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30分以内で読める中谷宇吉郎の短編作品

青空文庫で公開されている中谷宇吉郎の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編89作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(4,001〜12,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
1〜50件 / 全89件
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立春の時に卵が立つという話は、近来にない愉快な話であった。
畏友Y兄から、いつか面白い言葉をきいたことがある。
ディズニイの『ピーター・パン』は、日本でもだいぶ好評だったらしいが、アメリカでも、たいへんな人気であった。
この話は、北大のY教授の研究室でなされた、鼠に湯治をさせる話である。
焔を撮る苦心物理の実験に、写真が広く応用されることは、周知のとおりである。
昭和十二年の七月、北支の蘆溝橋に起った一事件は、その後政府の不拡大方針にもかかわらず、目に見えない大きい歴史の力にひきずられて、漸次中支に波及して行った。
もう二十年くらいも昔の話であるが、大学を出てすぐの頃、私は理化学研究所(現在の科学研究所)へはいった。
私は温泉が非常に好きである。
われわれが日常ちゃんと決まった意味があるように思って使っている言葉の中には、科学的にはその意味が極めて漠然としたものがかなり沢山ある。
『猫』の寒月のモデルとして一般に信ぜられていた寺田寅彦先生が、昨年の暮押し迫って亡くなられた。
「もく星」号の遭難も、桜木町事件につぐ大悲惨事であった。
初めから汚い話で恐縮であるが、琵琶湖へ小便をしたら、水嵩はどれだけ変るかという問題がある。
第6圖ニセコ山頂の冬ごもり[#改丁]冬ごもり第7圖冬ごもりといえば、二米も三米もある深い雪に埋もれて、薄暗い部屋の中で炬燵にもぐり込んで、じっと春の來るのを待つような生活を考える人が多いであろう。
清潔・整頓・能率日露戦争のとき、東北の田舎の一農夫でロシア側の捕虜になった男があった。
この頃反故を整理していたら、報告の下書の束が出て来た。
『大英百科事典』について、私は二つ美談を知っている。
御殿というのは、私の田舎に近い城下町の昔からの殿様の御殿のことである。
人間の履歴を知るには、履歴書を見るのが一番早い。
石川県の西のはずれ、福井県との境近くに大聖寺という町がある。
雪を消す話第1圖大雪に埋れた農村わが國には昔から「六花豐年の兆」という言葉があって、大雪の年は豐作だといって喜んだものである。
カインの末裔の土地終戦の年の北海道は、十何年ぶりの冷害に見舞われ、米は五分作か六分作という惨めさであった。
ロフティングの『ドリトル先生アフリカ行』の中に、名前は忘れたが、アフリカでもめったに見られない珍獣中の珍獣ともいうべき動物の話が出ている。
もう十年以上も前のことであるが、まだ私が大学の学生として寺田先生の指導の下に物理の卒業実験をしていた頃の話である。
どうしたわけか、この近年、天下国家を論ずるような巡り合せに会うことが多く、身辺の雑事を書く機会が、ほとんどなかった。
この話は寺田先生が航空船の爆発の原因を調査された時の研究室の内部の話である。
戦争前の話であるが、京橋のあたりに、K鮨という鮨屋があった。
子供の頃読んだ本の中で、一番印象に残っているのは、『西遊記』である。
この十年あまり、海といえば太平洋岸の海しか見ていないのであるが、時々子供の頃毎年親しんだ日本海の夏の海を思い返してみると、非常に美しかったという思い出が浮んでくる。
昭和二十三年の冬、北海道の大雪山で雪の調査をしたことがある。
同窓の友人M君から自由学園学術叢書第一を贈られたので早速読んで見た。
英国の物理学は、少くも過去半世紀の発展について見ると、剣橋のキャベンディシュ研究所から生れたものといえよう。
天地創造の話というと、たいへん大袈裟なことになるが、一昨年即ち昭和十九年の夏から、北海道の片隅で、そういう異変が現実に起きているのである。
この頃ハンチントンの『気候と文明』が岩波文庫に出たので、前から読みたいと思っていた矢先、早速買って見たが、大変面白かった。
ウィネツカは札幌と大体緯度が同じくらいで、風物にも似たところがある。
実験室の記憶というのは、追憶という意味ではなく、犬などの記憶というのと同じ意味で、実験室が記憶力をもっているという話なのである。
私の中学時代は、大正の初めごろであって、明治時代の先生方とくらべたら、だいぶ文明開化になっていた。
震災で失ったものの中で、この頃になって、惜しいと思い出したものは九谷焼である。
地球が円いという話は、何も珍しいことではない。
アラスカ氷河の特徴アラスカの氷河は、景観の美しさという点では、世界第一といわれている。
この頃自然科学上の色々の問題が、文科系統の学問をしている人々の口に度々上っているようである。
ウィネッカの冬は寒い。
サントリーの鳥井信治郎さんとは、もう三十年越しのお近付きを願っている。
現代のわが国のもった最も綜合的な文化の恩人たる故寺田寅彦先生の全貌を語ることは、今日の日本のもつ教養の最高峰を語ることであって、単に物理学の部門での先生の一門下生たる自分などのなし得るところではないかも知れないが、何人がその任に当っても恐らく非常に困難なことであろう。
この頃新聞を見ていて気の付いたことは、スキーと雪の記事がこの数年来急に増してきたことである。
海坊主と人魂寅彦先生が亡くなられてから二度目の夏を迎えるが、自分は夏になると妙にしみじみと先生の亡くなられたことを感ずる。
伊豆の伊東の温泉の沖合に、大謀網が設置されていたころの話である。
先生の臨終の席に御別れして、激しい心の動揺に圧されながらも、私はやむをえぬ事情のために、その晩の夜行で帰家の途に就いた。
前著『日本のこころ』の中に、露伴先生の『仙書参同契』の解説をした文章を載せておいた。
寺田寅彦先生門下の中に、M君という私の友人がある。
シカゴの街は、大陸の真中にあるので、寒暑の差がいちじるしい。
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