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10分以内で読める豊島与志雄の短編作品

青空文庫で公開されている豊島与志雄の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編57作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(2,001〜4,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
1〜50件 / 全57件
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一七八九年七月バスティーユ牢獄の破壊にその端緒を開いたフランス大革命は、有史以来人類のなした最も大きな歩みの一つであった。
むかし、関東地方を治めてゐた殿様がありまして、江戸に住んでゐられました。
昔は、逢魔の刻というのがいろいろあった。
月清らかな初夏の夜、私はA老人と連れだって、弥生町の方から帝大の裏門をはいり、右へ折れて、正門の方へぬけようとした。
時の区劃から云えば、正子が一日と次の日との境界であるけれども、徹夜する者にとっては、この境界は全く感じられない。
横須賀の海岸に陸から橋伝いに繋ぎとめられ、僅かに記念物として保存されている軍艦三笠を、遠くから望見した時、私は、日本海大海戦に勇名を馳せた軍艦のなれのはてに、一種の感懐を禁じ得なかった。
大正十二年の夏、私は深瀬春一君と北海道を旅し、九月一日には函館の深瀬君の家にいた。
北海道胆振国に、洞爺湖という湖水がある。
私の二階の書斎は、二方硝子戸になっているが、その硝子戸の或る場所に、夜になると、一匹の守宮が出て来る。
私は今茲に作品の倫理的批評に就いて一二のことを云ってみたい。
五月末の或る晴れやかな日の午後四時頃、私は旧友N君と一緒に、帝国大学の中の大きな池の南側にある、小高いテラースの上の、藤棚の下の石のベンチに腰掛けていた。
――長いあいだ汽車の機関手をしていた人が、次のような話をきかせました。
私は友人の画家と一緒に夜の街路を歩いていた。
五月頃から私の家の縁先に、大きい一匹の蝦蟇が出た。
私達六七人の男女が、或る夏、泳げるのも泳げないのもいっしょになって、遠浅の海で遊んでいた。
梅花の感じは、気品の感じである。
秋と云えば、人は直ちに紅葉を連想する。
私の家の東側は、低い崖地になっている。
私は或る秋の初め、日光の奥の湯元温泉に約二週間ばかり滞在していた。
広々とした平野である。
海の潮にも似たる干満を、私は自分の情意に感ずる。
或る一つの文学作品中の主要人物について例えば五人の画家にその肖像を描かせるとすれば、恐らくは、可なり異った五つの肖像が得られるだろう。
或る刑務所長の話に依れば、刑期満ちて娑婆に出た竊盗囚が再び罪を犯すのは、物に対する「欲しい」という感情からよりも、「惜しい」という感情からのことが多いという。
猫は唯物主義だと云われている。
煙草煙草の好きな某大学教授が、軽い肺尖カタルにかかった。
女人といっても、老幼美醜、さまざまであるが、とにかく、女性として関心のもてる程度の、年配と容貌とをそなえてる方々のことなのであって――。
事変下の文学について、改めて文学の実体ということが問題になってきた。
春を想うと、ただもやもやっとした世界の幻が浮んでくる。
庭の中に、桃の木があった。
それを二十世紀的と云おうと、現代と云おうと、或は新時代と云おうと、言葉はどうでもよろしいが、過去と現在との間に一種の距離を感じ、歴史の必然的なるべき推移のうちに一種の飛躍を感ずる、そういう時代に吾々は在る。
愉快な話というものは、なかなかないものだ。
むかし、世の中にいろんな神が――風の神や水の神や山の神などいろんな神が、方々にたくさんいた頃のこと、ある所に一人の長者が住んでいました。
自由主義は、行動方針の問題ではなくて、生活態度の問題である。
バルザックは「砂漠の情熱」という短篇のなかで、砂漠をさ迷う一兵士が一頭の雌豹に出逢い、生命を賭したふざけ方をしながら数日過すことを、描いている。
少しく距離をへだてた人家の、硝子戸のある窓や縁先から、灯火のついている室内を眺めると、往々、おかしなことを考える。
――皆さんは、人間の身体は右と左とまったく同じだと、思っていますでしょう。
八月の中旬、立秋後、朝夕の微風にかすかな凉味が乗り初める頃、夜の明け方に、よく雨が降る。
月評をして、あらゆる情実より脱せしめよ。
四五年前から、戯曲を書いて見たまえって、周囲の友人に度び度びすすめられたことがあったんです。
夜の東京の、新宿駅付近や、上野不忍池付近は、一種のジャングル地帯だと言われる。
ある所に、五右衛門というなまけ者がいました。
戦災の焼跡の一隅に、大きな石が立っていた。
君は舞踏病という病気を知っていますか。
私の仕事と世の中とのつながり。
内に漲る力、中から盛りあがってくる精神が、新たな建設には必須の条件である。
その昔、といっても日華事変前頃まで、所謂土手の小林は、吾々市井の酒飲みにとって、楽しい場所だった。
むかし、ペルシャに大変えらい学者がいました。
忙中の小閑、うっとりと物思いに沈む気分になった時、いたずらにペンを執って、手紙でも書いてみようという、そんな相手はないものだろうか。
仕事をするつもりで九十九里の海岸に来て、沼や川や磯を毎日飛び廻ってるうちに、頭が潮風にふやけてしまって、仕事はなかなかはかどらず、さりとて東京へ帰る気もしないで、一日一日をぼんやり過してるうちに、もういつしか初秋になっていた。
クロポトキンは、チェーホフについて次のようなことを云っている。
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