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柳田国男の全作品

青空文庫で公開されている柳田国男の全作品39篇を、おすすめ人気順で表示しています。

1〜39件 / 全39件
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[#ページの左右中央]この書を外国に在る人々に呈す[#改ページ]この話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。
自山の人生と題する短い研究を、昨年『朝日グラフ』に連載した時には、一番親切だと思った友人の批評が、面白そうだがよく解らぬというのであった。
再び世に送る言葉日本は伝説の驚くほど多い国であります。
まえがき私は三十年ほど前に、日本人は如何にして渡って来たかという題目について所感を発表したことがあるが、それからこの方、船と航海の問題が常に念頭から離れなかった。
著者の言葉日本の年中行事が、近頃再び内外人の注意をひくようになったことは事実だが、その興味の中心というべきものが、これからどの方角へ向おうとしているのか、久しくこういう問題に携わっている者には、かえって見当をつけることがむつかしい。
自始めて自分が日本の地名を問題にしたのは、この本の中にもある田代・軽井沢であった。
自女と俳諧、この二つは何の関係も無いもののように、今までは考えられておりました。
小子どもとそのお母さんたちとに、ともどもに読めるものをという、朝日の企てに動かされたのであったが、私にはもうそういう註文に合うような文章を書くことができなくなっているらしい。
自二十五、六年も前からほとんど毎年のように、北か東のどこかの村をあるいていたが、紀行を残しておきたいと思ったのは、大正九年の夏秋の長い旅だけであった。
自然と人生と、二つは向き/\に進み、又時としては抗立相剋せんとするものゝ如く思ふ人が、此頃多くなつたやうに感じられる。
瑞西に住む友人の家では、或日語学の教師の老婦人が、変な泣顔をして遣って来たそうである。
起筆の言葉神戸新聞は今年満六十年を迎えるという話である。
日本はきわめて名字の数の多い国多くの日本人が想像するように、昔というものが現代と無関係のものでないということを証明するがために、名字の話をしようと思う。
記念の言葉この二冊の小さな本のように、最初思った通りに出来あがらなかった書物も少ない。
岩波文庫をはじめ、今日弘く行われて居る数々の「文庫もの」に対して、我々古い人間の包みきれない不満は、あまりにも外国の著作が多過ぎるという一点である。
垣内(カイト)は思いのほかこみ入った問題であった。
是は信州北部の山村を見てあるいた友人の手帖に、書留めてあった話である。
四民士農工商という語を日本で用い初めたのはいつ頃のことであろうか。
子供が桃や柿の芽生えを見つけて来て、庭の片隅に栽ゑて置くやうな心持で、棄てもせず忘れてもしまはず、時々来て見るといふ程度の問題が、私には十ばかりも有る。
△日本海岸風景の特色は潟に集まる日本海岸では風景の特色が潟に集まつて居ります。
野鳥雑記暫らく少年と共に郊外の家に住むことになって、改めて天然を見なおすような心持が出て来た。
私はいつかこんな折が有つたら、御話をして見たいと思つて居たことがあります。
山の彼方ビョルンソンのアルネの歌は哀調であるけれども、我々日本人にはよくその情合がわからない。
日向路の五日はいつも良い月夜であつた。
人を笑わせるつもりで私はこの見出しを付ける。
村に生れた者は、誰でも少年の頃の祭の嬉しさをよく覚えてゐる。
[#ページの左右中央]この書を外国に在る人々に呈す[#改ページ]母の手毬歌一、正月の遊び皆さんは村に入って、うちに静かに暮らしているような時間は無くなったけれども、その代りには今までまるで知らずにいた色々の珍らしいことを、見たり聞いたりする場合は多くなってきた。
狸の化けた憑いたは皆大いなる寃罪で、永い間人と狸との感情を疎遠せしめて居た主因は「カチ/\山童話」であつたと云ふことが、此頃漸く明瞭ならんとするのは自他の爲慶すべき傾向である。
藝州御手洗(豐田町大崎下島)の邊で聽いた話。
トウボシという稲について、本誌紙上質問の第一号に答を求めたのは自分であった。
○大島の野増村にはシツナ神といふ女體の神があつて、近い頃までも稀には男を呪ふ女が祈願をかけたといふ話を聽いたが、本當のことであらうか。
一、晴着、よそ行き最初晴着をどういふ場合にこしらへ、又如何なる場合に是非着たかを、注意してかゝる必要がある。
『民間伝承』第十二号四頁の高木君報告に、当貫または苦楝木と書いて、アテヌキと呼ぶ地名が香取郡東部に多いとあるのは、自分には興味がある。
安藝大崎上島下島自分は大崎下島に於いて、此職業の女を招いて、仔細に内側からの觀察を聽取つた。
地名の呼び方は、時とともに変って行くのが普通で、現代はことにその例が多くなった。
歳棚に祭る神いわゆる三が日の本当の正月に対して、十五日を小正月と呼ぶ地方は多い。
外遊び或は庭遊びと謂つた方が、軒遊びに對してわかりがよいかも知れない。
「さらぎ考」という論文を、『大和』誌上に見出した時から、私はいつかは一度、大和の地名という問題を考えてみたいと思っていた。
諸君の『食習採集手帖』が整理せられたら、この語彙はまた大いに増加することであろうが、それを促す意味をもって、まず自分の今までに控えておいたものを並べてみる。
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