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原民喜の全作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている原民喜の全作品122篇を、おすすめ人気順で表示しています。

51〜100件 / 全122件
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遠くの低い山脈は無表情な空の下に連ってゐた。
昨夜あなたは田中英光のことを近々書くといっていたが、直接面識のあったあなたの書くものは面白いだろうと期待しています。
青空に風呂屋の煙突がはっきり聳えてゐた。
吉池の不機嫌は母と衝突してみてわかった。
二人は暑い日盛りを用ありげに歩いた。
ペン・クラブの一行に加わって私はこんど三年振りに広島を訪れた。
五年前のことである私は八月六日と七日の二日、土の上に横たわり空をながめながら寝た、六日は河の堤のクボ地で、七日は東照宮の石垣の横で――、はじめの晩は、とにかく疲れないようにとおもって絶対安静の気持でいた、夜あけになると冷え冷えして空が明るくなってくるのに、かすかなのぞみがあるような気もした、しかし二日目の晩は、土の上にじかに横たわっているとさすがにもう足腰が痛くてやりきれなかった。
日曜日のことでした、雄二の兄と兄の友達が鶴小屋の前で、鶴をスケッチしていました、雄二はそれを側で眺めながら、ひとりでこんなことを考えました……何んだい、僕だって描けますよ、鶴だって、犬だって、山の絵だって、駅だって、街の絵だって、みんな描けます、僕の眼にちゃんと見えるものなら、それをそのとおり描けばいいんだから、だからなんだって描けますよ、眼に見えないものだって、美しい美しい天国の絵だって、それもそのうち描けますよ雄二はだんだん素晴らしい気持になっていましたが、ふと何だか心配に...
森は雪におおわれて真白になりました。
二つの特輯が私の心を惹いた。
電車は恍惚とした五月の大気のなかを走った。
「狂気について」は昨年三田文学九月号の Essay on Man のために書いて頂いたものだが、それが標題とされ今度一冊の書物となり読み返すことの出来たのは、僕にとつてほんとに嬉しいことだつた。
四丁目の角で二人を見はぐれたのを幸と、川田はぐんぐん勝手な方向へ進んだ。
薇(ぜんまい)仕掛で畳の上を這ふ象の玩具はガリガリと厭な音を立てた。
紀元節に学校の式を休んで、翌日もまた学校を休んだ。
コレラが流行り出した。
父に連れられて高松から宇治への帰航の途中だった。
二年のB組の教室は、今しーんとして不思議な感激が満ちたまま、あっちでもこっちでも啜泣く声がきこえた。
空地へ幕が張られて、自動車の展覧会があった。
お前が凍てついた手で最後のマツチを擦つたとき焔はパツと透明な球体をつくり清らかな優しい死の床が浮び上つた誰かが死にかかつてゐる誰かが死にかかつてゐると、お前の頬の薔薇は呟いた。
飛行機を眺めてゐたら朝子の頬にぬらりと掌のやうな風が来て撫でた。
飯田橋のプラットホームは何と云ふ快い彎曲なのだらう。
東京から叔父が由三の家を訪ねて来たのは、今度叔父も愈々墓地を買ったのでそれの自慢のためだった。
広子は父が出て行くと毎日一人でアパートの六畳で暮した。
二晩ぐらゐ睡れないことがあると、昼はもとより睡れなかった。
疲れてゐるのに芳子の神経はたかぶってゐた。
重苦しい六時間の授業が終って、侃は一人で校門を出る。
A相手の声がコックだったので彼女は自分の声に潤ひと弾みとを加へた。
僕は外食に出掛けて行くため裏通りを歩いている。
十二月になると小さな街も活気づいて、人の表情も忙しさうになった。
何処かの邸の裏らしい芝生の傾斜が、窓のところで石崖になってゐた。
魔のひととき尾花の白い幻やたれこめた靄がもう今にも滴り落ちさうな冷えた涙のわきかへるわきかへるこの魔のひとときよとぼとぼと坂をくだり径をゆけば人の世は声をひそめキラキラとゆらめく泉笑まひ泣くあえかなる顔外食食堂のうた毎日毎日が僕は旅人なのだらうか驟雨のあがつた明るい窓の外の鋪道を外食食堂のテーブルに凭れて僕はうつとりと眺めてゐる僕を容れてくれ...
その少女は馬鹿なのか善良なのか、とにかく調子はづれの女だった。
三角形の平地を七つに岐れて流れる川は瀬戸内海に注いでゐた。
鶴見橋といふ名前があるからには、比治山に鶴が舞っていたのだらう。
昼わたしは熱があつて睡つてゐた。
この頃よく雨が降りますが、今日は雨のあがつた空にむくむくと雲がただよつてゐます。
私の父は四十年前に一度、家を建てたのだが、たま/\地震があって、少し壁や柱にすき間が出来ると、神経質の父は早速その新築の家をとり壊して、今度は根底から細心の吟味を重ねて非常に岩乗な普請にした。
落日湖のうへに、赤い秋の落日があつた。
潔が亡くなってから彼是一年になる。
人ががやがや家のうちに居た。
No more Hiroshima! これは二度ともう広島の惨禍を繰返すな、といふ意味なのだらうが、ときどき僕は自分自身にむかつて、かう呟く。
四五ニズムも今では想ひ出になってしまったが、ああ云ったものは何時の時代にも何処かで存在してゐるのではないかと僕には思はれる。
秋も大分深くなって、窓から見える芋畑もすっかり葉が繁った。
雁江の病室には附添ひの看護婦がゐた。
佐々木基一様御手紙なつかしく拝見しました。
私は「夏の花」「廃墟から」などの短編で広島の遭難を描いたが、あれを読んでくれた人はきまつたやうに、「あの甥はどうなりましたか」と訊ねる。
〈一九五一年武蔵野市〉夜あけ近く、僕は寝床のなかで小鳥の啼声をきいてゐる。
雪が溶けて、しぶきが虹になった。
前の晩、雄二は母と一緒に風呂桶につかつてゐると、白い湯気の立昇るお湯の面に、柱のランプの火影が揺れて、ふとK橋のことを思ひ出した。
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