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30分以内で読める寺田寅彦の短編作品

青空文庫で公開されている寺田寅彦の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編134作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(4,001〜12,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
1〜50件 / 全134件
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私に親しいある老科学者がある日私に次のようなことを語って聞かせた。
「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳していることは事実である。
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙(な)ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。
ここに茶わんが一つあります。
「学位売買事件」というあまり目出度からぬ名前の事件が新聞社会欄の賑(にぎ)やかで無味な空虚の中に振り播(ま)かれた胡椒(こしょう)のごとく世間の耳目を刺戟した。
満員電車のつり皮にすがって、押され突かれ、もまれ、踏まれるのは、多少でも亀裂の入った肉体と、そのために薄弱になっている神経との所有者にとっては、ほとんど堪え難い苛責である。
昭和十年八月四日の朝、信州軽井沢千が滝グリーンホテルの三階の食堂で朝食を食って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。
近頃パリに居る知人から、アレキサンダー・モスコフスキー著『アインシュタイン』という書物を送ってくれた。
もう何年前になるか思い出せぬが日は覚えている。
人間文化の進歩の道程において発明され創作されたいろいろの作品の中でも「化け物」などは最もすぐれた傑作と言わなければなるまい。
大正十二年八月二十四日曇、後驟雨子供等と志村の家へ行った。
『文学』の編輯者から『徒然草』についての「鑑賞と批評」に関して何か述べよという試問を受けた。
八九歳のころ医者の命令で始めて牛乳というものを飲まされた。
アメリカのレビュー団マーカス・ショーが日本劇場で開演して満都の人気を収集しているようであった。
熊本第五高等学校在学中第二学年の学年試験の終わったころの事である。
地震の概念地震というものの概念は人々によってずいぶん著しくちがっている。
芸術家にして科学を理解し愛好する人も無いではない。
大垣の女学校の生徒が修学旅行で箱根へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が渓流に架したつり橋の上に並んだ。
昭和十年七月十一日午後五時二十五分頃、本州中部地方関東地方から近畿地方東半部へかけてかなりな地震が感ぜられた。
いつかある大新聞社の工場を見学に行ってあの高速度輪転機の前面を瀑布のごとく流れ落ちる新聞紙の帯が、截断され折り畳まれ積み上げられて行く光景を見ていたとき、なるほどこれではジャーナリズムが世界に氾濫するのも当然だという気がしないではいられなかった。
電車で老子に会った話中学で孔子や孟子のことは飽きるほど教わったが、老子のことはちっとも教わらなかった。
日本から南洋へかけての火山の活動の時間分布を調べているうちに、火山の名前の中には互いによく似通ったのが広く分布されていることに気がついた。
「当世物は尽くし」で「安いもの」を列挙するとしたら、その筆頭にあげられるべきものの一つは陸地測量部の地図、中でも五万分一地形図などであろう。
古代ギリシアの哲学者の自然観照ならびに考察の方法とその結果には往々現代の物理学者、化学者のそれと、少なくも範疇的には同様なものがあった。
峰の茶屋から第一の鳥居をくぐってしばらくこんもりした落葉樹林のトンネルを登って行くと、やがて急に樹木がなくなって、天地が明るくなる。
昭和九年三月二十一日の夕から翌朝へかけて函館市に大火があって二万数千戸を焼き払い二千人に近い死者を生じた。
涼しさは瞬間の感覚である。
山好きの友人から上高地行を勧められる度に、自動車が通じるようになったら行くつもりだといって遁(に)げていた。
これまでかつて猫というもののいた事のない私の家庭に、去年の夏はじめ偶然の機会から急に二匹の猫がはいって来て、それが私の家族の日常生活の上にかなりに鮮明な存在の影を映しはじめた。
東京××大学医学部附属病院、整形外科病室第N号室。
大正八年十二月五日晴金曜二、三日前から風心持であったが、前日は午前に気象と物理の講義があったから出勤した。
ウェルダアの桜大きな河かと思うような細長い湖水を小蒸気で縦に渡って行った。
大学の池のまわりも、去年の火事で、だいぶ様子が変わってしまった。
猫が庭へ出て用を便じようとしてまず前脚で土を引っかき小さな穴を掘起こして、そこへしゃがんで体の後端部をあてがう。
電車停留場のプラットフォームに「安全地帯」と書いた建札が立っている。
今日七軒町まで用達しに出掛けた帰りに久し振りで根津の藍染町を通った。
九月三日は朝方荒い雨が降った、やがて止んだが重苦しい蒸暑さがじりじりと襲って来た。
耳も目も、いずれも二つずつ、われわれの頭の頂上からほぼ同じ距離だけ下がった所に開いている。
パーロの嫁取り北極探検家として有名なクヌート・ラスムッセンが自ら脚色監督したもので、グリーンランドにおけるエスキモーの生活の実写に重きをおいたものらしいので、そうした点で興味の深い映画である。
明治二十年代の事である。
漫画とは何かという問に対して明確なる定義を下す事は困難であろう。
時の観念に関しては、哲学者の側でいろいろ昔からむつかしい議論があったようである。
一月中旬のある日の四時過ぎに新宿の某地下食堂待合室の大きな皮張りの長椅子の片すみに陥没して、あとから来るはずの友人を待ち合わせていると、つい頭の上近くの天井の一角からラジオ・アナウンサーの特有な癖のある雄弁が流れ出していた。
十二月三十一日、今年を限りと木枯しの強く吹いた晩、本郷四丁目から電車を下りて北に向うた忙がしい人々の中にただ一人忙がしくない竹村運平君が交じっていた。
二階の縁側のガラス戸のすぐ前に大きな楓(かえで)が空いっぱいに枝を広げている。
西洋では五月に林檎やリラの花が咲き乱れて一年中でいちばん美しい自然の姿が見られる地方が多いようである。
明治二十七八年の頃K市の県立中学校に新しい英語の先生が赴任して来た。
随筆は思ったことを書きさえすればよいのであるから、その思ったことがどれほど他愛のないことであっても、またその考えがどんなに間違った考えであっても、ただ本当にそう思ったことをその通り忠実に書いてありさえすればその随筆の随筆としての真実性には欠陥はないはずである。
始めてこの浜へ来たのは春も山吹の花が垣根に散る夕であった。
ただ取り止めもつかぬ短夜の物語である。
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