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30分以内で読める与謝野晶子の短編作品

青空文庫で公開されている与謝野晶子の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編36作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(4,001〜12,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
1〜36件 / 全36件
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日本人は早く仏教に由って「無常迅速の世の中」と教えられ、儒教に由って「日に新たにしてまた日に新たなり」ということを学びながら、それを小乗的悲観の意味にばかり解釈して来たために、「万法流転」が人生の「常住の相」であるという大乗的楽観に立つことが出来ず、現代に入って、舶載の学問芸術のお蔭で「流動進化」の思想と触れるに到っても、動もすれば、新しい現代の生活を呪詛して、黴(かび)の生えた因習思想を維持しようとする人たちを見受けます。
私は女子の生活が精神的にも経済的にも独立することの理想に対して、若い婦人の中の識者から反対説が出ようとは想像しませんでした。
人の性情にも体質にも万人共通の点即ち類性と、個人独得の点即ち個性とがあります。
従来は貞操という事を感情ばかりで取扱っていた。
或会社の技師をしている工学士某氏の妻が自分に対する苛酷を極めた処置に堪えかねて姑を刺したという故殺未遂犯が近頃公判に附せられたので、その事件の真相が諸新聞に現れた。
本誌の此號に「與謝野晶子氏に呈す」と云ふ一文が載つて居ります。
現在の文部大臣中橋氏はこれまでの伴食大臣とちがって、教育界の現状を憂慮する誠実と、それを改造する意志とを多分に持っておられるように見え、そのうえ、改造を断行する実力をも兼備されているように思われます。
十一月十三日きゆうきゆうと云ふ音が彼方でも此方でもして、何処の寝台ももう畳まれて居るらしいので、わたしも起きないでは悪いやうな気がして蒲団の上に坐つた。
三月七日机の前に坐ると藍色の机掛の上に一面に髪の毛の這つて居るのが日影でまざまざと見えた。
私は近く今年の四月から、女子教育に対して、友人と共にみずから一つの実行に当ろうと決心しました。
自室から出ましてね、廊下の向うの隅に腰を掛けて車丁に、『わたしは巴里へ行くのよ。
このたびの三府一道三十余県という広汎な範囲にわたって爆発した民衆の食糧騒動は天明や天保年間の飢饉時代に起ったそれよりは劇烈を極めて、大正の歴史に意外の汚点を留めるに到りました。
みだれ髪君事なく着きし電報はすぐ打たせ候ひしかど、この文は二日おくれ候。
行うということ働くということは器械的である。
汽車で露西亞や獨逸を過ぎて巴里へ來ると、先づ目に着くのは佛蘭西の男も女もきやしやな體をして其姿の意氣な事である。
人類が連帯責任の中に協力して文化主義の生活を建設し、その生活の福祉に均霑することが、人生の最高唯一の理想であると私は信じています。
私は貞操を最も尊重し、貞操を最も確實堅固な基礎の上に据ゑたいために此一文を書きます。
お幸の家は石津村で一番の旧家でそして昔は大地主であつた為めに、明治の維新後に百姓が名字を拵(こしら)へる時にも、沢山の田と云(い)ふ意味で太田と附けたと云はれて居ました。
二月に入って俄(にわ)かに普通選挙の運動が各地に起り出しました。
わたしは未だ病院の分娩室に横になつて居る。
浦潮斯徳を出た水曜日の列車は一つの貨車と食堂と三つの客車とで成立つて居た。
一木博士を主務大臣とする内務省が突如として私娼絶滅の実行に取掛ったことは最近の奇異な現象である。
雛(ひな)の節句の晩に男の子を挙げてまだ産屋に籠っている私は医師から筆執る事も物を読む事も許されておりません。
去年の十一月に大阪朝日新聞社が主催となって関西婦人連合大会を大阪に開いたことは、多数の保守的な婦人団体を現代的に覚醒させるために、確かに一つの好い刺激になったと思います。
良人は昨日来た某警察署の高等視察のした話をSさんにして居ました。
私たち日本婦人は一九一九年において破天荒な刺戟を受けました。
私は少しばかり政治について所感を述べようと思います。
陸軍軍医正の藤井氏と東京音楽学校助教授の環女史との離婚が、新聞紙の上で趣味の相違から生じた離婚だとか、陸軍と芸術との衝突だとか大袈裟に報道せられ、これについて諸先生方の御批評なども見えております。
二人は先刻クリシイの通で中食して帰つて来てからまだ一言も言葉を交さない。
婦人教育の推移我国の婦人界は人の視聴を引く鮮かな現象に乏しいので毎年同じほどの平調な経過を取って行くように思われますけれど、七、八年前の婦人界を顧みて比較するとその変化の非常なのに驚かれます。
トルストイ翁に従えば、女は自身の上に必然に置かれている使命、即ち労働に適した子供を出来るだけ沢山生んでこれを哺育しかつ教育することの天賦の使命に自己を捧(ささ)げねばならぬと教えられ、またエレン・ケイ女史に従っても女の生活の中心要素は母となることであると説かれる。
人生は静態のものでなくて動態のものであり、それの固定を病的状態とし、それの流動を正統状態として、常に動揺変化の中にあるものであるということは説明の必要もないことですが、戦後の世界は戦前においてさまで優勢でなかった思想が勃興し初めたために、経済的、政治的、社会的のいずれの方面においても、これまでになかった急激な動揺変化を生じて、それがために人間の思想と実際生活とは紛糾に紛糾を重ねようとしています。
西の京三本樹のお愛様にこのひと巻をまゐらせ候あきうたたねの夢路に人の逢ひにこし蓮歩のあとを思ふ雨かな美くしき女ぬすまむ変化もの来よとばかりにさうぞきにけり家七室霧にみなかす初秋を山の素湯めで来しやまろうど恋はるとやすまじきものの物懲にみだれはててし髪にやはあらぬ船酔はいとわかやかにまろねしぬ旅あきうどと我とのなかに白百合のしろき畑のうへわたる青鷺づれのをかしき夕わかき日のやむごとなさ...
私たちは個人として、国民として、世界人としてという三つの面を持ちながら、それが一体であるという生活を意識的に実現したい。
改造ということは最も古くして併せて最も新らしい意味を持っています。
*私は平生他人の議論を読むことの好きな代りに自ら議論することを好まない。
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