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正宗白鳥の全作品

青空文庫で公開されている正宗白鳥の全作品36篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜36件 / 全36件
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暮れに、私の家の近所を散歩してゐると、東京工業大學の門前でカミュの『誤解』上演と記されたお粗末な紙看板が目にとまつた。
こんな珍しい話がありますよ。
町村の自治制が敷かれてから間もないころであつた。
洗足池畔の私の家の向ひは、東京近郊の桜の名所である。
杜若の蔭に金魚が動いてゐる。
君は古稀を過ぐる長き人間生活に於て、また半世紀に達する長き文壇生活に於て、敢て奇を弄せず環境に身を委ねて生存を持続されたり。
封筒の中には長いお札が疊み込まれてあつた。
吾人はアレキサンダー、シーザー、ナポレオンなど所謂英雄なる者の社会に存在したことを喜ばぬと共に、基督、釈迦、孔子など所謂聖人なる者の出現を謳歌せぬのである。
新婚旅行例年の如く、晩秋のこの頃は、黄ろい葉や紅い葉で色取られて、箱根の山は美しい。
長谷川伝次郎氏の『ヒマラヤの旅』には、二万尺以上の霊峰を跋渉した時の壮快な印象が記されている。
この土地には水が缺乏してゐる。
暦の上で何度新しき年を迎へても、心が新たになるのではない。
「自分に關しては、たゞ一つだけ確信してゐることがある。
「戀とは綺麗なことを考へて汚いことを實行するものだ。
私は先月末の大雪の後、輕井澤の快晴の眞晝の空を仰いで、言語に絶したやうな光景に心をひかれた。
私は日露開戰の前年、讀賣新聞社に入社して、滿七年間の勤務を續けたのであつたが受け持ちは、主として美術、文學方面の消息を傳へることと、作品の批評をすることで、演劇の批評もしてゐた。
明治三十年代だが、私が早稻田に學んでゐた時分、「學問の獨立」がこの學園の標語であるやうに、折に觸れて學校經營者から聞かされてゐた。
先夜室生犀星君の逝去を電話で最初に知らせて来た或る新聞記者は、同君についての私の感想を求めた。
日本は四面海に囲まれていながら、海洋の文学が乏しい。
私には子供がないから、學校の撰擇、入學の困難について心を惱ましたことがない。
このごろは淺間山もしきりに煙を噴いてゐる。
明治十年代の末期から二十年代へ掛けて、新時代の文學が芽生えたので、早稻田で文學部が創設され、早稻田文學が發刊された時分は、少數ではあつたが、若い文學愛好者の間には、清新な藝術氣分が、漂つてゐたのだ。
「でも、あたくし幸福だと思つてゐますのよ。
圓本續出の時代にはこの宣傳に利用されたためか、文學者の講演が盛んであつたが、このごろはあまり流行しなくなつた。
十二月中旬、私は法隆寺詣でをした。
「蓼(たで)喰(く)う蟲(むし)」以後の谷崎君の作品は、残りなく通読しているつもりでいたが、この「武州公秘話」だけにはまだ目を触れていないのであった。
私は發表する當てのないのに物を書いたことはない。
縁側に蹲んで、庭の樹の葉の隙間から空を仰ぐと、満月に近い月が、涼しさうに青空に浮んでゐる。
時節外れの寒い風が吹いた。
今から二十年あまりも前の事である。
「日本の文壇は今全く不良少年の手に落ちました。
この頃は回顧談が流行してゐる。
大至急話したいことがあるから、都合のつき次第早く來て下さいといふ母方の祖母さんの手紙を見ると、お梅はどんな大事件かと、夕餐の仕度を下女に任せて、大急ぎで俥(くるま)に乘つて、牛込から芝の西久保まで驅け付けた。
五月も末になつてゐるのに、火鉢の欲しいほどの時候外れの寒さで、雨さへ終日降りつゞいた。
長兄の栄一が奈良から出した絵葉書は三人の弟と二人の妹の手から手へ渡った。
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