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寺田寅彦の全作品(5ページ目)

青空文庫で公開されている寺田寅彦の全作品285篇を、おすすめ人気順で表示しています。

201〜250件 / 全285件
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毎朝床の中でうとうとしながら聞く豆腐屋のラッパの音がこのごろ少し様子が変わったようである。
同一の事象に対する科学的の見方と芸術的の見方との分れる点はどこにあるだろう。
震災後復興の第一歩として行なわれた浅草凌雲閣の爆破を見物に行った。
毎朝起きて顔を洗いに湯殿の洗面所へ行く、そうしてこの平凡な日々行事の第一箇条を遂行している間に私はいろいろの物理学の問題に逢着する。
制服の処女評判の映画「制服の処女」を一見した。
昭和七年四月九日工学博士末広恭二君の死によって我国の学界は容易に補給し難い大きな損失を受けた。
暦の上の季節はいつでも天文学者の計画したとおりに進行して行く。
バイオリンやセロをひいてよい音を出すのはなかなかむつかしいものである。
なくなってまもない人の追憶を書くのはいろいろの意味で困難なものである。
十二月八日の晩にかなり強い地震があった。
現代の多くの人間に都会と田舎とどちらが好きかという問いを出すのは、蛙(かえる)に水と陸とどっちがいいかと聞くようなものかもしれない。
さわやかな若葉時も過ぎて、日増しに黒んで行く青葉のこずえにうっとうしい微温の雨が降るような時候になると、十余年ほど前に東京のSホテルで客死したスカンジナビアの物理学者B教授のことを毎年一度ぐらいはきっと思い出す。
デパートの夏の午後街路のアスファルトの表面の温度が華氏の百度を越すような日の午後に大百貨店の中を歩いていると、私はドビュシーの「フォーヌの午後」を思いだす。
十五年ほど前の夏休みに松原湖へ遊びに行った帰りの汽車を軽井沢でおり、ひと汽車だけの時間を利用してこの付近を歩いたことがあった。
物理学の学徒としての自分は、日常普通に身辺に起こる自然現象に不思議を感ずる事は多いが、古来のいわゆる「怪異」なるものの存在を信ずることはできない。
発病する四五日前、三越へ行ったついでに、ベコニアの小さい鉢を一つ買って来た。
帝展帝展の洋画部を見ているうちに、これだけの絵に使われている絵具の全体の重量は大変なものであろうと考えた。
四十年ほど昔の話である。
映画のスクリーンの平面の上に写し出される光と影の世界は現実のわれらの世界とは非常にかけはなれた特異なものであって両者の間の肖似はむしろきわめてわずかなものである。
少し肺炎の徴候が見えるようだからよく御注意なさい、いずれ今夜もう一遍見に来ますからと云い置いて医者は帰ってしまった。
俳句季題の分類は普通に時候、天文、地理、人事、動物、植物といふ風になつて居る。
物理学は元来自然界における物理的現象を取り扱う学問であるが、そうかと言って、あらゆる物理的現象がいつでも物理学者の研究の対象となるとは限らない。
ある忙しい男の話である。
花火一月二十六日の祝日の午後三時頃に、私はただあてもなく日本橋から京橋の方へあの新開のバラック通りを歩いていた。
明治十四年自分が四歳の冬、父が名古屋鎮台から熊本鎮台へ転任したときに、母と祖母と次姉と自分と四人で郷里へ帰って小津の家に落ちつき、父だけが単身で熊本へ赴任して行った。
一九〇九年五月十九日にベルリンの王立フリードリヒ・ウィルヘルム大学の哲学部学生として入学した人々の中に黄色い顔をした自分も交じっていた。
九月中旬の事であった。
世間ではもちろん、専門の学生の間でもまたどうかすると理学者の間ですら「相対性原理は理解しにくいものだ」という事に相場がきまっているようである。
ドイツの若い物理学者のLというのがせんだって日本へ遊びに来ていた。
夏休みが終って残暑の幾日かが続いた後、一日二日強い雨でも降って、そしてからりと晴れたような朝、清冽な空気が鼻腔から頭へ滲み入ると同時に「秋」の心像が一度に意識の地平線上に湧き上がる。
人間がその周囲の自然界の事物に対する知識経験の基になる材料は、いずれも直接間接に吾人の五感を通じて供給されるものである。
昭和九年九月十三日頃南洋パラオの南東海上に颱風の卵子らしいものが現われた。
子供の時分から病弱であった私は、物心がついてから以来ほとんど医者にかかり通しにかかっていたような漠然とした記憶がある。
車上「三上」という言葉がある。
科学の方則は物質界における複雑な事象の中に認められる普遍的な連絡を簡単な言葉で総括したものである。
今年は庭の烏瓜(からすうり)がずいぶん勢いよく繁殖した。
夢七月二十七日は朝から実に忙しい日であった。
はじめて煙草を吸ったのは十五、六歳頃の中学時代であった。
八月二十六日床を出でて先ず欄干に倚(よ)る。
若葉のかおるある日の午後、子供らと明治神宮外苑をドライヴしていた。
草をのぞく浅間火山のすそ野にある高原の一隅に、はなはだ謙遜なHという温泉場がある。
ことしは庭のからすうりがずいぶん勢いよく繁殖した。
亀井戸まで久しぶりで上京した友人と東京会館で晩餐をとりながら愉快な一夕を過ごした。
どこかへ旅行がしてみたくなる。
ハイディンガー・ブラッシ目は物を見るためのものである。
昭和九年八月三日の朝、駒込三の三四九、甘納豆製造業渡辺忠吾氏(二七)が巣鴨警察署衛生係へ出頭し「十日ほど前から晴天の日は約二千、曇天でも約五百匹くらいの蜜蜂が甘納豆製造工場に来襲して困る」と訴え出たという記事が四日の夕刊に出ていた。
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。
気分にも頭脳の働きにも何の変りもないと思われるにもかかわらず、運動が出来ず仕事をする事の出来なかった近頃の私には、朝起きてから夜寝るまでの一日の経過はかなりに永く感ぜられた。
煙突男ある紡績会社の労働争議に、若い肺病の男が工場の大煙突の頂上に登って赤旗を翻し演説をしたのみならず、頂上に百何十時間居すわってなんと言ってもおりなかった。
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