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中谷宇吉郎の全作品

青空文庫で公開されている中谷宇吉郎の全作品165篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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第1図版[#改ページ]第2図版[#改ページ]第3図版[#改ページ]第4図版[#改ページ]第5図版[#改ページ]第6図版[#改ページ]第7図版[#改ページ]第8図版[#改ページ]第9図版[#改ページ]第10図版[#改ページ]第11図版[#改ページ]第12図版[#改ペー...
立春の時に卵が立つという話は、近来にない愉快な話であった。
今日は二百二十日だが、九月一日の関東大震災記念日や、二百十日から、この日にかけては、寅彦(とらひこ)先生の名言「天災は忘れた頃来る」という言葉が、いくつかの新聞に必ず引用されることになっている。
畏友Y兄から、いつか面白い言葉をきいたことがある。
私はごく普通のフランス風のサラダが好きである。
十一月四日は、たまたま函館にある北大の水産学部で、文化講義をする日になっていた。
ディズニイの『ピーター・パン』は、日本でもだいぶ好評だったらしいが、アメリカでも、たいへんな人気であった。
この話は、北大のY教授の研究室でなされた、鼠に湯治をさせる話である。
焔を撮る苦心物理の実験に、写真が広く応用されることは、周知のとおりである。
昭和十二年の七月、北支の蘆溝橋に起った一事件は、その後政府の不拡大方針にもかかわらず、目に見えない大きい歴史の力にひきずられて、漸次中支に波及して行った。
もう二十年くらいも昔の話であるが、大学を出てすぐの頃、私は理化学研究所(現在の科学研究所)へはいった。
私は温泉が非常に好きである。
アラスカ氷河の特徴アラスカの氷河は、景観の美しさという点では、世界第一といわれている。
われわれが日常ちゃんと決まった意味があるように思って使っている言葉の中には、科学的にはその意味が極めて漠然としたものがかなり沢山ある。
『猫』の寒月君『三四郎』の野々宮さんの話の素材が吉村冬彦(寺田寅彦)先生から供給されたものであるという話は、前に書いた通りである。
『猫』の寒月のモデルとして一般に信ぜられていた寺田寅彦先生が、昨年の暮押し迫って亡くなられた。
「もく星」号の遭難も、桜木町事件につぐ大悲惨事であった。
初めから汚い話で恐縮であるが、琵琶湖へ小便をしたら、水嵩はどれだけ変るかという問題がある。
第6圖ニセコ山頂の冬ごもり[#改丁]冬ごもり第7圖冬ごもりといえば、二米も三米もある深い雪に埋もれて、薄暗い部屋の中で炬燵にもぐり込んで、じっと春の來るのを待つような生活を考える人が多いであろう。
清潔・整頓・能率日露戦争のとき、東北の田舎の一農夫でロシア側の捕虜になった男があった。
昔、寺田(寅彦)先生が、よく「線香の火を消さないように」という言葉を使われた。
この頃反故を整理していたら、報告の下書の束が出て来た。
『大英百科事典』について、私は二つ美談を知っている。
御殿というのは、私の田舎に近い城下町の昔からの殿様の御殿のことである。
お握りには、いろいろな思い出がある。
人間の履歴を知るには、履歴書を見るのが一番早い。
石川県の西のはずれ、福井県との境近くに大聖寺という町がある。
雪を消す話第1圖大雪に埋れた農村わが國には昔から「六花豐年の兆」という言葉があって、大雪の年は豐作だといって喜んだものである。
コクのない内容NHKの教育テレビで、毎日曜日の午後、「日曜大学」というシリイズものを、一時間番組として、放送している。
カインの末裔の土地終戦の年の北海道は、十何年ぶりの冷害に見舞われ、米は五分作か六分作という惨めさであった。
ロフティングの『ドリトル先生アフリカ行』の中に、名前は忘れたが、アフリカでもめったに見られない珍獣中の珍獣ともいうべき動物の話が出ている。
もう十年前のことであるが、昭和十一年の秋に、北海道に大演習があり、天皇陛下が北海道に行幸されたことがあった。
もう十年以上も前のことであるが、まだ私が大学の学生として寺田先生の指導の下に物理の卒業実験をしていた頃の話である。
どうしたわけか、この近年、天下国家を論ずるような巡り合せに会うことが多く、身辺の雑事を書く機会が、ほとんどなかった。
十二月の初め頃、ちょっと用事があって、ワシントンへ出かけた。
人間の力で雨を降らそうという願望は、昔からどの国にもあった。
この話は寺田先生が航空船の爆発の原因を調査された時の研究室の内部の話である。
戦争前の話であるが、京橋のあたりに、K鮨という鮨屋があった。
昭和十九年の暮に、岩波文庫の一冊として『島津斉彬言行録』が出版された。
子供の頃読んだ本の中で、一番印象に残っているのは、『西遊記』である。
初めは慰み半分に手をつけて見た雪の研究も、段々と深入りして、算えて見ればもう十勝岳へは五回も出かけて行ったことになる。
別府の裏側、由布山系の峠を越したところに、由布院という盆地がある。
この十年あまり、海といえば太平洋岸の海しか見ていないのであるが、時々子供の頃毎年親しんだ日本海の夏の海を思い返してみると、非常に美しかったという思い出が浮んでくる。
昭和二十三年の冬、北海道の大雪山で雪の調査をしたことがある。
同窓の友人M君から自由学園学術叢書第一を贈られたので早速読んで見た。
英国の物理学は、少くも過去半世紀の発展について見ると、剣橋のキャベンディシュ研究所から生れたものといえよう。
天地創造の話というと、たいへん大袈裟なことになるが、一昨年即ち昭和十九年の夏から、北海道の片隅で、そういう異変が現実に起きているのである。
この頃ハンチントンの『気候と文明』が岩波文庫に出たので、前から読みたいと思っていた矢先、早速買って見たが、大変面白かった。
大分昔の話であるが、冬彦先生がある新聞に「角力の力学」というものを書かれたことがあるそうである。
ウィネツカは札幌と大体緯度が同じくらいで、風物にも似たところがある。
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