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水上滝太郎の全作品

青空文庫で公開されている水上滝太郎の全作品26篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜26件 / 全26件
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八月三十一日の夕方、朔日から学校の始まるちいさい子供達を連れて、主人夫婦は東京に帰る事になり、由井ヶ浜の曲淵の別荘には、九人の人数が残る事になった。
一の夥しい煤煙の爲めに、年中どんよりした感じのする大阪の空も、初夏の頃は藍の色を濃くして、浮雲も白く光り始めた。
相原新吉夫婦が玉窓寺の離家を借りて入ったのは九月の末だった。
政治家、實業家、役人、軍人、教育家、いろいろちがつた職業に從事してゐる第一流と呼ばれる人間に逢つても、頭の下る人は皆無に候處、兎角はきちがへた人間の多い小説の作家の中に、永井先生をみる事は欣喜至極に御座候。
此の集收むるところの作品の過半は今日までに發表したる余の作品中最も厭ふべく忌むべきものと自おもへるところのものにしていづれは昨日の事の悔まれぬはなきが中にもかゝる作品を出せし事は就中余の不快とするところなり。
古代希臘アゼンスに於ては、人民の快とせざるものある時、其の罪の有無を審判することなく、公衆の投票によりて、五年間若くは十年間國外に追放したりといふ。
大正七年一月新聞記者を憎むの記三田文學一月先生大阪毎日新聞二月汽車の旅三田文學三月ベルフアストの一日三田文學五月「八千代集」を讀む三田文學六月汽車の旅三田文學七月愚者の鼻息三田文學八月「その春の頃」の三田文學八月...
この無題の小説は、泉先生逝去後、机辺の篋底に、夫人の見出されしものにして、いつ頃書かれしものか、これにて完結のものか、はたまた未完結のものか、今はあきらかにする術なきものなり。
大正元年の秋北米合衆國に渡り同三年の初夏の頃迄東部マサチュセツ州ケムブリツヂの學校町の下宿の二階に一年あまりを送つた間に書いたものを集めて一册とした。
「幻の繪馬」讀後の感想是非とも申述度存居候ひし處、先頃來健康勝れず臥床勝にて到底期日迄に書上げ候事覺束なく被存候まゝ、乍殘念今囘は御斷り申上候。
大正元年の秋海外の旅に出しより余の永井荷風先生に見えざる事既に久しく、昨年十月歸朝以來常にお目にかかり度くおもひながら、機を得ずして遂に今日に及びたりしが、この度「文明一周年の辭」を讀みて更に痛切に余の先生に見えざる事久しきをおもへり。
泉鏡花先生は、天賦の才能を以て、極めて特異な思想感情を、あますところなく文字に表現し盡しておかくれになつた。
私の子供の頃のことであるが、往来を通る見ず知らずの馬車の上の人や車の上の人におじぎをして、先方がうっかり礼をかえすと、手をうって喜ぶいたずらがあった。
自分の第二小説集「その春の頃」は、大正元年の秋自分が渡米した後で、第一集「處女作」に續いて突然出版の運びになつた。
吾々の時代の多過ぎる程多數の作家の中で、古典として尊重せらるべき作品を後世に殘す人が幾人あるかを想ふ度に、自分は自分自身をも含ませてなさけ無い心持になるのを禁じる事が出來無い。
「お母さん、私は何處から生れて來たの。
富士の嶺はをみなも登り水無月の氷のなかに尿垂るとふ與謝野寛氏の歌だ。
田山花袋氏は里見※さんを評して「大正の鏡花」と呼んで居る。
人をつかまへて親切めかして忠告するのは、人をつかまへて無責任に罵倒するのと同じ位いい氣持なものである。
岡田夫人から「八千代集」を頂いた。
たださへ夏は氣短になり勝なのに全身麻醉をかけられて、外科手術をした後の不愉快な心持は、病院を出てから一週間にもなるのに、未だに執念深く殘つて居る。
久保田万太郎君と自分とのおつきあひも既に十年になつた。
おもいもかけない大地震は、ささやかな彼の借家と、堂々たる隣の家との境界を取払ってしまった。
お屋敷の子と生まれた悲哀を、しみじみと知り初めたのはいつからであったろう。
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