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寺田寅彦の全作品(3ページ目)

青空文庫で公開されている寺田寅彦の全作品285篇を、おすすめ人気順で表示しています。

101〜150件 / 全285件
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学校の昼の休みに赤門前の友の下宿の二階にねころんで、風のない小春日の温かさを貪るのがあの頃の自分には一つの日課のようになっていた。
連句で附句をする妙趣は自己を捨てて自己を活かし他を活かす事にあると思う。
この頃ピエル・ヴィエイという盲目の学者の書いた『盲人の世界』というのを読んでみた。
近頃鉄道大臣官房研究所を見学する機会を得て、始めてこの大きなインスチチュートの内部の様子をかなり詳しく知ることが出来た。
新玉の春は来ても忘れられないのは去年の東北地方凶作の悲惨事である。
石の階段を上って行くと広い露台のようなところへ出た。
せんだって、駿河湾北端に近い漁場における鰺(あじ)の漁獲高と伊豆付近の地震の頻度との間にある関係があるらしいということについて簡単な調査の結果を発表したことがあった。
十余年前に小泉八雲の小品集「心」を読んだことがある。
東トルキスタン東部の流砂の中に大きな湖水ロプ・ノールのあることは二千年昔のシナ人にはすでに知られていて、そのだいたいの形や位置を示す地図ができていたそうである。
われわれのように地球物理学関係の研究に従事しているものが国々の神話などを読む場合に一番気のつくことは、それらの説話の中にその国々の気候風土の特徴が濃厚に印銘されており浸潤していることである。
初めは四本足、次に二本足、最後に三本足で歩くものは何かというなぞの発明された時代には、今のように若い者がステッキなどついて歩く習慣はなかったものと思われる。
昭和七年十二月十三日の夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。
俗に明き盲というものがあります。
歌の口調がいいとか悪いとかいう事の標準が普遍的に定め得られるものかどうか、これは六かしい問題である。
朝早く目がさめるともうなかなか二度とは寝つかれない。
近ごろある地方の小学校の先生たちが児童赤化の目的で日本固有のおとぎ話にいろいろ珍しいオリジナルな解釈を付加して教授したということが新聞紙上で報ぜられた。
ことしの夏、信州のある温泉宿の離れに泊まっていたある夜の事である。
比較的新しい地質時代に日本とアジア大陸とは陸続きになっていて、象や犀(さい)の先祖が大陸からの徒歩旅行の果に、東端の日本の土地に到着し、現在の吾々の住まっているここらあたりをうろついていたということは地質学者の研究によって明らかになった事実である。
とんびに油揚をさらわれるということが実際にあるかどうか確証を知らないが、しかしこの鳥が高空から地上のねずみの死骸などを発見してまっしぐらに飛びおりるというのは事実らしい。
九州の武雄温泉で迎えた明治三十年の正月と南欧のナポリで遭った明治四十三年の正月とこの二つの旅中の正月の記憶がどういう訳か私の頭の中で不思議な聯想の糸につながれて仕舞い込まれている。
子供が階段から落ちてけがをした。
マルコポロの名は二十年前に中学校の歴史で教わって以来の馴染ではあったが、その名高い「紀行」を自分で読んだのはつい近頃の事である。
日常の環境の中であまりにわれわれに近く親しいために、かえってその存在の価値を意識しなかったようなものが、ひとたびその環境を離れ見失った時になって、最も強くわれわれの追憶を刺戟することがしばしばある。
ニュース映画は新聞紙上の報道記事の代用または補充として用いられるものと通例考えられているようであるが、この両者の間の本質的な差別の目標については、少なくも自分の知っているだけの範囲では、まだあまり立ち入った分析的考察が行なわれていないように思われる。
学問の研究は絶対自由でありたい。
プドーフキンやエイゼンシュテインらの映画の芸術的価値が世界的に認められると同時に彼らのいわゆるモンタージュの理論がだいぶ持てはやされ、日本でもある方面ではこのモンタージュということが一種のはやり言葉になったかのように見える。
九月二十四日、日曜日、空よく晴れて暑からず寒からず。
数年前までは正月元旦か二日に、近い親類だけは年賀に廻ることにしていた。
ほととぎすの鳴き声信州沓掛駅近くの星野温泉に七月中旬から下旬へかけて滞在していた間に毎日うるさいほどほととぎすの声を聞いた。
骨董趣味とは主として古美術品の翫賞に関して現われる一種の不純な趣味であって、純粋な芸術的の趣味とは自ずから区別さるべきものである。
一九三二年の夏の間に、シベリアの北の氷海を一艘(そう)のあまり大きくない汽船が一隊の科学者の探険隊を載せて、時々行く手をふさぐ氷盤を押し割りながら東へ東へと航海していた。
ある科学者で、勇猛に仕事をする精力家としてまた学界を圧迫する権威者として有名な人がある若いモダーンなお弟子に「映画なんか見ると頭が柔らかくなるからいかん」と言って訓戒したそうである。
(この一篇を書いたのは八月の末であった。
平一は今朝妹と姪(めい)とが国へ帰るのを新橋まで見送って後、なんだか重荷を下ろしたような心持になって上野行の電車に乗っているのである。
七月十七日朝上野発の「高原列車」で沓掛に行った。
ちょうど今から二十四年前の夏休みに、ただ一度ケーベルさんに会って話をした記憶がある。
熊本高等学校で夏目先生の同僚にSという○物学の先生がいた。
友人鵜照君、明けて五十二歳、職業は科学的小説家、持病は胃潰瘍である。
物理学は基礎科学の一つであるからその応用の広いのは怪しむに足らぬ。
明後日は自分の誕生日。
地名には意味の分らないのが多い。
二科会(カタログ順)有島生馬氏。
この音楽的映画の序曲は「パリのめざめ」の表題楽で始まる。
上野の動物園の象が花屋敷へ引っ越して行って、そこで既往何十年とかの間縛られていた足の鎖を解いてもらって、久しぶりでのそのそと檻(おり)の内を散歩している、という事である。
楽器の歴史は非常に古いものである。
郷里の家を貸してあるT氏からはがきが来た。
ずっと前からM君にゴルフの仲間入りをすすめられ、多少の誘惑は感じているが、今日までのところでは頑強に抵抗して云う事を聞かないでいる。
去年の十月だったか、十一月だったか、それさえどうしても思い出せない程にぼんやりした薄暗がりの記憶の中から、やっと手捜りに拾い出した、きれぎれの印象を書くのであるから、これを事実と云えば、ある意味では、やはり一種の事実であるが、またある意味では、いつか見た事のある悪夢の記録と同じ種類のものであって、決して厳密な意味の事実ではない。
三十年ほどの間すっかり俳句の世間から遠ざかって仮寝をしていた間に、いろいろな「新型式俳句」が発生しているのを、やっとこのごろ目をさましてはじめて気がついて驚いているところである。
私の宅の庭の植物は毎年色々な害虫のためにむごたらしく虐待される。
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