書き出し
五月の雉風の旅びとがこつそり尾根道を通るここはしずかな山の斜面一匹の雌きじが卵を抱いている青いハンカチのように夕明かりの中をよぎる蝶谷間をくだるせせらぎの音ふきやもぐさの匂いが天に匂う(どこからも鉄砲の音などきこえはしない)一番高い山の端に陽がおちる乳いろのもやが谷々からのぼつてくるやがて、うす化粧した娘のような新月がもやの中からゆつくりと顔を出す――今晩は、きじの...
初出
1955年
(風の中で歌う空つぽの子守唄「詩学」1955(昭和30)年1月号)
底本
「近代浪漫派文庫 29 大木惇夫 蔵原伸二郎」新学社, 2005(平成17)年10月12日