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萩原朔太郎の全作品

青空文庫で公開されている萩原朔太郎の全作品178篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜50件 / 全178件
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従兄萩原栄次氏に捧ぐ萩原君。
※私の情緒は、激情といふ範疇に屬しない。
[#ページの左右中央]北原白秋氏に捧ぐ[#改ページ]珍らしいものをかくしてゐる人への序文萩原の今ゐる二階家から本郷動坂あたりの町家の屋根が見え、木立を透いて赤い色の三角形の支那風な旗が、いつも行くごとに閃めいて見えた。
蠅(はえ)を叩(たた)きつぶしたところで、蠅の「物そのもの」は死にはしない。
散文詩について序に代へて散文詩とは何だらうか。
本書を書き出してから、自分は寝食を忘れて兼行し、三カ月にして脱稿した。
僕は昔から「人嫌い」「交際嫌い」で通って居た。
詩集の始にこの詩集には、詩六十篇を納めてある。
散文詩集『田舎の時計他十二篇』萩原朔太郎[表記について]●本文中、底本のルビは「(ルビ)」の形式で処理した。
蕪村や芭蕉(ばしょう)の俳句に関しては、近頃さかんに多くの研究文献が輩出している。
SENTIMENTALISMセンチメンタリズムの極致は、ゴーガンだ、ゴツホだ、ビアゼレだ、グリークだ、狂氣だ、ラヂウムだ、螢だ、太陽だ、奇蹟だ、耶蘇だ、死だ。
芥川龍之介氏とは、生前よく俳句の話をし、時には意見の相違から、激論に及んだことさへもある。
先月、中央亭で催された日本詩集の記念會で、僕がつまらぬことから腹を立て、會場をお騷がせしたことを謝罪する。
七月二十五日、自分は湯ヶ島温泉の落合樓に滯在してゐた。
自近代の抒情詩、概ね皆感覺に偏重し、イマヂズムに走り、或は理智の意匠的構成に耽つて、詩的情熱の單一な原質的表現を忘れて居る。
中原君の詩はよく讀んだが、個人としては極めて淺い知合だつた。
クリスマスとは何ぞや我が隣の子の羨ましきにそが高き窓をのぞきたり。
この頃になつて、僕は始めて芥川君の全集を通讀した。
初めてドストイェフスキイを讀んだのは、何でも僕が二十七、八歳位の時であつた。
ラムネラムネといふもの、不思議になつかしく愉快なものだ。
世田谷へ移つてから、新宿へ出る機會が多くなつた。
先に詩集「鐵集」で、これが最後の詩集であると序文した室生君は、いよいよ雜誌に公開して詩への告別を宣言した。
雜誌「文藝」に發表した僕の評論(詩に告別した室生犀星君へ)は、意外にも文壇の人々に反響した。
芥川君と僕との交際は、死前わづか二三年位であつたが、質的には可なり深いところまで突つ込んだ交際だつた。
白でないものは黒である。
朝鮮人あまた殺されその血百里の間に連なれりわれ怒りて視る、何の慘虐ぞ。
ちちのみの父を負ふものひとのみの肉と骨とを負ふものきみはゆくゆく涙をながしそのあつき氷を踏み夜明けむとするふるさとにあらゆるものを血まみれにする萩原朔太郎。
若山氏の死について、遺族の方から御通知がなかつた爲、僕はずつと遲く、最近になつて始めて知つたわけであつた。
私の友人、室生犀星の芸術とその人物に就いて、悉しく私の記録を認めるならば、ここに私は一冊の書物を編みあげねばならない。
先日大阪の知人が訪ねて来たので、銀座の相当な喫茶店へ案内した。
野のはて夕暮雲かへりてしだいに落ちくる夕雲雀の有心の調さへしづみゆけばかすかに頬(ほほ)うつ香ひありて夜の闇頒ちて幕くだる。
明治三十五年○鞦韆のさゆらぎ止まぬ我が庭の芭蕉卷葉に細し春雨ひと夜えにしおち椿ふみては人のこひしくて春日七日を惓(うん)じぬる里流れ來て加茂川さむき春のよひ京の欄人うつくしきあけぼのの花により來しそぞろ道そぞろあふ人皆うつくしき松落葉ふみつつ行けば里ちかし朝靄みちにうすれうすれゆく朝ゆくに人目涼しき濱や濱小靴玉靴漣のあと明治三十六年○...
いすらへるよりかへりわれはゆきのうへにたちぬ。
ほつねんなれば魚にとへしんじつなれば耶蘇にとへ。
夕ぐれてほの痒くなる指のさき坂をくだれば一群の鳥は高きをすぎ行けり。
つゆしものうれひはきえず、わづかなるつちをふむとて、あなうらをやぶらせたまふ。
竹は直角、人のくびより根が生え、根がうすくひろごり、ほのかにけぶる。
洞窟の壁にふんすゐあり、さかづきをあぐる一聯(れん)のひと、秋ちかければ玻璃ながれ、空氣は谷間をくだる。
君はそれとも知らざれど我が手に持てる草ばなの薄くにじめる涙にも男ごころのやるせなき愁の節はこもりたり。
からたちの垣根の中に女のはしやぐ聲のする夕餉の葱のにほひする灯ともしごろからたちの垣根を過ぐる侘しさよ。
青くしなへる我が指のリキユールグラスにふるるとき生れつきとは思へども侘しく見ゆる爪形をさしも憎しと思ふなり。
きみがやへばのうす情けほのかににほふたそがれに遠見の松を光らしめ遠見の櫻を光らしめ浪は浪浪きみがかたへと。
青いぞ、ゆきはまつさを、もも、さくらぎに花咲かず、青いこなゆき、光る山路に泣きくらす。
うすらさびしき我が身こそ利根の河原の石ひろひひとり岸邊をさまよひて今日も小石をひろふほど七つ八つとなりにけり。
ふるへる、微光のよるに、いつぱつ、ぴすとるを撃つ、遠方に、金の山脈、かすかな、黒曜石の發光。
いつしんなれば、あふむけに屍體ともなる、つめたく合掌し、いんよくいちねん、きりぎりす青らみ、もはら、雀みそらに殺さる。
わが草木とならん日にたれかは知らむ敗亡の歴史を墓に刻むべき。
やはらかい、土壤の上に、じつと私が坐つて居る、涙ぐましい日だまりに、白い羽蟲のちらちらもえ、遠い春日のちらちらもえ。
霜つききたり木ぬれをそむるとおもひしものを庭にあづまやの遠見をそめうすべにさせる魚をそめわかるるきみのくちをそめ。
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