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幸田露伴の全作品

青空文庫で公開されている幸田露伴の全作品51篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全51件
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其木理美しき槻胴、縁にはわざと赤樫を用いたる岩畳作りの長火鉢に対いて話し敵もなくただ一人、少しは淋(さび)しそうに坐(すわ)り居る三十前後の女、男のように立派な眉をいつ掃いしか剃(そ)ったる痕の青々と、見る眼も覚むべき雨後の山の色をとどめて翠(みどり)の匂いひとしお床しく、鼻筋つんと通り眼尻キリリと上り、洗い髪をぐるぐると酷く丸めて引裂紙をあしらいに一本簪でぐいと留めを刺した色気なしの様はつくれど、憎いほど烏黒にて艶ある髪の毛の一ト綜(ふさ)二綜後れ乱れて、浅黒いながら渋気...
発端如是我聞上一向専念の修業幾年三尊四天王十二童子十六羅漢さては五百羅漢、までを胸中に蔵めて鉈(なた)小刀に彫り浮かべる腕前に、運慶も知らぬ人は讃歎(さんだん)すれども鳥仏師知る身の心耻(はず)かしく、其道に志す事深きにつけておのが業の足らざるを恨み、爰(ここ)日本美術国に生れながら今の世に飛騨の工匠なしと云(い)わせん事残念なり、珠運命の有らん限りは及ばぬ力の及ぶ丈ケを尽してせめては我が好の心に満足さすべく、且は石膏細工の鼻高き唐人めに下目で見られし鬱憤...
自努力は一である。
鼠頭魚は即ちきすなり。
大きい者や強い者ばかりが必ずしも人の注意に値する訳では無い。
世おのずから数というもの有りや。
千鍾の酒も少く、一句の言も多いといふことがある。
夜の雲夏より秋にかけての夜、美しさいふばかり無き雲を見ることあり。
墨子は周秦の間に於て孔子老子の學派に對峙した鬱然たる一大學派の創始者である。
題して悦楽という、その初めの章に悦を説き、次の章に楽を説くことによる。
道教は支那に於て儒教と佛教と共に鼎立の勢を爲してゐる一大教系であり、其分派も少からず、又其教義も少しづゝの異を有して居り、草率に其の如何なるものであるかを説き、且つ之を評論することは、もとより不可能の事に屬する。
侠客と一口に言つても徳川時代の初期に起つた侠客と其の以後に出た侠客とは、名は同じ侠客でも余程様子が違つて居るやうである。
ずっと前の事であるが、或(ある)人から気味合の妙な談を聞いたことがある。
今を距ること三十余年も前の事であった。
こう暑くなっては皆さん方があるいは高い山に行かれたり、あるいは涼しい海辺に行かれたりしまして、そうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送ろうとなさるのも御尤もです。
流鶯啼破す一簾の春。
八月六日、知々夫の郡へと心ざして立出ず。
骨董というのは元来支那の田舎言葉で、字はただその音を表わしているのみであるから、骨の字にも董の字にもかかわった義があるのではない。
二葉亭主人の逝去は、文壇に取っての恨事で、如何にも残念に存じます。
山岳の秀美や荘厳を受取って吾が心霊の怡悦と満足とを覚える場合はおのずから二つある。
一切の味は水を藉(か)らざれば其の味を発する能はず。
吾が友といつては少し不遜に當るかも知れないが、先づ友達といふことにして、淡島寒月といふ人は實に稀有な人であつた。
旅行に就いて何か経験上の談話をしろと仰ゃるのですか。
夜の隅田川の事を話せと云ったって、別に珍らしいことはない、唯闇黒というばかりだ。
震は亨(とほ)る。
わたくしの学生時代の談話をしろと仰ゃっても別にこれと云って申上げるようなことは何もございません。
人間には色々の仕草があるがつゞめて言へば、事に処すると、物に接するとの二ツになる、事に処すると云ふは、其処に生じて来た或る事情に対して、如何云ふ様に自分の態度を執るか、了見を定めるか、口を利くか、身体を動かすか、智慧を回らすか、力を用ふるかといふ事である。
寒月氏は今年七十歳を以て二月廿三日に永逝した。
時は明治四年、処は日本の中央、出船入船賑やかな大阪は高津のほとりに、釜貞と云へば土地で唯一軒の鉄瓶の仕上師として知られた家であつた。
此処に赤ン坊が生れたと仮定します。
いづれの邦にも古話といふものありて、なかなかに近き頃の小説家などの作り設くとも及びがたきおもしろみあるものなり。
東京と西京とは、飲食住居より言語風俗に至るまで、今猶頗(すこぶ)る相異なるものあり。
もしそれ真の意味に於(おい)て言を為せば、貧と富とは幸福と不幸福とに対して相即くところは無い。
当世の大博士にねじくり先生というがあり。
棊は支那に起る。
私は慶応三年七月、父は二十七歳、母は二十五歳の時に神田の新屋敷というところに生まれたそうです。
見るさえまばゆかった雲の峰は風に吹き崩されて夕方の空が青みわたると、真夏とはいいながらお日様の傾くに連れてさすがに凌(しの)ぎよくなる。
身には疾あり、胸には愁あり、悪因縁は逐えども去らず、未来に楽しき到着点の認めらるるなく、目前に痛き刺激物あり、慾(よく)あれども銭なく、望みあれども縁遠し、よし突貫してこの逆境を出でむと決したり。
その「アア詰らねえ、こう何もかもぐりはまになった日にゃあ、おれほどのものでもどうもならねえッ。
ガラーリ格子の開く音がした。
上野の春の花の賑ひ、王子の秋の紅葉の盛り、陸の東京のおもしろさは説く人多き習ひなれば、今さらおのれは言はでもあらなん。
そのここは甲州の笛吹川の上流、東山梨の釜和原という村で、戸数もいくらも無い淋(さみ)しいところである。
花のいろ/\幸田露伴梅梅は野にありても山にありても、小川のほとりにありても荒磯の隈にありても、たゞおのれの花の美しく香の清きのみならず、あたりのさまをさへ床しきかたに見さするものなり。
昭和二年七月の九日、午後一時過ぐるころ安成子の來車を受け、かねての約に從つて同乘して上野停車場へと向つた。
此一日其観見世間是滅法、欲求無尽涅槃処、怨親已作平等心、世間不行慾等事、随依山林及樹下、或復塚間露地居、捨於一切諸有為、諦観真如乞食活、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
上鳥が其巣を焚(や)かれ、獣が其窟をくつがえされた時は何様なる。
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