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10分以内で読める青空文庫の短編作品(4ページ目)

青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編2,631作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(2,001〜4,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
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山椒魚は手に入れるのが困難だが、反対にいくらでも手に入るもので、しかも、滅多に人の食わないもの、それでいて、相当の珍味を有するものと言えば、日本の蝦蟇(ひきがえる)だろう。
先日、三田の、小さい学生さんが二人、私の家に参りました。
芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。
市川の宿も通り越し、これから八幡という所、天竺木綿の大きな国旗二つを往来の上に交扠して、その中央に祝凱旋と大書した更紗の額が掛っている、それをくぐると右側の屑屋の家では、最早あかりがついて障子がぼんやり赤い、その隣りでは表の障子一枚あけてあるので座敷に釣ってあるランプがキラリと光を放っている、ほのくらい往来には、旅の人でなく、土地のものらしい男や婆さんやがのっそりのっそりあるいている、赤児をおぶった児供やおぶわないのや、うようよ槙屏(まきべい)の蔭に遊んでいる、荒物店の前では、荷馬車一台荷...
僕は第一回以来の芥川賞詮考委員である。
東洋大学の学生だったころ、丁度学年試験の最中であったが、校門の前で電車から降りたところを自動車にはねとばされたことがあった。
ミストの島スケエの城の高い壁のかげに二人の男が縛られて倒れていた。
小説はあらゆる文芸中、最も非芸術的なるものと心得べし。
君が歌百首を發表すると聞いたとき僕は嬉しいと思つた。
雌蜘蛛は真夏の日の光を浴びたまま、紅い庚申薔薇の花の底に、じっと何か考えていた。
冬、家庭で最も歓迎される料理は、なべ料理であろう。
其の河の両辺に横はる大麦及びライ麦の長やかなる畑地此の畑岡を覆ひ又空に接すさて此の畑を貫いて道は走る多楼台のカメロット城へさて上にまた下に人は行くうちながめつゝ蓮咲くあたりを島根に添うてかなた下手のシャロットの島といふ垂柳はしろみ白楊は顫ふそよ風は黒みてそよぐとこしなへに流れゆく河浪のうちに河心の島根に添うて流れ/\て...
温泉宿から皷(つづみ)が滝へ登って行く途中に、清冽な泉が湧き出ている。
六つか七つの時分、佐倉宗吾の芝居を通しで見たことがある。
文学や美術とカフェーとの交渉の日本におけるいちばん古いところは、明治二十一年四月、東京下谷区上野西黒門町二番地、元御成道警察署南隣に可否茶館が初めてできたとき、硯友社のまだ若かった作家たちが出入りした話からである。
日本民族がその成立において複合民族であるように、その言語もかなり複雑な要素から成った混合語である。
今から廿二三年前に上海で出版された「騙術奇談」といふ四巻の書がある。
私は或は人から沢山の書物を読むとでも思われているかも知れない。
この文ハ極大事の事斗ニて、け((決))してべちや/\シャベクリ((饒舌))にハ、ホヽヲホヽヲいややの、けして見せられる((ぬ))ぞへ六月廿日あまりいくか((幾日))ゝけふのひハ忘れたり。
わたくしの近頃書いた、歴史上の人物を取り扱つた作品は、小説だとか、小説でないとか云つて、友人間にも議論がある。
本所のお竹蔵から東四つ目通、今の被服廠跡の納骨堂のあるあたりに大きな池があって、それが本所の七不思議の一つの「おいてけ堀」であった。
すべての民族の言語が、文法をそれぞれもっているのをみて、私はいつも考えさせられるのである。
私事にわたることを云ふのは寔に恐縮であるが、泉先生は文壇に於ける大先輩であるのみならず、此の春私の娘が結婚するときに媒酌の労を取つて下すつたので、さう云ふ私交上でも一方ならぬ御厄介になつた。
……一つの小径が生い茂った花と草とに掩(おお)われて殆ど消えそうになっていたが、それでもどうやら僅かにその跡らしいものだけを残して、曲りながらその空家へと人を導くのである。
僕は中学五年生の時に、ドオデエの「サッフォ」という小説の英訳を読んだ。
エタをチョウリという地方が多い。
「二銭銅貨」が世に出たのが大正十二年、ついこの間のような気がするが、正しく三十六年の昔である。
そらのてっぺんなんか冷たくて冷たくてまるでカチカチの灼(や)きをかけた鋼です。
龍のチャーナタは洞のなかへさして來る上げ潮からからだをうねり出した。
神田川都会の中央、絶壁屏風の如く、緑滴り水流れ、気清く神静かに、騒人は月をここに賞し、兇漢は罪をここに蔵す、これを現今の御茶の水の光景とす。
鴉靜かな村の街道を筧が横に越えてゐるそれに一羽の鴉がとまつて木洩れ陽の中に空を仰ぎ地を眺め私がその下を通るときある微妙な均衡の上に翼を※(をさ)めて秤(はかり)のやうに搖れてゐた湯沸したぎり初めた湯沸し……それはお晝休みの小學校の校庭だ藤棚がある池がある僕らはそこでじやんけんする僕は走る僕は走る……かうして肱をついたまま夜の中にたぎり初めた湯沸し……靜夜柱時...
