八年一月一日、私はゆうぜんとしてひとり(いつもひとりだが)こここうしてかしこまっていた。
禅門――洞家には『永平半杓の水』という遺訓がある。
ここへ移って来てから、ほんとうにのびやかな時間が流れてゆく。
いつぞや、日向地方を行乞した時の出来事である。
私もいつのまにやら五十歳になった。
井泉水氏は印象詩乃至象徴詩としての俳句について屡々語られた。
大の字に寝て涼しさよ淋しさよ一茶の句である。
物を弄ぶのはその物の真髄を知らないからである。
自分の道を歩む人に堕落はない。
現時の俳壇に対して望ましい事は多々あるが、最も望ましい事の一つは理解ある俳論の出現である。
私は木花よりも草花を愛する。
茶の花庵のまわりには茶の木が多い。
私には私らしい、庵には庵らしいお正月が来た。
熟した果実がおのずから落ちるように、ほっかりと眼が覚めた。
物を大切にする心はいのちをはぐくみそだてる温床である。
私は此頃自から省みて『私は砕けた瓦だ』としみじみ感ぜざるをえないようになった。
小春日和のうららかさ。
なんとなく春めいてきた、土鼠がもりあげた土くれにも春を感じる。
△今朝、思いがけなく本集をうけとりました。
其中一人として炎天山頭火七月十一日天気明朗、心気も明朗である。
五月一日晴――曇――雨。
この一篇は、たいへんおそくなりましたけれど、結庵報告書ともいうべきものであります。
六月三日(北九州行乞)一年ぶりに北九州を歩きまはるべく出立した、明けたばかりの天地はすが/\しかつた、靄のふかい空、それがだん/\晴れて雲のない空となつた、私は大股に歩調正しく歩いていつた。
八月廿八日星晴れの空はうつくしかつた、朝露の道がすが/\しい、歩いてゐるうちに六時のサイレンが鳴つた、庵に放つたらかしい(マヽ)おいた樹明君はどうしたか知ら!駄菓子のお婆さんが、よびとめて駄菓子を下さつた。
七月十四日ずゐぶん早く起きて仕度をしたけれど、あれこれと手間取つて七時出立、小郡の街はづれから行乞しはじめる。
一鉢千家飯山頭火□春風の鉢の子一つ□秋風の鉄鉢を持つ雲の如く行き水の如く歩み風の如く去る一切空五月十三日(室積行乞)まだ明けないけれど起きる、まづ日暦を今日の一枚めくり捨てゝから空模様を見る、有明月の明るさが好晴を保證してゐる。
五月廿八日廿九日澄太居柊屋。
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