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太宰治の全作品(4ページ目)

青空文庫で公開されている太宰治の全作品252篇を、おすすめ人気順で表示しています。

151〜200件 / 全252件
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鴎(かもめ)というのは、あいつは、唖(おし)の鳥なんだってね、と言うと、たいていの人は、おや、そうですか、そうかも知れませんね、と平気で首肯するので、かえってこっちが狼狽(ろうばい)して、いやまあ、なんだか、そんな気がするじゃないか、と自身の出鱈目を白状しなければならなくなる。
日本だけではないようである。
手招きを受けたる童子いそいそと壇にのぼりつ「書きたくないことだけを、しのんで書き、困難と思われたる形式だけを、えらんで創り、デパートの紙包さげてぞろぞろ路ゆく小市民のモラルの一切を否定し、十九歳の春、わが名は海賊の王、チャイルド・ハロルド、清らなる一行の詩の作者、たそがれ、うなだれつつ街をよぎれば、家々の門口より、ほの白き乙女の影、走り寄りて桃金嬢の冠を捧(ささ)ぐとか、真なるもの、美なるもの、兀鷹(はげたか)の怒、鳩(はと)の愛、四季を...
じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。
親という二字と無筆の親は言い。
所收――「懶惰の歌留多」「古典風」「ろまん燈籠」「貨幣」「隨筆―海・津輕地方とチエホフ・返事」この集には、あまい、ロマンチツクとでもいつたやうな匂ひの作品を選んでみた。
所收――「美少女」「春の盜賊」「誰も知らぬ」「善藏を思ふ」「盲人獨笑」「服裝について」「令孃アユ」「女神」久しく絶版になつてゐた創作集の中から、割に輕いタツチの小説を集めてみた。
イエスが十字架につけられて、そのとき脱ぎ捨て給いし真白な下着は、上から下まで縫い目なしの全部その形のままに織った実にめずらしい衣だったので、兵卒どもはその品の高尚典雅に嘆息をもらしたと聖書に録されてあったけれども、妻よ、イエスならぬ市井のただの弱虫が、毎日こうして苦しんで、そうして、もしも死なねばならぬ時が来たならば、縫い目なしの下着は望まぬ、せめてキャラコの純白のパンツ一つを作ってはかせてくれまいか。
所收――「十二月八日」「女生徒」「葉櫻と魔笛」「きりぎりす」「燈籠」「誰も知らぬ」「皮膚と心」「恥」「待つ」昭和十二年頃から、時々、女の獨り言の形式で小説を書いてみて、もう十篇くらゐ發表した。
所收――「葉」「列車」「I can speak」「姥捨」「東京八景」「みみづく通信」「佐渡」「たづねびと」「千代女」この短篇集を通讀なさつたら、私の過去の生活が、どんなものであつたか、だいたい御推察できるやうな、そのやうな意圖を以て編んでみた。
檀君の仕事の性格は、あまり人々に通じてゐない。
魚服記といふのは支那の古い書物にをさめられてゐる短かい物語の題ださうです。
所收――「風の便り」「新郎」「誰」「畜犬談」「鴎」「猿面冠者」「律子と貞子」「地球圖」昨年の夏に出版せられた創作集「千代女」の以後の作品を集めて、ただいま讀者にお贈りする。
この小説は、終戰後に仙臺の河北新報社から出版せられたものであるが、河北新報社が或る印刷技術の支障に依り、再版に手まどる樣子で、讀者の要望もある樣子だし、河北新報社出版部の宮崎泰二郎氏の好意ある了承のもとに、その再版を、岩月英男君にゆだねた。
所收――「猿面冠者」「ダス・ゲマイネ」「二十世紀旗手」「新ハムレツト」このたびの選集には、大戰中に再版できなかつた作品だけを收録した。
大井広介というのは、実にわがままな人である。
最初の創作集は「晩年」でした。
「純真」なんて概念は、ひょっとしたら、アメリカ生活あたりにそのお手本があったのかも知れない。
書房を展開せられて、もう五周年記念日を迎えられる由、おめでとう存じます。
叔母が五所川原にいるので、小さい頃よく五所川原へ遊びに行きました。
難破して、わが身は怒濤に巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、必死にしがみついた所は、燈台の窓縁である。
四月十一日。
所收――「玩具」「魚服記」「地球圖」「猿ヶ島」「めくら草紙」「皮膚と心」「きりぎりす」「畜犬談」「玩具」から「めくら草紙」に到る五篇は、私の第一創作集「晩年」から選び出した作品である。