船欄に夜露べつとり逃ぐる旅私はいつも逃げてばかりゐるやうです。
五郎君はお菓子が好きでしようがありませんでした。
汽車、電車、バスなどの公衆の交通機関は現代世相の風俗画とも言ふべきで、かういふ観点から例へば通勤の往復も極めて興味ありかつ有益な時間になるわけである。
僕は視力が健全である。
この頃になつて、僕は始めて芥川君の全集を通讀した。
私は老婦人たちが彼女らの少女だつた時分のことを話すのを聞くのが好きだ。
私の家には現在猫が十匹いる。
これはただごちそうのお話にすぎないが、おめでたい記念号の読み物にふさはしくちよつと景気のいい題をつけて置かう。
ある晩春の午後、私は村の街道に沿った土堤の上で日を浴びていた。
魚をじかに火で炙(あぶ)るということは、ほかの国ではしないことなのか。
自分は此頃新聞社の勤務からして、創作に取掛つたが、此の創作は、或は観察に依りては家庭問題に関連して居るかも知れぬ、最初は女学生を主人公にと娑婆ツ気を出して、種々と材料を集めて見たが思ふやうに行かず、其れで今度は日露戦役後の大現象である軍人遺族――未亡人を主人公にして、一ツ創作を遣つて見ようと思ふと。
△菊池寛は明治四十三年夏のはじめに一高の入學試驗をうけたが、私もやはりその時の受驗生の一人だつた。
「――観音さまの?」「――ええ、芝公園増上寺の境内に若い女の絞殺体が二つ、放り捨てられていたというんです。
アインシュタインは相對性原理を以つて世界に名を知られているが、その原理を辨えている人は幾人あるか知り難い。
お正月でも、山の中は、毎日寒い風が吹いて、木の枝を鳴らし、雪がちらちらと降って、それはそれはさびしかったのです。
秋……殊に雨などが漕々(そうそう)降ると、人は兎角に陰気になつて、動もすれば魔物臭い話が出る。
八月六日八時半頃突如空襲一瞬ニシテ全市街崩壊便所ニ居テ頭上ニサクレツスル音アリテ頭ヲ打ツ次ノ瞬間暗黒騒音薄明リノ中ニ見レバ既ニ家ハ壊レ品物ハ飛散ル異臭鼻ヲツキ眼ノホトリヨリ出血恭子ノ姿ヲ認ムマルハダカナレバ服ヲ探ス上着ハアレドズボンナシ達野顔面ヲ血マミレニシテ来ル江崎負傷ヲ訴フ座敷ノ椽側ニテ持逃ノカバンヲ拾フ倒レタ楓ノトコロヨリ家屋ヲ踏越エテ泉邸ノ方ヘ向ヒ栄橋ノタモトニ出ズ道中既ニ火ヲ発セル家々アリ泉邸ノ竹藪ハ倒レタ...
初めてドストイェフスキイを讀んだのは、何でも僕が二十七、八歳位の時であつた。
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