書き出し
記者曰、一葉女史樋口夏子の君は明治五年をもて東京に生まれ、久しく中島歌子女史を師として今尚歌文を學ばる※(びん)傍、武藏野、都の花、文學界等の諸雜誌に新作小説多く見えぬ、(上)酒折の宮、山梨の岡、鹽山、裂石、さし手の名も都人の耳に聞きなれぬは、小佛さゝ子の難處を越して猿橋のながれに眩(めくる)めき、鶴瀬、駒飼見るほどの里もなきに、勝沼の町とても東京にての塲末ぞかし、甲府は流石に大厦高樓、躑躅(つつじ)が崎の城跡など見る處(ところ)のありとは言へど、汽車の便り...
初出
1895年
(「太陽 第壱卷第五號」博文館、1895(明治28)年5月5日)
底本
「太陽 第壱卷第五號」博文館, 1895(明治28)年5月5日