浜辺に立って、沖の方を見ながら、いつも口笛を吹いている若者がありました。
浜辺に立って、沖の方を見ながら、いつも口笛を吹いている若者がありました。
余録菅公を讒言して太宰の権帥にした、基経の大臣の太郎、左大臣時平は、悪逆無道の大男のように思わ...
余録菅公を讒言して太宰の権帥にした、基経の大臣の太郎、左大臣時平は、悪逆無道の大男のように思われて居る。
昭和三十五年三月三十一日いつだつたか新聞に蓮の研究で有名な大賀博士が府中の大国魂神社のすばらし...
昭和三十五年三月三十一日いつだつたか新聞に蓮の研究で有名な大賀博士が府中の大国魂神社のすばらしい欅の並木が滅びてゆくのを惜まれる記事が載つてたのを読んだ。
少し古い土地の人なら、八丁堀に岡吉と云う色物専門の寄席があったのを記憶しているはずである。
少し古い土地の人なら、八丁堀に岡吉と云う色物専門の寄席があったのを記憶しているはずである。
八百長くづれ――と唱へる新語が出来たのは、明治四十三年一月、太刀山対駒ヶ岳の立合ひに、其結果が...
八百長くづれ――と唱へる新語が出来たのは、明治四十三年一月、太刀山対駒ヶ岳の立合ひに、其結果が七面倒な預り勝負になつた事に依つてである。
私が詩歌の朗読について考へはじめたのは、ずゐぶん久しい前からである。
私が詩歌の朗読について考へはじめたのは、ずゐぶん久しい前からである。
森本薫君の作品を読むと非常に新しい美しさを感じるけれども、さてその森本君のほんたうの新しさとい...
森本薫君の作品を読むと非常に新しい美しさを感じるけれども、さてその森本君のほんたうの新しさといふものは何であるかよくわからないといふ批評があります。
内科の医者である私の友人Aは先日面白い話をきかせてくれた。
内科の医者である私の友人Aは先日面白い話をきかせてくれた。
いちはやく秋風の音をやどすぞと長き葉めでて蜀黍(もろこし)は植う私は蜀黍の葉が好きである。
いちはやく秋風の音をやどすぞと長き葉めでて蜀黍(もろこし)は植う私は蜀黍の葉が好きである。
わが国に於ける新劇不振の原因が、俳優に未だその人を得ない所にあるといふ私の意見は、たまたま劇壇...
わが国に於ける新劇不振の原因が、俳優に未だその人を得ない所にあるといふ私の意見は、たまたま劇壇一部の批難を生んだやうであるが、これはたしかに、解釈の仕方によつては、不都合な言辞として受け取られるであらう。
こんなことを何も僕は決して誇り気に誌すわけではないのであるが、今不図考へて見て男の友達でも女の...
こんなことを何も僕は決して誇り気に誌すわけではないのであるが、今不図考へて見て男の友達でも女の友達でも――それはいつも極く少人数であるが、一度交際した人と、自分から先に離れたといふ記憶を持たない、つい口の慎しみがなくて親しむに伴れては喧嘩などをすることは屡々であるが、その場限りで二三日経つと悪いことは皆な忘れてしまふ。
どんな性格の男に敬愛を捧げるかと云ふ問に対して理想を云へば、何れ鐘太鼓でさがしても、見つからぬ...
どんな性格の男に敬愛を捧げるかと云ふ問に対して理想を云へば、何れ鐘太鼓でさがしても、見つからぬやうなせひぜひ虫のいゝ事を並べても見られませうが、先づ手つ取り早く彼のやうな男がと云ふやうなのを云へば、これも実在の男ではありませんが、アルツバシエエフによつて描かれた、サニンが好きです。
平時にあっては、父親は子供たちにとって、一種の大きな友だちであり、且つ、雨露をしのぐ家屋のよう...
平時にあっては、父親は子供たちにとって、一種の大きな友だちであり、且つ、雨露をしのぐ家屋のようなものである。
神坂も今は秋の収穫でいそがしくもまた楽しい時と思います。
神坂も今は秋の収穫でいそがしくもまた楽しい時と思います。
拝復別に新しい意見でもありませんが、小生の持論を要約します。
拝復別に新しい意見でもありませんが、小生の持論を要約します。
お寒くなりましたしかしそれ以上に寒ざむしい世の中の變り果てた有樣のやうでございますねときどき東...
お寒くなりましたしかしそれ以上に寒ざむしい世の中の變り果てた有樣のやうでございますねときどき東京に行つて歸つてきた友人などに東京の話を聞くたびに、先生などいかがお暮らしかと、心の痛いやうな思ひをいたしますさういふ折など、いつぞや頂戴いたした御手づつの「古代感愛集」を披いては、さういふ一切を超えられた、先生の搖ぎもなさらぬやうなお姿を偲んでは、何かと心を擾しがちな自分の氣おくれを叱つて居りますかういふ現在において、「古代感愛集」はますます私には何よりも得難い書物となりました...
