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桑原隲蔵の全作品

青空文庫で公開されている桑原隲蔵の全作品26篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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この論文を讀む人は、更に大正十三年七月發行の『東洋學報』に掲載した、拙稿「支那人間に於ける食人肉の風習」(本全集第二卷所收)を參考されたい。
緒言一國の歴史を闡明するには、その一國の記録だけでは不足を免れぬ。
緒言日本と支那とは、いはゆる唇齒輔車相倚るべき國で、勿論親善の間柄でなければならぬ。
緒言私の講演題目は「支那の古代法律」と云ふのであります。
創建清眞寺碑は支那の陝西省西安府城學習巷の清眞寺内に在る。
數多き支那古今の人物の中に就いても、吾が氣に入つた人物といふと、一寸選擇に迷惑する。
この論文を讀む人は、更に大正十四年十二月發行の『白鳥博士還暦記念東洋史論叢』中に收めた拙稿「歴史上より觀たる南北支那」(本全集[#「桑原隲蔵全集」]第二卷所收)を參照ありたい。
司馬遷が支那の學者達に推奬される程、それ程の大歴史家であるかは、一の疑問と思ふ。
最近の新聞紙の報道によると、支那の宣統〔前〕帝は、宮廷所屬の宦官の不埒を怒り、彼等を一律に放逐して、爾後永遠に使役せぬといふ諭旨を發布されたといふことである。
如何なる宗教でも、他の國民の間に傳播して行く際には、その國民の有して居つた舊信仰と衝突するものである。
吾が輩は今支那の時事問題について格別の意見をもつて居らぬ。
文學博士那珂先生の卒去は實に突然の事で、吾輩は今猶夢の如く思ふ。
この論文を讀む人は、更に大正十四年十二月發行の『白鳥博士還暦記念東洋史論叢』中に收めた拙稿「歴史上より觀たる南北支那」を參照ありたい。
歳月流るるが如く、明治天皇の後登遐後、早一年を經た。
この論文を讀む人は、拙稿「紙の歴史」「カーター氏著『支那に於ける印刷の起源』」[#底本にはここに「(いづれも本全集第二卷所收)」とある]及び拙著『蒲壽庚の事蹟』(本全集[#「桑原隲蔵全集」]第五卷所收)に載せた、支那に於ける羅針盤の使用に關する記事を參照ありたい。
中華民國が成立してから殆ど一週年、黄龍旗が五彩旗と變つたと共に、支那人の辮髮も次第に散髮と變じ、清朝最後の皇帝であつた宣統帝すら、昨夏既に辮を解いたと傳へられて居る。
私は今後六囘に亙つて此の題目の下に、過去の支那に現はれた四人の大人物、即ち孔子・始皇帝・張騫・諸葛亮四人の事蹟を紹介せうと欲ふ。
本論大食人の通商西暦八世紀の初頃から、十五世紀の末に、ヨーロッパ人が東洋に來航する頃まで、約八百年の間は、アラブ人が世界の通商貿易の舞臺に立つて、尤も活躍した時代で、殊に西暦八世紀の後半に、Abb※s 王朝が縛達 Baghd※d に都を奠めて以來、彼等は海上から印度や支那方面の通商に尤も力を注いだ。
(一)先秦時代の書寫の材料(二)紙の發明(三)マホメット教國に於ける紙の傳播(上)(四)マホメット教國に於ける紙の傳播(下)(五)オーストリーのライネル太公爵の古紙蒐集(六)西本願寺所藏の古文書紙の發明は世界の文化に多大の貢獻をした。
支那四千年の史乘、始皇の前に始皇なく、始皇の後に始皇なし。
緒論個人に就いて觀察しても、一人一人にその個性がある樣に、國民なり民族なりにも、それぞれ特有の氣質性癖をもつて居る。
今日は元時代の蒙古人の話を申すのですが、諸君の中の多數は此學校で既に幾分東洋史も習つて居るだらうし、又中學校あたりで東洋史も習つたであらうから、元時代の蒙古人の話は大概知つて居るだらうと思ひます。
私の講演は「東西交通史上より觀たる日本の開發」といふ題目である。
私は明治四十三年四月の『藝文』に、「西安府の大秦景教流行中國碑』といふ論文を發表した。
(一)緒言毎年この六月に、弘法大師降誕會が主催となり、東西の碩學を聘して講演會を開き、大師の遺風餘徳を偲ぶといふことは、極めて結構な企と思ふ。
孝道は支那の國本で、又その國粹である。
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