ブンゴウサーチ
児童書版
TOP 寺田寅彦 短編(10分以内)

10分以内で読める寺田寅彦の短編作品

青空文庫で公開されている寺田寅彦の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編90作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(2,001〜4,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
1〜50件 / 全90件
Tweet
作品名
著者
読了時間
人気
長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく、そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花を瓦斯の中で飛ばせる、するとその火花のところで始まった燃焼が、次へ次へと伝播して行く、伝播の速度が急激に増加し、遂にいわゆる爆発の波となって、驚くべき速度で進行して行く。
幾何学を教わった人は誰でもピタゴラスの定理というものの名前ぐらいは覚えているであろう。
理科教授につき教師の最も注意してほしいと思うことは児童の研究的態度を養成することである。
大気中の水蒸気が凍結して液体または固体となって地上に降るものを総称して降水と言う。
ある入学試験の成績表について数学の点数と語学の点数の相関を調べてみたことがあった。
新学年開始のこの機会に上記の題で何か書けという編輯員からの御注文である。
高浜さんとはもうずいぶん久しく会わないような気がする。
昼間陸地の表面に近い気層が日照のためにあたためられて膨張すると、地上一定の高さにおいては、従来のその高さ以下にあった空気がその水準の上側にはみ出して来るから、従ってそこの気圧が高くなる。
当らずさわらずの事を書こうとするとなかなか六かしい。
子供の時代から現在までに自分等の受けた科学教育というものの全体を引くるめて追想してみた時に、そのうちの如何なるものが現在の自分等の中に最も多く生き残って最も強く活きて働いているかと考えてみると、それは教科書や講義のノートの内容そのものよりも、むしろそれを教わった先生方から鼓吹された「科学魂」といったようなものであるかと思われる。
子規の追憶については数年前『ホトトギス』にローマ字文を掲載してもらったことがある。
自分が中村彝(つね)氏を訪問したのはあとにも先にもただ一度である。
幼い時に両親に連れられてした長短色々の旅は別として、自分で本当の意味での初旅をしたのは中学時代の後半、しかも日清戦争前であったと思うから、たぶん明治二十六年の冬の休暇で、それも押詰まった年の暮であったと思う。
ある日、浜町の明治座の屋上から上野公園を眺めていたとき妙な事実に気がついた。
暖かい縁に背を丸くして横になる。
昔シナで鐘を鋳た後にこれに牛羊の鮮血を塗ったことが伝えられている。
別役の姉上が来て西の上り端で話していたら要太郎が台所の方から自分を呼んで裏へ鴫(しぎ)を取りに行かぬかと云う。
芭蕉(ばしょう)の「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」はあまりに有名で今さら評注を加える余地もないであろうが、やはりいくら味わっても味わい尽くせない句であると思う。
影なき男一種の探偵映画である。
瀬戸内海はその景色の美しいために旅行者の目を喜ばせ、詩人や画家の好い題目になるばかりではありません。
物理学は他の科学と同様に知の学であって同時にまた疑いの学である。
人間というものが始めてこの世界に現出したのはいつ頃であったか分らないが、進化論に従えば、ともかくも猿のような動物からだんだんに変化して来たものであるらしい。
夕凪は郷里高知の名物の一つである。
永遠の緑この英国製映画を同類の米国製レビュー映画と比べると一体の感じが随分ちがっている。
木枯らしの夜おそく神保町を歩いていたら、版画と額縁を並べた露店の片すみに立てかけた一枚の彩色石版が目についた。
子規の自筆を二つ持っている。
「おおかた古を考うる事、さらに一人二人の力もてことごとく明らめ尽くすべくもあらず。
清楚な感じのする食堂で窓から降りそそぐ正午の空の光を浴びながらひとり静かに食事をして最後にサーヴされたコーヒーに砂糖をそっと入れ、さじでゆるやかにかき交ぜておいて一口だけすする。
「鴫突き」のことは前に何かの機会に少しばかり書いたことがあったような気がするが、今はっきり思い出せないし、それに、事柄は同じでも雑誌『野鳥』の読者にはたぶんまた別な興味があるかもしれないと思うからそういう意味で簡単にこの珍しい狩猟法について書いてみることとする。
昨年三月の「潮音」に出ている芭蕉(ばしょう)俳句研究第二十四回の筆記中に千川亭おりおりに伊吹を見てや冬ごもりという句について、この山の地勢や気象状態などが問題になっていて、それについていろいろ立ち入った研究があったようである。
フランスの絵入雑誌を見ていると、モロッコ地方の叛徒の討伐に関する写真ニュースが数々掲載されている。
子供の時分に世話になった医師が幾人かあった。
明治三十二年に東京へ出て来たときに夏目先生の紹介ではじめて正岡子規の家へ遊びに行った。
昔ギリシアの哲学者ルクレチウスは窓からさしこむ日光の中に踊る塵埃(じんあい)を見て、分子説の元祖になったと伝えられている。
安井氏の絵はだんだんに肩の凝りが解けて来たという気がする。
学校の昼の休みに赤門前の友の下宿の二階にねころんで、風のない小春日の温かさを貪るのがあの頃の自分には一つの日課のようになっていた。
連句で附句をする妙趣は自己を捨てて自己を活かし他を活かす事にあると思う。
この頃ピエル・ヴィエイという盲目の学者の書いた『盲人の世界』というのを読んでみた。
近頃鉄道大臣官房研究所を見学する機会を得て、始めてこの大きなインスチチュートの内部の様子をかなり詳しく知ることが出来た。
新玉の春は来ても忘れられないのは去年の東北地方凶作の悲惨事である。
石の階段を上って行くと広い露台のようなところへ出た。
せんだって、駿河湾北端に近い漁場における鰺(あじ)の漁獲高と伊豆付近の地震の頻度との間にある関係があるらしいということについて簡単な調査の結果を発表したことがあった。
十余年前に小泉八雲の小品集「心」を読んだことがある。
東トルキスタン東部の流砂の中に大きな湖水ロプ・ノールのあることは二千年昔のシナ人にはすでに知られていて、そのだいたいの形や位置を示す地図ができていたそうである。
われわれのように地球物理学関係の研究に従事しているものが国々の神話などを読む場合に一番気のつくことは、それらの説話の中にその国々の気候風土の特徴が濃厚に印銘されており浸潤していることである。
初めは四本足、次に二本足、最後に三本足で歩くものは何かというなぞの発明された時代には、今のように若い者がステッキなどついて歩く習慣はなかったものと思われる。
昭和七年十二月十三日の夕方帰宅して、居間の机の前へすわると同時に、ぴしりという音がして何か座右の障子にぶつかったものがある。
俗に明き盲というものがあります。
歌の口調がいいとか悪いとかいう事の標準が普遍的に定め得られるものかどうか、これは六かしい問題である。
朝早く目がさめるともうなかなか二度とは寝つかれない。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。