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牧野信一の全作品

青空文庫で公開されている牧野信一の全作品337篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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祖父の十七年の法要があるから帰れ――という母からの手紙で、私は二タ月ぶりぐらいで小田原の家に帰った。
「弾け!弾け!その手風琴で沢山だ。
博士フアウストは、哲学、医学、法律、神学その他あらゆる学問といふ学問を研究し尽してしまつて、もうその他には何もないのか?とおもふと、急にがつかりして、死んでしまはうと決心しました。
文科大学生の戸田の神経衰弱症が日増に亢進してゐる模様だつたので、私は彼を百合子に紹介した。
紀元前二百五年、始皇帝の秦は二世に滅びて、天下は再び曇り勝となつた。
回想父の十三回忌が一昨年と思はれ、たしかその歿後の翌年と回想される故指折れば早くも十星霜にあまる時が経ちしなり、故葛西善蔵氏が切りと余に力作をすゝめ、稿終るや氏は未読のまゝに故滝田哲太郎氏へおくられたるなり。
初歩ラテン・ギリシヤ語及び博物の机上研究を計劃します。
△「雑誌、随筆」を編輯すること。
一、最近注目した長篇(中篇)小説二、最近感心した短篇小説二、宮城聡「樫の芽生」、石浜金作「遁走記」。
十年前は阿佐ヶ谷に住んで居り、やはり目下と同様吶々と小説ばかり書いて居りました。
「秋・二日の話」――「或る日の運動」――「悪の同意語」――「貧しき日録」――「環魚洞風景」――「鏡地獄」――「秋晴れの日」――「極夜の記」等であります。
一、崇拝する偉人一、現存の人の裡世界第一の偉人と思惟する人一、右理由一、プラトー、シェイキスピア、ゲーテ一、アインシュタイン。
「F村での春」「西瓜喰ふ人」「鱗雲」「山を越えて」「昔の歌留多」「藪のほとり」「雪景色」以上七篇、生活の上ではかなり努力したつもりだが斯うして題名をかぞへて見ると大変に空虚を感じる。
井伏鱒二――いつか三田文学で「鯉」といふ作品を見て非常に感心した。
純文学雑誌の将来は従来の同人組織的要素が次第に濃厚となり、或は夫々の流派に依る、主義に依る、または友誼的結合に依る――等々の基礎が漸く堅固となり、各自々々に文芸王国を形成するかの如き状態に発展して行くのではなからうか。
一、貴方の最も愛せらるゝ小説・劇・映画の作中人物二、右愛せらるゝ理由一、樋口一葉『たけくらべ』の美登利。
一、最も印象に残つた作品二、最も活躍した人一、広津和郎「一時期」小島政二郎「眼中の人」室生犀星「弄獅子」以上五月までに読んだもの。
五日療養所にゐる病友に手紙を書く。
「唖者にも妻がある、彼自身に許されたる夢がある。
いつもカキ色のシヤツを着て牧場から町へ、フオード自動車を操って乳を運んでゐる村の牛乳屋の娘を僕は知つてゐる。
海野武二氏の批評に就いては、その観点の差異が全く対蹠的なものであり、不断抗議を述べるとならば寧ろ簡略に申しがたく、この場合は残念ながら黙つて通り過ぎるより他方法も見出せないのであります。
努めて考へても、問題に添ふべき纏つた考へは、どんなかたちに於ても浮んで来ない。
島崎藤村先生二十四位の時初めて同人雑誌に掲載した短篇を偶々先生からお手紙をもらつて認められ、その後半年ばかり経つて友人の長谷川浩三が白石実三氏から紹介状を貰つて呉れ、単独で訪問した。
今年発表した作品のうちでは次の三篇に幾分の好意を感ずる。
あちこちと出歩いて居りましたため御返事申おくれました。
大正八年の春書いた「爪」といふのが処女作であり同年の十二月号に「十三人」といふ同人雑誌に載り、それが偶然にも島崎先生より讃辞を頂いたことに就いては先生も或る文章の中に誌したので省略するが、それが十二月のことであり、日本橋の或る商店に寄食してゐた折から、私は暮から春の休みへかけて、秘かに原稿紙などを鞄に入れてひとりで熱海へ赴いたことを憶ひ出す。
一、趣味娯楽二、好物料理三、和洋装いづれを好まれますか四、御交友名二三五、今夏旅行御予定は?一、遠足、日本酒、オートバイドライブ。
自分からすゝんで占ひを観て貰つたことはないが、十七八歳の頃祖母が突然小生の面上のほくろを気にしはぢめて、占ひ者に謀り、何れと何れとを抹殺すべきかと二三を指摘し、さて占者は小生を静座せしめて、はたとその面を睨めて物凄い声で気合ひをかけた。
到底こゝには記し切れぬ程、生涯の自分の芸術の対照となすべく充分と思ふ程の病的心理がある――或日はさう思ふ。
一、昭和八年度文壇は貴下に如何なる感想を与へましたか二、本年中で発表された作品で最も印象に残つたものは何ですか二、あらためて振り返つて見ると、小生は今年あちこちと、さ迷ひ回つてゐたゝめに殆ど何も読まなかつたらしいのです。
どういふことを書いていゝか見当が付かない。
「山彦の街」を、前編だけで、完了し忘れたのを遺憾に思つてゐます。
四月四日電灯が消えたので思はず舌を打つた。
ゆうべ三四人の若い友達連と酔つ払つて踊つたり、早稲田の歌をうたつたりして、ブツ倒れたのは何でも三時頃だつたさうだが、そして七時頃起きてしまつたのだが、メマヒもしなければ頭も痛くない。
本篇は昭和八年十一月ごろの作であり、作者にとつては寧ろ近作の部に属するものであるが、既にしてこの作を前後とする四・五年間の一連の作品は作者にとつての小時代を劃して歴然たる過去の夢である。
ある先輩が経営することに決つた其鰤敷魚場は今月(十一月)から来年の六月迄房州の何某村(村名を今ちよいと失念した)で行はれる。
夕方六時半の汽車で東京へ帰る中戸川を送る。
自分は今、凝つと自分自身を瞶め得らるゝやうな気がして来た。
冬の朝の日差しが深々とした縁先で、去年のノートを拡げてゐると、不図、書きかけの手紙の一片が滾れ落ちた。
今年は、ほんの短いものまで数へて四篇位ひしか発表しなかつた。
滝本守夫が父親を失つた後の家庭上の紛争に取り囲まれながら異母妹のローラのアメリカからの訪れを待つてゐるうちに、友達の妹(森百合子)の家出の事などを中心にして彼方此方に様々な形の低気圧が起らうとしてゐる明るい海辺の村の面貌を写し来つたのです。
彼は、不断に巨大な都市の建設に余念がない。
僅々一枚か二枚の六号どうしても書けない、書けないといふ事を誇張するわけではない。
ふと、思つた――。
△銀座通りで夜更迄話した、「雑誌をやらう」と、それでも足りないで家へ帰つて夜明しなどした。
奥深い芸術の殿堂であつた。
四月に書いた「父を売る子」は思ひ出すだけでも閉口したが、此頃になつては澄んだ心で夢のやうな気がする。
今年の一月ごろから僕は持越の神経衰弱が、いよ/\あざやかになつて都会を離れなければならなかつた。
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