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芥川竜之介の全作品(7ページ目)

青空文庫で公開されている芥川竜之介の全作品360篇を、おすすめ人気順で表示しています。

301〜350件 / 全360件
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成瀬君君に別れてから、もう一月の余になる。
赤沢雑木の暗い林を出ると案内者がここが赤沢ですと言った。
お宗さんお宗さんは髪の毛の薄いためにどこへも縁づかない覚悟をしてゐた。
これは近頃Nさんと云う看護婦に聞いた話である。
この手紙は印度のダアジリンのラアマ・チャブズン氏へ出す手紙の中に封入し、氏から日本へ送って貰うはずである。
西洋の幽霊――西洋と云つても英米だけだが、その英米の小説に出て来る、近頃の幽霊の話でも少ししませう。
薄暗き硝子戸棚の中。
変遷万法の流転を信ずる僕と雖(いへど)も、目前に世態の変遷を見ては多少の感慨なきを得ない。
石敢当今東光君は好学の美少年、「文芸春秋」二月号に桂川中良の桂林漫録を引き、大いに古琉球風物詩集の著者、佐藤惣之助君の無学を嗤(わら)ふ。
樫井の戦いのあったのは元和元年四月二十九日だった。
松江へ来て、まず自分の心をひいたものは、この市を縦横に貫いている川の水とその川の上に架けられた多くの木造の橋とであった。
………僕は何でも雑木の生えた、寂しい崖の上を歩いて行った。
僕は或早春の夜、富士見町の細川侯の舞台へ金春会の能を見に出かけた。
野呂松人形を使うから、見に来ないかと云う招待が突然来た。
大学生の中村は薄い春のオヴァ・コオトの下に彼自身の体温を感じながら、仄暗い石の階段を博物館の二階へ登っていった。
我文部省の仮名遣改定案は既に山田孝雄氏の痛撃を加へたる所なり。
自分が中学の四年生だった時の話である。
中学の三年の時だった。
「死者生者」「文章倶楽部」が大正時代の作品中、諸家の記憶に残つたものを尋ねた時、僕も返事をしようと思つてゐるうちについその機会を失つてしまつた。
たね子は夫の先輩に当るある実業家の令嬢の結婚披露式の通知を貰った時、ちょうど勤め先へ出かかった夫にこう熱心に話しかけた。
秋夜火鉢に炭を継がうとしたら、炭がもう二つしかなかつた。
中村武羅夫君これは君の「随筆流行の事」に対する答である。
×芸術家は何よりも作品の完成を期せねばならぬ。
ある雪上りの午前だった。
離れで電話をかけて、皺(しわ)くちゃになったフロックの袖を気にしながら、玄関へ来ると、誰もいない。
僕は、船のサルーンのまん中に、テーブルをへだてて、妙な男と向いあっている。
大谷川馬返しをすぎて少し行くと大谷川の見える所へ出た。
清閑「乱山堆裡結茅蘆已共紅塵跡漸疎莫問野人生計事窓前流水枕前書」とは少時漢詩なるものを作らせられた時度たびお手本の役をつとめた李九齢の七絶である。
鏡自分は無暗に書物ばかり積んである書斎の中に蹲(うづくま)つて、寂しい春の松の内を甚だらしなく消光してゐた。
〔八月〕二十七日朝床の中でぐずついていたら、六時になった。
霹靂一声一九二六年四月二十日水曜日の朝端しなくも東京に発表せられしロイテル電報は政治社会及商業社会に少なからぬ畏懼と激動とを与へぬ報は火曜日の夜日本領瓜(〔ママ〕)哇発にて其文左の如し今午後の事也昨朝当港に碇泊せる仏国東洋艦隊に属せる一水兵は我太平洋艦隊なる香取の一水兵と珈琲店に於て争論を引き起し其場に居合せたる日仏両国の水兵は各々其味方をなし果は双方打擲に及び剰へ其処に掲げられし御神影は微塵にうち毀たれ簷頭に樹立せられし日本国旗は散々に寸断されぬ仏国...
「浅草の永住町に、信行寺と云う寺がありますが、――いえ、大きな寺じゃありません。
良平はある雑誌社に校正の朱筆を握っている。
これは孝子伝吉の父の仇(あだ)を打った話である。
講堂で、罹災民慰問会の開かれる日の午後。
※昔々、バグダツドのマホメツト教のお寺の前に、一人の乞食が寝て居りました。
私が、遠洋航海をすませて、やつと半玉(軍艦では、候補生の事をかう云ふのです)の年期も終らうと云ふ時でした。
上それはこの宿の本陣に当る、中村と云ふ旧家の庭だつた。
夏目先生は書の幅を見ると、独り語のように「旭窓だね」と云った。
彼は若い愛蘭土人だった。
僕は重い外套にアストラカンの帽をかぶり、市ヶ谷の刑務所へ歩いて行った。
上友だち処でね、一つ承りたい事があるんだが。
鼠一等戦闘艦××の横須賀軍港へはいったのは六月にはいったばかりだった。
前置きこれは三年前支那に遊び、長江を溯(さかのぼ)った時の紀行である。
御降り今日は御降りである。
「――黄大癡といえば、大癡の秋山図をご覧になったことがありますか?」ある秋の夜、甌香閣を訪ねた王石谷は、主人の※南田(うんなんでん)と茶を啜(すす)りながら、話のついでにこんな問を発した。
千八百八十年五月何日かの日暮れ方である。
ある曇った初夏の朝、堀川保吉は悄然とプラットフォオムの石段を登って行った。
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