所收――「兄たち」「愛と美について」「新樹の言葉」「老ハイデルベルヒ」「おしやれ童子」「八十八夜」「秋風記」「短篇集―ア、秋・女人訓戒・座興に非ず・デカダン抗議」「俗天使」「花燭」昭和十四年五月に「愛と美について」さうして、昭和十五年四月には「皮膚と心」が共に竹村書房より出版せられ、おのおの初版二千部くらゐを市場に送り、間もなく品切れとなつた樣子であるが、用紙不足の爲、竹村書房に於いても再版かなはず、この二つの創作集はしばらく、絶版同樣になつてゐたのである。
何ヲ書コウトイウ、アテ無クシテ、イワバオ稲荷サンノ境内ニポカント立ッテイテ、面白クモナイ絵馬眺メナガラ、ドウシヨウカナア、ト心定マラズ、定マラヌママニ、フラフラ歩キ出シテ、腐リカケタル杉ノ大木、根株ニマツワリ、ヘバリツイテイル枯レタ蔦(ツタ)一スジヲ、ステッキデパリパリ剥(ハ)ギトリ、ベツダン深キ意味ナク、ツギニハ、エイット大声、狐ノ石像ニ打ッテカカッテ、コレマタ、ベツダン高イ思念ノ故デナイ。
生れてはじめて本場所といふものを、見せてもらつたわけであります。
自分と同年同月同日に生れたひとに對して、無關心で居られるものであらうか。
田中君の作品に就いてよりも、まづ田中君の人間に就いてお知らせして置いたはうが、いまは、必要なやうに思ひますから、そのはうだけを、少し書きます。
ヨーロッパの近代人が書いた「キリスト伝」を二、三冊読んでみて、あまり感服できなかった。
いつも自分のところへ遊びに來てゐる人が、自分の知らぬまに、自分を批評してゐるやうな小論文を書いてゐるのを、偶然に雜誌あるひは新聞で見つけた時には、實に、案外な氣がするものである。
緒方氏の臨終は決して平和なものではなかったと聞いている。
甲州の御坂峠の頂上に、天下茶屋という、ささやかな茶店がある。
私は野暮な田舍者なので、詩人のベレエ帽や、ビロオドのズボンなど見ると、どうにも落ちつかず、またその作品といふものを拜見しても、散文をただやたらに行をかへて書いて讀みにくくして、意味ありげに見せかけてゐるとしか思はれず、もとから詩人と自稱する人たちを、いけ好かなく思つてゐた。
所收――「思ひ出」「ダス・ゲマイネ」「二十世紀旗手」「新樹の言葉」「富嶽百景」「餘瀝近事片々」「思ひ出」けふまで創作集が五册出てゐるから、それぞれの出版主にお願ひして、一册から一篇づつ拔き取ることを許してもらつた。
創作余談、とでもいったものを、と編輯者からの手紙にはしるされて在った。
正直に言うことに致しましょう。
私は先夜、眠られず、また、何の本も読みたくなくて、ある雑誌に載っていたヴァレリイの写真だけを一時間も、眺めていた。
文字を読みながら、そこに表現されてある音響が、いつまでも耳にこびりついて、離れないことがあるだらう。
文字を読みながら、そこに表現されてある音響が、いつまでも耳にこびりついて、離れないことがあるだろう。
ちかごろ、歴史的人物で興ふかきは、やはり、乃木大將である。
九月のはじめ、甲府からこの三鷹へ引越し、四日目の昼ごろ、百姓風俗の変な女が来て、この近所の百姓ですと嘘をついて、むりやり薔薇(ばら)を七本、押売りして、私は、贋物だということは、わかっていたが、私自身の卑屈な弱さから、断り切れず四円まきあげられ、あとでたいへん不愉快な思いをしたのであるが、それから、ひとつき経って十月のはじめ、私は、そのときの贋百姓の有様を小説に書いて、文章に手を入れていたら、ひょっこり庭へ、ごめん下さいまし、私は、このさきの温室から来ましたが、何か草花の球根でも、と言い...
男と女は、ちがうものである。
義務の遂行とは、並たいていの事では無い。
世の中の、どこに立つて居るのか、どこに腰掛けて居るのか、甚だ曖昧なので、學生たちは困つて居る。
私が弘前の高等學校にはひつてその入學式のとき、訓辭した校長は、たしか黒金といふ名前であつたと記憶してゐる。
先日、竹村書房は、今官一君の第一創作集「海鴎の章」を出版した。
先日、婦人公論のNさんがおいでになつて、「どうも、たいへん、つまらないお願ひで、いけませんが、」と言ひ、恩讐記といふテエマで數枚書いてくれないか、とおつしやつた。
おのれの行く末を思い、ぞっとして、いても立っても居られぬ思いの宵は、その本郷のアパアトから、ステッキずるずるひきずりながら上野公園まで歩いてみる。
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