書き出し
一葉女史はおのれと同じ園生にありて萩(はぎ)の舍(や)の露におほし立られし下葉なり萩(はぎ)の舍(や)中島の師は常にいにしへぶりのしなたかきを教さとし給へれど性來のすき心によの耳ちかく俗に今樣の情態をうつさばやの心あつく去年より武藏野に名はあれどにげ水のそこはかとなくかくろひてさのみしる人もなかりしを、今度一部の文として梓(おづさ)にのぼせ、公の評をも乞て、猶此後もこれに盡(つく)さんの料にせまほしとておのれに其(その)よしはし書してよとこはれぬかゝる方に心ふかうものし給へるを常にしたひむ...
初出
1892年
(「都の花 第九十五號」金港堂、1892(明治25)年11月20日)
底本
「都の花 第九十五號」金港堂, 1892(明治25)年11月20日