ブンゴウサーチ
児童書版
TOP 宮本百合子 短編(10分以内)

10分以内で読める宮本百合子の短編作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている宮本百合子の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編271作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(2,001〜4,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
51〜100件 / 全271件
Tweet
作品名
著者
読了時間
人気
今日の雑誌ジャーナリズムは、大ざっぱにだけ眺めわたすと満目悉く所謂事変ものの氾濫である。
この一冊におさめられた八篇の小説は、それぞれに書かれた時期もちがい、それぞれにちがった時期の歴史をももっている。
いきなり斯うした手紙をさしあげるのを御許し下さいませ。
十一月十九日North Carolina と South Carolina との間を通る。
日本にこれまでブルジョワ民主主義が確立されていなかった。
一九五〇年度は、青少年の犯罪が一般の重大な関心をひいた。
写真機についての思い出は、大層古いところからはじまる。
私がアメリカに居りました時間は、ほんの短い一ヵ年と少し位の間でしたので、見聞といっても少のうございますの。
海辺の五時夕暮が静かに迫る海辺の五時白木の質素な窓わくが室内に燦く電燈とかわたれの銀色に隈どられて不思議にも繊細な直線に見える。
病みあがりの髪は妙にねばりが強くなって、何ぞと云ってはすぐこんぐらかる。
母かたの祖母も父かたの祖母も長命な人たちであった。
昔、明治の初期、若松賤子が訳した「小公子」は、今日も多くの人々に愛読されている。
玄関の横の少し薄暗い四畳半、それは一寸茶室のような感じの、畳からすぐに窓のとってあるような、陰気な部屋だった。
さて、いよいよモスクワも本物にあつくなって来た。
十二月二十六日の午後、毎日新聞社から電話がかかって来た。
あるがままの姿は決して心理でもなければ諷刺でもない伊藤整氏の近著『街と村』という小説集は、おなじ街や村と云っても、作者にとってはただの街や村の姿ではなく、それぞれに幽鬼の街、幽鬼の村である。
向島の堤をおりた黒い門の家に母方の祖母が棲んでいて、小さい頃泊りに行くと、先ず第一に御仏壇にお辞儀をさせられた。
時々考えると疑問になることがある。
ブルジュア・ジャーナリズムで行われるいろいろの懸賞募集の選は、いつも必ずブルジュア・ジャーナリズムの利害の見地でやられる。
○十一月になり、自分の心には、林町とああ云う関係にあると云うことが、次第に苦しい意識となって来た。
雨が降って寒い夕暮など、私はわざと傘を右に傾け、その方は見ないようにして通るのだ。
この一年あまりの間に日本の文化がどんなに新しく、そしてゆたかになったかということについては、いろいろの複雑な問題がある。
一九四九年の日本の夏は、勤労人民のすべてにとって、切実な生存擁護のためのたたかいの季節としてはじまった。
今朝は、家じゅうが目醒しで起きた。
皇帝と地主と資本家によって搾取が行われていた時代、ロシアの勤労階級の男は、教会の坊主から常に「お前らが此世でつかえなければならない主人は三人ある」と説教されていた。
この秋(昭和十八年)文展と殆ど同時に関西美術展というのが開催された。
人間には誰でも自分のことが一番面白いのだということがよくいわれている。
さほど長くない学生生活の間で、特に印象ふかかったことと云って何があるだろう。
だいぶ古いことですが、イギリスの『タイムズ』という一流新聞の文芸附録に『乞食から国王まで』という本の紹介がのっていました。
出版にインフレーションという流行ことばが結びつけて云われたことは、おそらく明治以来例のないことだったのではなかろうか。
好きな物語の好きな女主人公は一人ならずあるが、今興味をもっているのは、ロマン・ローランの長篇小説 The Soul Enchanted(魅せられた魂)の女主人公アンネットです。
さあ、いよいよメーデーが近づいたぞ!ソヴェト同盟のあらゆる工場・役場・学校の文化宣伝部委員たちは大忙しだ。
ほんとは一時間半もあれば充分見られるだろうと思って行ったのだ。
マクシム・ゴーリキイは一八六八年、日本の明治元年に、ヴォルガ河の岸にあるニージュニ・ノヴゴロドに生れました。
小学校は六年で卒業と私たちの頭に刻まれていた観念は、国民学校になると、八年制に改まる。
荒漠たる原野――殊に白雪におおわれて無声の呪われた様な高原に次第次第に迫って来る夜はまことに恐ろしいほど厳然とした態度をもって居る。
婦人の生活が頽廃しているということがいわれはじめて、暫くになった。
どんな作家でも、はじめて作品が雑誌なら雑誌に発表されたという意味での処女作のほかに、ほんとの処女作というのもおかしいが誰にもよまれず、永年のうちには書いた自分自身さえそのことは忘れてしまっているというような処女作がきっとあるだろうと思う。
ユリチャン、コレガオトーサマノ、ノッテイルフネデス。
この間日比谷の公会堂であった自由学園の音楽教育成績発表会へ行って、それについての様々な感想につれて、自分たちが小さかった頃の生活のうちに、音楽がもたらしたあれこれの情景をなつかしく思いおこした。
ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」と「アダノの鐘」は、日本の読者にもひろくよまれた。
作家や評論家というものが、女の生活についてどういう考えかたをしているかということは、一応わかりやすいことのようで案外めいめいにとってもわかりやすくない部分を内部にもっているのではないだろうか。
ヨーロッパ戦争後、世界に婦人労働者の数は非常にふえた。
これまでの日本の婦人は、よろこびも悲しみも自分のめぐり合わせとして孤立して生きて来た。
友達と火鉢に向いあって手をかざしていたら、その友達がふっと気づいたように、「ああ、一寸、これ御覧なさい。
人間として何か意味のある生活を生きぬきたいという極めて自然な望みと、現代の社会で私たちが生活して行かなければならないための生活の形というものとの間に、今日は実に深い矛盾がある。
私たち一般人の日常生活の内外に相関連する社会的現実は、この二三年益々複雑多岐、錯綜、紛乱を極めて来ている。
野上彌生子様私が女学校の五年生であった頃、多分読売新聞に御連載に成った「二人の小さいヴァガボンド」を、深い感銘を以て拝読して以来、御作はいつも、密接な心的関係を保って、今日に至っております。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。