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30分以内で読める田中貢太郎の短編作品

青空文庫で公開されている田中貢太郎の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編85作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(4,001〜12,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
1〜50件 / 全85件
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漁師の勘作はその日もすこしも漁がないので、好きな酒も飲まずに麦粥を啜(すす)って夕飯をすますと、地炉の前にぽつねんと坐って煙草を喫んでいた。
秀夫は凭(もた)れるともなしに新京橋の小さなとろとろする鉄の欄干に凭れて、周囲の電燈の燈(ひ)の映った水の上に眼をやった。
ぼつぼつではあるが街路の左右に点いた街路照明の電燈の燈(ひ)を見ると菊江はほっとした。
※建久九年十二月、右大将家には、相模川の橋供養の結縁に臨んだが、その帰途馬から落ちたので、供養の人びとに助け起されて館へ帰った。
館林の城下では女賊の噂で持ち切っていた。
新吉は公園の活動写真館の前を歩きながら、今のさき点いたばかりの白昼のような電燈の光に浮き出て見える群集の顔をじろじろ見ていたが、思い出したようにその眼を活動写真館の看板絵にやった。
宿の主将を対手にして碁を打っていた武士は、その碁にも飽いて来たので主翁を伴れて後の庭へ出た。
昼間のうちは石ばりをしたようであった寒さが、夕方からみょうにゆるんでいる日であった。
村の男は手ごろの河原石を持って岩の凹みの上で、剥(は)いだ生樹の皮をびしゃびしゃと潰していた。
ニコリフスクに恐ろしい殺戮の起った時分のことであった。
玄関の格子戸がずりずりと開いて入って来た者があるので、順作は杯を持ったなりに、その前に坐った女の白粉をつけた眼の下に曇のある顔をちょと見てから、右斜にふりかえって玄関のほうを見た。
谷崎潤一郎氏に人面疽のことを書いた物語がある。
大久保相模守は板倉伊賀守と床几を並べて、切支丹の宗徒の手入を検視していた。
赤インキの滲んだやうな暑い陽の光があつた。
夕月が射して虫が鳴いていた。
※「今日も負かしてやろうか」相場三左衛門はそう云ってから、碁盤を中にして己と向いあっている温泉宿の主翁の顔を見て笑った。
源吉は薄青い月の光を沿びて砂利の交つた砂路を歩いてゐた。
給仕女のお菊さんは今にもぶらりとやつて来さうに思はれる客の来るのを待つてゐた。
此の話は想山著聞奇集の中にある話である。
土佐の海岸にあった私の村には、もうその比洋行するような人もあって、自由主義の文化はあったが未だ日清戦役前の半農半漁の海村のことであるから、村の人の多くの心を支配したものは原始的な迷信であった。
至正丙戌の年のことである。
常陸と下総との間を流れた大利根の流れは、犬吠崎の傍で海に入っている。
水莽という草は毒草である。
ふと眼を覚ましてみると、電燈の光が微紅く室の中を照らしていた。
甚九郎は店に坐っていた。
唐の元和年中のことであった。
明治十七八年比のことであった。
務は電車の踏切を離れて丘の方へ歩いた。
火鉢に翳している右の手の甲に一疋の蠅が来て止った。
唐の高宗の時に柳毅という書生があった。
※(きれい)憲一は裏庭づたいに林の方へ歩いて往った。
魚容という秀才があった。
揚子江と灌水の間の土地では、蛙の神を祭ってひどく崇めるので、祠(ほこら)の中にはたくさんの蛙がいて、大きいのは籠ほどあるものさえある。
給仕女のお菊さんは今にもぶらりとやって来そうに思われる客の来るのを待っていた。
町の酒屋では壮い主人が亡くなったので、その日葬式を済まして、親類や手伝いに来て貰った隣の人びとに所謂涙酒を出し、それもやっと終って皆で寝たところで、裏門の戸をとんとんと叩く者があった。
昼飯がすむと、老婆は裏の藪から野菊や紫苑などを一束折って来た。
外から帰って来た平兵衛は、台所の方で何かやっていた妻を傍へ呼んだ。
盗尉部の小吏に美貌の青年があった。
土佐の国の東端、阿波の国境に近い処に野根山と云う大きな山があって、昔は土佐から阿波に往く街道になっていた。
宝蔵の短刀田中貢太郎御宝蔵方になった小松益之助は、韮生の白石から高知の城下へ出て来て与えられた邸へ移った。
日が暮れてきた。
肥後の菊池家に磯貝平太左衛門武行と云う武士があった。
秦郵という処に王鼎という若い男があったが、至って慷慨家で家を外に四方に客遊していた。
芝の青松寺で自由党志士の追悼会のあった時のことである。
元の天暦年間のことであった。
粤西に孫子楚という名士があった。
趙源は家の前へ出て立った。
明の末の話である。
乳色をしたグローブから漏れる朧夜の月の光を盛ったような電燈の光、その柔かな光に輪廓のはっきりした※(みは)な小さな顔をだした女給のお葉は、客の前の白い銚子を執って、にっと笑いながらぽっちり残っている盃(さかずき)に注いだ。
※(きれい)明治十七八年と云えば自由民権運動の盛んな時で、新思潮に刺戟せられた全国の青年は、暴戻な政府の圧迫にも屈せず、民権の伸張に奔走していた。
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