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伊藤野枝の全作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている伊藤野枝の全作品81篇を、おすすめ人気順で表示しています。

51〜81件 / 全81件
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宛先東京市麹町区三番町六四第一福四萬館発信地千葉県夷隅郡御宿上野屋旅館今朝あなたへの手紙を出して仕舞ふと直ぐに仕事にかかるつもりで居りましたが、何んだかグルーミーな気持になつて仕舞つて、机の前に座るのがいやで仕方がありませんので、障子を開けてあすこから麦の穂を眺めながら、あなたの事ばかり考へて、五六本煙草を吸つて仕舞ふまで立つてゐました。
宛先東京市麹町区三番町六四第一福四萬館発信地千葉県夷隅郡御宿上野屋旅館今日私はあなたがおたちになる前に、二三日前からの私の我儘をお詫びして許して頂かうと思ひましたの。
□もう私が雑誌を譲り受けまして丁度一年になります。
□毎号々々意に満たないものばかり皆様にお目に懸けなければならないのを本当に残念に思ひます。
□五月の第一日曜日に茶話会を開きましたが事務所にお集り下すつたのは、内部の四人をのぞく他、多賀さんが一寸ゐらして下すつたのと岩野さんきりでした。
十月号掲載の岩野清子氏の「個人主義と家庭」と云ふ論文を読んで私は或る点については全く私の考へ方と同一であるのを見出したけれど他の方面に於いて私の考へてゐるのとは可なりに違つてゐることにおどろいた。
□「武者小路氏に」十二月号白樺の誌上で私が「世間知らず」を軽蔑してゐるさうだとのことをお書きになつたのを拝見して私は本当に意外に存じました。
私は、いつも同じ事をばかり云つてゐると思ふ人があるかもしれない。
とうに『恋愛と道徳』が単行になつて出る筈であつたが、あれだけでは一冊とするにはあまりに貧弱(量の上に於て)だと云ふ書店の意見から、その後雑誌(青鞜)で発表したエンマ・ゴルドマンの『婦人解放の悲劇』と『少数と多数』になほ新に『結婚と恋愛』とゴルドマンの小伝を加へてやうやく出すことにした。
野依秀一氏この人は、思つたよりも底の浅い人です。
もう二ヶ月待てばあなたは帰つて来る。
脚本を読んで見て私は殆んど手の出しやうのないのに驚いてしまつた。
六日――――雨だらうと思つたのに案外な上天気。
今、私の頭の中で二つのものが縺(もつ)れ合つて私をいろいろに迷はして居ります。
宛先東京市麹町区平河町発信地東京市外上駒込染井三二九辻方御手紙拝見いたしました。
在来の道徳の中でも一番婦人を苦めたものは貞操であるらしい。
生田さん、私たちは今回三百里ばかり都会からはなれて生活して居ります。
その手紙を町子が男の本箱の抽斗に見出した時に、彼女は全身の血がみんな逆上することを感じながらドキ/\する胸をおさへた。
八重子様本当に暫く手紙を書きませんでした。
青山菊栄様あなたの公開状は本当に、私には有りがたいものでした。
まずい朝飯をすますと登志子は室に帰っていった。
余程以前から先生に何か書いて見たい気はありましたけれども私の書いたものなんか御覧になるときつとまた、あの、「フン」と鼻の先で笑はれることだらうと思ひますと嫌気がさして書く気にはなれませんでした。
私と、辻との間に「別居」という話が持ち出されたのは、この頃の事ではないのです。
『女はしとやかでなくてはいけない、をとなしくなくてはいけない』と云ふ訓しへは甚だ結構な事です。
盗まれた祖母の実話『ね、お祖母さん、うちぢや、Aにも親類があるのでせう?』私は、祖母から彼方此方の親戚との関係を聞かされた時、ふと思ひ出してかう尋ねました。
関門の連絡船を降りる頃から登志子は連れのまき子や安子がいそいそと歩いていく後から重い足どりでずっと後れて歩いていった。
自分の信ずる事の出来る唯一のものは、やはり自分自身より他にはありません。
嘘言を吐くと云ふことは悪いことだと私達はずつと小さい時から教へられて来ました。
私がYを初めて見たのは、たしか米騒動のあとでか、まだその騒ぎの済まないうちか、よくは覚えていませんが、なにしろその時分に仲間の家で開かれていた集会の席ででした。
『本当にどうかして貰はないぢや困るよ、明日は是非神田の方に出掛けなきやならないんだからね』母親はさう云つて谷の生返事に、頻りに念を押してゐた。
不案内な道を教えられるままに歩いて古河の町外れまで来ると、通りは思いがけなく、まだ新らしい高い堤防で遮られている道ばたで、子供を遊ばせている老婆に私はまた尋ねた。
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