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伊藤左千夫の全作品

青空文庫で公開されている伊藤左千夫の全作品38篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜38件 / 全38件
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後の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。
市川の宿も通り越し、これから八幡という所、天竺木綿の大きな国旗二つを往来の上に交扠して、その中央に祝凱旋と大書した更紗の額が掛っている、それをくぐると右側の屑屋の家では、最早あかりがついて障子がぼんやり赤い、その隣りでは表の障子一枚あけてあるので座敷に釣ってあるランプがキラリと光を放っている、ほのくらい往来には、旅の人でなく、土地のものらしい男や婆さんやがのっそりのっそりあるいている、赤児をおぶった児供やおぶわないのや、うようよ槙屏(まきべい)の蔭に遊んでいる、荒物店の前では、荷馬車一台荷...
からからに乾いて巻き縮れた、欅(けやき)の落葉や榎(えのき)の落葉や杉の枯葉も交った、ごみくたの類が、家のめぐり庭の隅々の、ここにもかしこにも一団ずつ屯をなしている。
かこひ内の、砂地の桑畑は、其畝々に溜つてる桑の落葉が未だ落ちた許りに黄に潤うて居るのである。
一月十一日、この日曜日に天気であればきっと浅草へ連れて行くべく、四ッたりの児供等と約束がしてあるので、朝六時の時計が鳴ったと思うと、半窓の障子に薄ら白く縦に筋が見えてきた、窓の下で母人の南手に寝て居った、次の児がひょっと頭をあげ、おとッさん夜があけたよ、そとがあかるくなってきました、今日は浅草へゆくのネイ、そうだ今日はつれてゆくよ、今まで半ねぶりで母の乳房をくちゃくちゃしゃぶって居た末のやつが、ちょっと乳房を放して、おとッちゃん、あたいもいくんだ、あたいも連れていってよ、そうそうおまえも...
一月十日午前運動の為め亀井戸までゆき。
停車場で釣錢と往復切符と一所に市川桃林案内と云ふ紙を貰つて汽車へのツタ、ポカ/\暖い日であつたから三等車はこみ合つて暑かつたが二等車では謠本を廣げて首をふつて居る髯を見うけた。
糟谷獣医は、去年の暮れ押しつまってから、この外手町へ越してきた。
雨が落ちたり日影がもれたり、降るとも降らぬとも定めのつかぬ、晩秋の空もようである。
朝霧がうすらいでくる。
「満蔵満蔵、省作省作、そとはまっぴかりだよ。
○九月十日表具屋を呼びて是真筆朝顔の掛軸の表装仕直を命ず。
茅野停車場の十時五十分発上りに間に合うようにと、巌(いわお)の温泉を出たのは朝の七時であった。
吾郷里九十九里辺では、明治六年に始めて小学校が出来た。
貴墨拝見仕候、新に師を失いたる吾々が今日に処するの心得いかんとの御尋、御念入の御問同憾の至に候、それにつき野生も深く考慮を費したる際なれば、腹臓なく愚存陳じ申べく候正岡先生の御逝去が吾々のために悲哀の極みなることは申までもなく候えども、その実先生の御命が明治三十五年の九月まで長延び候はほとんど天の賜とも申すべきほどにて、一年か一年半は全く人の予想よりも御長生ありしことと存じ候、しかるを先生御生存中に充分研究すべきことも、多くは怠慢に付し去り、先生の御命もはや長いことはないと口に...
同人が各自、種々なる方面より見たる故先生をあらはさむことにつとむ考へて見ると實に昔が戀しい、明治三十三年の一月然かも二日の日から往き始めた予は、其以前の事は勿論知らぬのであるが、予が往き始めた頃はまだ頗る元氣があつたもので、食物は菓物を尤も好まれたは人も知つてゐるが、甘い物なら何でも好きといふ調子で、壯健の人をも驚かす位喰ふた、御馳走の事といつたら話をしても悦んだ程で、腰は立なくとも左の片肘を突いて體をそばだてゝゐながら、物を書く話をする、余所目にも左程苦痛がある樣には見えなかつた。
七月十五日は根岸庵の会日なり。
近来不良勝なる先生の病情片時も心にかからぬ事はない。
此頃は実に不快な天候が続く。
正岡君については、僕などあまりに親しかッたものですから、かえって簡単にちょっと批評するということ難かしいのです、そりゃ彼の人の偉いところやまた欠点も認めて居ないこともないのですが、どうも第三者の位置にあるよう、冷静な評論は出来ませんよ。
実際は自分が何歳の時の事であったか、自分でそれを覚えて居たのではなかった。
子規子の世を去るなり、天下の操觚者ほとんど筆を揃(そろえ)てその偉人たることを称す、子規子はいかなる理由によって偉人と称せられたるか、世人が子規子を偉人とするところの理由いかんと見れば、人おのおのその言うところを異にし、毫(ごう)も帰一するところあるなく、しこうしてただその子規子は偉人なりという点においてのみ、一致せるの事実を見たるは最も味うべき点なりとす。
子規画「左千夫像」(明治33年頃)吾が正岡先生は、俳壇の偉人であって、そしてまた歌壇の偉人である。
段ばしごがギチギチ音がする。
潤いのある歌と、味いのある歌と、そこにどういう差があるかと考えて見た。
表口の柱へズウンズシリと力強く物のさわった音がする。
麦搗も荒ましになったし、一番草も今日でお終いだから、おとッつぁん、熱いのに御苦労だけっと、鎌を二三丁買ってきてくるっだいな、此(この)熱い盛りに山の夏刈もやりたいし、畔草も刈っねばなんねい……山刈りを一丁に草刈りを二丁許り、何処の鍛冶屋でもえいからって。
秀麗世にならひなき二荒の山に紅葉かりせはやと思ひたち木の芽の箱をは旅路の友と頼みつゝ丙申の秋神無月廿日の午の後二時半と云ふに上野の山のふもとより※車にこそうち乘りけれいかはかり紅葉の色や深からん山また山のおくをわけなは赤羽さわらひ浦和大宮なと夢の間に打過て上野の國宇都宮[#「上野の國宇都宮」はママ]にそ日は暮にけるはる/\ときしやに訪へはや紅葉しゝ紅葉のかけの猶もまたるゝしはしやすろふ暇もなく烏羽玉の夜路をは馳りつゝ※車は直に日光山にこそ向ひにけれはや近し...
茶の湯の趣味を、真に共に楽むべき友人が、只の一人でもよいからほしい、絵を楽む人歌を楽む人俳句を楽む人、其他種々なことを楽む人、世間にいくらでもあるが、真に茶を楽む人は実に少ない。
近頃は、家庭問題と云うことが、至る所に盛んなようだ。
水田のかぎりなく広い、耕地の奥に、ちょぼちょぼと青い小さなひと村。
成東の停車場をおりて、町形をした家並みを出ると、なつかしい故郷の村が目の前に見える。
その日の朝であった、自分は少し常より寝過ごして目を覚ますと、子供たちの寝床は皆からになっていた。
臆病者というのは、勇気の無い奴に限るものと思っておったのは誤りであった。
君は僕を誤解している。
「や、矢野君だな、君、きょう来たのか、あそうか僕の手紙とどいて。
隣の家から嫁の荷物が運び返されて三日目だ。
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