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古川緑波の全作品

青空文庫で公開されている古川緑波の全作品23篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜23件 / 全23件
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戦争に負けてから、もう十年になる。
箱根宮の下の富士屋ホテルは、われら食子にとって、忘れられない美味の国だった。
世の中が中々むづかしいのは、悧巧者が居過ぎるからなら有がたいが、実は馬鹿が多く居過ぎるためだからやりきれない。
昭和十四年一月一月一日(日曜)起床十二時。
前年記昭和十年は、浅草から丸の内へといふ、僕にとっての一大転機の年として記念すべき年であった。
昭和十三年一月一月一日(土曜)有楽座初日。
昭和三十三年一月一月一日(水曜)晴九時すぎに起され、入浴。
前年記昭和八年度は、活躍開始の記憶すべき年だった。
昭和十二年一月一月一日(金曜)雨かと思はれた天気も先づ元旦の薄陽ざし、十一時起き。
目下、僕は毎日、R撮影所へ通って、仕事をしている。
十二階があったころの浅草、といえば、震災前のこと。
大久保恒次さんの『うまいもん巡礼』の中に、「古川緑波さんの『色町洋食』という概念は、実に的確そのものズバリで」云々と書いてある。
※「おうなにしますか、それとも、ギュウがいいかい?」と、僕の祖母は、鰻を「おうな」牛肉を「ギュウ」と言った。
九月の日劇の喜劇人まつり「アチャラカ誕生」の中に、大正時代の喜歌劇(当時既にオペレットと称していた)「カフエーの夜」を一幕挿入することになって、その舞台面の飾り付けの打ち合せをした。
近頃では、アイスクリームなんてものは、年がら年中、どこででも売っている。
名古屋ってとこ、戦前から戦争中にかけて、僕は好きじゃなかった。
宇野浩二著『芥川龍之介』の中に、芥川龍之介氏が、著者に向って言った言葉、……君われわれ都会人は、ふだん一流の料理屋なんかに行かないよ、菊池や久米なんどは一流の料理屋にあがるのが、通だと思ってるんだからね。
よき日、よき頃のはなしである。
菊池先生の憶い出亡くなられた菊池寛先生に、初めてお目にかかったのは、僕が大学一年生の時だから、もう二十何年前のことである。
武者小路先生の近著『花は満開』の中に、「孫達」という短篇がある。
五月上旬から、六月へかけて、梅田コマスタジアムで「道修町」出演のため、大阪に滞在すること、約一ヶ月。
※もう僕の食談も、二十何回と続けたのに、ちっとも甘いものの話をしないものだから、菓子については話が無いのか、と訊いて来た人がある。
久しぶりで、神戸の町を歩いた。
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