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長塚節の全作品

青空文庫で公開されている長塚節の全作品46篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜46件 / 全46件
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「土」に就て漱石「土」が「東京朝日」に連載されたのは一昨年の事である。
此の中學へ轉任してからもう五年になる。
われに一人の祖母あり。
私の樣に田舍にばかり居て何といつて極つた用もないものには銷夏法抔といふ六かしいことを考える必要もなく隨つて名案もありません只今では少し百姓の方に手を出して居るので氣候が暑く成るに連れてずん/\と氣持のよく成るのが畑の陸稻です大豆の葉の朝風にさわ/\と搖れるのも目が醒めるやうです暇の折には自分の仕付けた畑を何遍となく廻つて歩きます幾ら見ても飽きることが有りません作物の凡でが[#「凡でが」はママ]どうも主任者たる私が居ないとうまく行かない樣ですそれで今年は此の農作物に引きとめられて森の中の家...
或田舍の町である。
對州へ渡るには博多から夜出て朝着く。
冬の日のことである。
地圖を見ても直ぐ分る。
蕎麥屋須磨の浦を一の谷へ歩いて行く。
余が村の一族の間には近代美人が輩出した。
石の卷を出て大きな街道を行くと暫くして松林へかゝる。
私が伊藤君に會つたのは、丁度明治三十三年の四月の一日でした。
風邪でも引いたかといふ鹽梅に頭がはつきりしないので一旦目は醒めたがまた寢込んでしまつた、恐らく眠りも不足であつたのらしい、みんなはもう野らへ出たのであらう家の内はまことにひツそりして居る、霖雨つゞきの空は依然として曇つて居るが、いつもよりは稍明るいのであるから一日は降らないかも知れぬと思ひながらぼんやりと眺めて居つた、「サブリだもの屹度後には雨だよ、どんな旱でも今日明日と降らなかつたことは無いのだからと母はいつた、そんなことも有るものか知らんと自分は只聞き流し...
汽船はざぶ/\と濁水を蹴つて徐ろにくだる。
鬱陶しく曇つた春雨の空がいつもの如く井戸流しで冷水浴をしてしはらくするうちに禿げてしまつた、朝のうちに椚眞木の受取渡しをして來たらよからうと母が言ふことであつたが少し用があるから行かれぬとたゞ(ママ)をいふ、用といふのは外でもない、ホトトギスに庭園を寫生せよといふ題が出て居るので自分のやうな拙劣な手で寫生も恐ろしい譯ではあるがこれも稽古だやつて見やうと思ひついたので野らや林へ出やうとは思ひもよらぬのである、庭のことゝ言へばつひこの二日の日記にもこんなことがある……宵に春雨が...
俳句白菜や間引き/\て暮るゝ秋七年の約を果すや暮の秋散りぬべき卿の秋の毛虫かな花煙草葉を掻く人のあからさま藁灰に莚掛けたり秋の雨豆引いて莠はのこる秋の風わかさぎの霞が浦や秋の風佐渡について母への状や秋の風蓼の穗に四五日降つて秋の水此村に高音の目白捉へけり鳴きもせで百舌鳥の尾動く梢かな柿くふや安達が原の百姓家柿赤き梢を蛇のわたりけり...
余は天然を酷愛す。
○「歌よみに與ふる書」といふのは十回にわたつたのであつたが、自分にはいかにも愉快でたまらないので丁寧に切り拔いておいて頻りに人にも見せびらかした。
○一日を隔てた三十日に二回目の訪問をした。
うちからの出が非常に遲かツたものだから、そこ/\に用は足したが、知合の店先で「イヤ今夜は冴えましようぜこれでは、けさからの鹽梅ではどうも六かしいと思つてましたが、まあこれぢや麥がとれましよう、十五夜が冴えりやあ麥は大丈夫とれるといふんですから、どうかさうしたいものでなどゝいふ主人の話を聞いたりして居たので、水海道を出たのは五時過ぎになツてしまつた、尻を十分にまくし揚げてせツせと歩るく、落ちかけた日が斜に照しかけるので、自分のかげはひよろ/\とした尖つた頭になツて、野菊の花や蓼の...
冬とはいふものゝまだ霜の下りるのも稀な十一月の十八日、土浦へついたのはその夕方であつた、狹苦しい間口でワカサギの串を裂いて居る爺はあるが、いつもの如く火を煽つてはワカサギを燒いて居るものは一人も見えないので物足らず淋しい川口を一廻りして、舟を泛べるのに便利のよさゝうな家をと思つて見掛けも見憎くゝない三階作りの宿屋へ腰を卸した、導かれて通つたのは三階ではなくて、風呂と便所との脇を行止まりの曲つた中二階のどん底である、なまめいた女が代り/\に出て來る、風呂から上つて窓に吹き込む風に吹かれつゝ...
○先生と自分との間柄は漸く三十三年からのことで極めてあつけないことであつた。
起きて見ると思ひの外で空には一片の雲翳も無い、唯吹き颪が昨日の方向と變りがないのみである、滑川氏の案内で出立した、正面からの吹きつけで體が縮みあがるやうに寒い、突ンのめるやうにしてこごんだ儘走つた、炭坑會社の輕便鐵道を十町ばかり行つて爪先あがりにのぼる、左は崖になつて、崖の下からは竹が疎らに生えて居る、木肌の白い漆がすい/\と立ち交つて居る、漆の皮にはぐるつとつけた刄物の跡が見える、山芋の枯れた蔓が途中から切れた儘絡まつて居る、小豆畑といふ小村へ來た、槎※たる柿の大木...
