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中島敦の全作品

青空文庫で公開されている中島敦の全作品28篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜28件 / 全28件
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隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。
趙(ちょう)の邯鄲(かんたん)の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。
文字の霊などというものが、一体、あるものか、どうか。
漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜※(へんさいしゃりょしょう)を発して北へ向かった。
昼餉ののち、師父が道ばたの松の樹の下でしばらく憩うておられる間、悟空は八戒を近くの原っぱに連出して、変身の術の練習をさせていた。
魯(ろ)の卞(べん)の游侠(ゆうきょう)の徒、仲由、字は子路という者が、近頃賢者の噂(うわさ)も高い学匠・陬人孔丘を辱しめてくれようものと思い立った。
一八八四年五月の或夜遅く、三十五歳のロバァト・ルゥイス・スティヴンスンは、南仏イエールの客舎で、突然、ひどい喀血に襲われた。
寒蝉敗柳に鳴き大火西に向かいて流るる秋のはじめになりければ心細くも三蔵は二人の弟子にいざなわれ嶮難を凌(しの)ぎ道を急ぎたもうに、たちまち前面に一条の大河あり。
ネウリ部落のシャクに憑(つ)きものがしたという評判である。
今でもパラオ本島、殊にオギワルからガラルドへ掛けての島民で、ギラ・コシサンと其(そ)の妻エビルの話を知らない者は無い。
日本には花の名所があるように、日本の文学にも情緒の名所がある。
養其一指、而失其肩背、而不知也、則為狼疾人也。
魯の叔孫豹がまだ若かった頃、乱を避けて一時斉に奔ったことがある。
十年前、十六歳の少年の僕は学校の裏山に寝ころがって空を流れる雲を見上げながら、「さて将来何になったものだろう。
私は虎狩の話をしようと思う。
グラウンドではラグビイの選手達が練習をしていた。
口数の寡い、極く控え目勝ちな女であった。
昔、此(こ)の島に一人の極めて哀れな男がいた。
南洋群島の土人の間で仕事をしていた間は、内地の新聞も雑誌も一切目にしなかった。
メムフィスなるプタの神殿に仕うる書記生兼図案家、常にウシマレス大王に変らざる忠誠を捧ぐる臣、メリテンサ。
遍歴ある時はヘーゲルが如萬有をわが體系に統べんともせしある時はアミエルが如つゝましく息をひそめて生きんと思ひしある時は若きジイドと諸共に生命に充ちて野をさまよひぬある時はヘルデルリンと翼竝べギリシャの空を天翔りけりある時はフィリップのごと小さき町に小さき人々を愛せむと思ふある時はラムボーと共にアラビヤの熱き砂漠に果てなむ心ある時はゴッホならねど人の耳を喰ひてちぎりて狂はんとせしある時は淵明が如疑はずかの天命を信ぜんとせ...
河馬の歌うす紅くおほに開ける河馬の口にキャベツ落ち込み行方知らずもぽつかりと水に浮きゐる河馬の顏郷愁も知らぬげに見ゆこの河馬にも機嫌・不機嫌ありといへばをかしけれどもなにか笑へず赤黒きタンクの如く並びゐる河馬の牝(めす)牡(をす)われは知らずも水の上に耳と目とのみ覗きゐていぢらしと見つその小さきを××わが前に巨き河馬の尻むくつけく泰然として動かざりけり無禮げにも我が眼の前にひろごれる河馬の臀(ゐしき...
衛の霊公の三十九年と云う年の秋に、太子※※(かいがい)が父の命を受けて斉に使したことがある。
南洋群島島民のための初等学校を公学校というが、或る島の公学校を参観した時のこと、丁度朝礼で新任の一教師の紹介が行われている所にぶつかった。
雲海蒼茫佐渡ノ洲郎ヲ思ウテ一日三秋ノ愁四十九里風波悪シ渡ラント欲スレド妾ガ身自由ナラズははあ、来いとゆたとて行かりょか佐渡へだな、と思った。
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