ヨーロッパの北のほうの国には、すぐれた童話作家がおります。
ヨーロッパの北のほうの国には、すぐれた童話作家がおります。
或る晴れた秋の日、尋常科の三年生であつた私は学校の運動場に高く立つてゐる校旗棒を両手で握つて身...
或る晴れた秋の日、尋常科の三年生であつた私は学校の運動場に高く立つてゐる校旗棒を両手で握つて身をそらし、頭を後へ下げて、丁度逆立したやうになつて空を眺めてみた。
戯曲創作の場合には、その作者の頭に、一つの舞台がはっきり写っていなければいけない。
戯曲創作の場合には、その作者の頭に、一つの舞台がはっきり写っていなければいけない。
其夢見まほしやと思ふ時、あやにくに夢の無き事あり、夢なかれと思ふ時、うとましき夢のもつれ入るこ...
其夢見まほしやと思ふ時、あやにくに夢の無き事あり、夢なかれと思ふ時、うとましき夢のもつれ入ることあり。
再びパリへ九月十八日午后六年パリ十月二十四日パリを親たち去る〔欄外に〕青い手帖「フランス」九月...
再びパリへ九月十八日午后六年パリ十月二十四日パリを親たち去る〔欄外に〕青い手帖「フランス」九月二十九日夜三人モンマルトルの赤馬で食事してかえったら下に速達板倉鼎朝六時死板倉さんに泊る三十日夜ペル(ママ)ールにかえり入浴泊る十月一日葬式雨十月二日ひどい風十二時まで眠る夜八時すぎ板倉見まいモンパルナスの角でコーヒ...
一体、芝居の話といふものは、その芝居を観た同志でなければ、したつてつまらないと思ふのですが。
一体、芝居の話といふものは、その芝居を観た同志でなければ、したつてつまらないと思ふのですが。
冬といふ季節は、蕭条とした自然の中にをののいてゐる、人間の果敢ない孤独さを思はせる。
冬といふ季節は、蕭条とした自然の中にをののいてゐる、人間の果敢ない孤独さを思はせる。
現実を、その様々な相互関係、矛盾の内外につき入って具体的に理解する実力、そしてそれらの間に在る...
現実を、その様々な相互関係、矛盾の内外につき入って具体的に理解する実力、そしてそれらの間に在る自身の居り場所とその意味を把握して生きる力を教養であるとして考えて見ると、今日の日本の新聞は、そういう意味では一般に女性の教養を高める役には大して立っていないのではないかと思う。
或る一つの作品を書かうと思つて、それが色々の径路を辿(たど)つてから出来上がる場合と、直ぐ初め...
或る一つの作品を書かうと思つて、それが色々の径路を辿(たど)つてから出来上がる場合と、直ぐ初めの計画通りに書き上がる場合とがある。
古いゲエルの伝説に出てくる蝙蝠の話を読むと、昔の昔から彼はきらはれものであつたらしい。
古いゲエルの伝説に出てくる蝙蝠の話を読むと、昔の昔から彼はきらはれものであつたらしい。
終戦後私は、普通の小説を少しく書き、近代説話と自称する小説を多く書いた。
終戦後私は、普通の小説を少しく書き、近代説話と自称する小説を多く書いた。
私は葬式というものがキライで、出席しないことにしている。
私は葬式というものがキライで、出席しないことにしている。
誰かの批評に、女房として不適格、とあったが、これはアベコベだ。
誰かの批評に、女房として不適格、とあったが、これはアベコベだ。
ちょうど、その時分、虎の門際の辰(たつ)ノ口に工部省で建てた工部学校というものが出来ました。
ちょうど、その時分、虎の門際の辰(たつ)ノ口に工部省で建てた工部学校というものが出来ました。
お灸(きう)ずきの祖母が日に二三度づつお灸をすゑる。
お灸(きう)ずきの祖母が日に二三度づつお灸をすゑる。
トリスタン・コルビエールが、甞て我が国に於いて紹介されたことがあつたかどうか、私は知らない。
トリスタン・コルビエールが、甞て我が国に於いて紹介されたことがあつたかどうか、私は知らない。
五圓と十圓裸男著述の爲に、南郊に籠城して、世間と絶縁すること、幾んど半年に及べり。
五圓と十圓裸男著述の爲に、南郊に籠城して、世間と絶縁すること、幾んど半年に及べり。
ある日、小さな年ちゃんは、お母さんのいいつけで、お使いにいきました。
ある日、小さな年ちゃんは、お母さんのいいつけで、お使いにいきました。
一九三〇年八月十七日、K村にて僕がホテルのベッドに横になつて、讀書をしてゐたら、窓から、向日葵...
一九三〇年八月十七日、K村にて僕がホテルのベッドに横になつて、讀書をしてゐたら、窓から、向日葵の奴がしきりにそれをのぞきこむのだ。
一切の味は水を藉(か)らざれば其の味を発する能はず。
一切の味は水を藉(か)らざれば其の味を発する能はず。
貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候。
貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候。
私の経験から歌についていうと、言葉と節とが調和する時と、しない時とがある。
私の経験から歌についていうと、言葉と節とが調和する時と、しない時とがある。
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