新潟の停車場を出ると列車の箱からまけ出された樣に人々はぞろ/\と一方へ向いて行く。
余は旅行が好きである、年々一度は長途の旅行をしなければ氣が濟まぬやうになつた。
豆粒位な痍のあとがある。
泉州の堺から東へ田圃を越えるとそこに三つの山陵がある。
叔父の案内で利根川の鮭捕を見に行くことになつた、晩飯が濟んで勝手元もひつそりとした頃もうよからうといふので四人で出掛けた、叔父は小さな包を背負つて提灯をさげる、それから河は寒いと可かないからと叔母が出して呉れた二枚のどてらを、うしろのちやんと呼ばれて居る五十格恰の男が引つ背負つてお供をする、これは提灯と二升樽とをさげる、從弟の十になる兒と自分とは手ぶらで蹤いて行く、荷物を背負つた二人の樣子が才藏か何かのやうだといふので下婢供が頻りに笑ひこけるのである、うらのとぼ口を出...
汽車から降りると寒さが一段身に染みる。
しらくちの花長塚節明治卅六年の秋のはじめに自分は三島から箱根の山越をしたことがある。
庄次は小作人の子でありました。
故人には逸話が多かつた。
八月二十九日▲黄瓜松島の村から東へ海について行く。
「一刀流神傳無刀流開祖從三位山岡鐵太郎門人」「鹿島神傳直心影流榊原建吉社中東京弘武會員」といふ長々しい肩書のついた田舍廻りの撃劍遣ひの興行があるといふので理髮床や辻々の茶店に至るまでビラが下つた、撃劍の興行といふのが非常に珍らしいのにその中には女の薙刀つかひが居るといふのと、誰でも飛入の立合ができるといふのと、女の薙刀つかひを打負したものには銀側時計を呉れるといふことゝで界隈の評判になつた、興行の日は舊の三月三日で桃の節句をあて込みであつたが、生憎その日の空が怪しかつたので次の日へ日おく...
九月一日金華山から山雉の渡しを鮎川の港までもどつた。
低い樅(もみ)の木に藤の花が垂れてる所から小徑を降りる。
三月二日、月曜、晴、暖、起床平日よりはやし、冷水浴、宵に春雨が降つたらしく屋根が濕つて居る、しかし雫する程ではない、書院の庭にしきつめてある松葉は松もんもが交つてるので目障りであるがけさは濡れて居るからいかにも心持がよい、庭下駄を穿いてぶら/\とあるく、平氏門に片寄つてさうして戸袋にくつゝいた老梅が一株は蕾がちで二株は十分に開いて居る、蕾には一つづゝ露が溜つてその露が折々松葉の上に落ちる、五片六ひら散つて松葉にひつゝいてるのが面白い、まだ散る頃ではないから大方春雨の板...
刈草を積んだ樣に丸く繁つて居た野茨の木が一杯に花に成つた。
奈良や吉野とめぐつてもどつて見ると、僅か五六日の内に京は目切と淋しく成つて居た。
濱茄子の花佐渡は今日で三日共雨である。
明治四十四年乘鞍岳を憶ふ落葉松の溪に鵙鳴く淺山ゆ見し乘鞍は天に遙かなりき鵙の聲透りて響く秋の空にとがりて白き乘鞍を見し我が攀ぢし草の低山木を絶えて乘鞍岳をつばらかにせりおほにして過ぎば過ぐべき遠山の乘鞍岳をかしこみ我が見し乘鞍と耳に聲響きかへり見て何ぞもいたく胸さわぎせしおもはぬに天に我が見し乘鞍は然かと人いはゞあらぬ山も猶くしびなる山は乘鞍かしこきろ山の姿は目にかにかくに乘鞍を...
小春の日光は岡の畑一杯に射しかけて居る。
私は品行方正な人間として周囲から待遇されて居る。
明治三十一年暮春雨惜しまるゝ花のこずゑもこの雨の晴れてののちや若葉なるらむ春哀傷林子を悼みてちりしみのうらみや深きみし人のなげきやおほきあたらこの花海邊鵆昨日こそうしほあみしか大磯のいそふく風に千鳥なくなり[#改ページ]明治三十二年元旦若水を汲みつゝをれば標はへしふたもと松に日影のぼりぬ菖蒲生れしはをのこなるらむ菖蒲...
明治三十七年青壺集(二)郷にかへる歌并短歌草枕旅のけにして、こがらしのはやも吹ければ、おもゝちを返り見はすと、たましきの京を出でゝ、天さかる夷の長路を、ひた行けど夕かたまけて、うす衾寒くながるゝ、鬼怒川に我行き立てば、なみ立てる桑のしげふは、岸のへになべても散りぬ、鮭捕りの舟のともしは、みなかみに乏しく照りぬ、たち喚ばひあまたもしつゝ、しばらくにわたりは超えて、麥おほす野の邊をくれば、皀莢(さいかち)のさやかにてれる、よひ月の明り...
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