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中谷宇吉郎の全作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている中谷宇吉郎の全作品165篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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私がリチャードソン先生の実験室で働いたのは、一九二八年の四月からまる一年間に過ぎなかったので、決して先生をよく理解したとはいえないであろう。
実験室の記憶というのは、追憶という意味ではなく、犬などの記憶というのと同じ意味で、実験室が記憶力をもっているという話なのである。
私の中学時代は、大正の初めごろであって、明治時代の先生方とくらべたら、だいぶ文明開化になっていた。
震災で失ったものの中で、この頃になって、惜しいと思い出したものは九谷焼である。
地球が円いという話は、何も珍しいことではない。
金沢の郷土の漬け物に、かぶらずしというものがある。
昨年の秋頃だったか、南極越冬中の西堀さんから、長文の電報がきた。
アラスカ氷河の特徴アラスカの氷河は、景観の美しさという点では、世界第一といわれている。
もう三十五年くらい前の話であるが、千里眼の問題が、数年にわたって我が国の朝野を大いに騒がしたことがあった。
六華豊年の兆という言葉がある位、雪の結晶といえば六花ときまっているように思われているが、中には十二花のものもある。
教育にはいろいろあって、上は精神教育から下は何かあるだろうが、その下に今一つ心得教育というのを入れたらどうだろうと一寸考えてみた。
北海道の奥地深く、標高千メートルの地点では、冬中気温は普通零下十度以下で、雪の結晶は顕微鏡下に、水晶の骨組のように繊細を極めた姿を顕している。
万国雪協議会というものがあって、世界四十何か国の学者を会員として、盛んな活動をしようとしている。
近代戦では国防と科学とは切り離し得ぬものと一般に信ぜられているようであるが、自分の考えは少し違う。
前に「先生を囲る話」を書いた時、その中に所々御弟子達の言動を点景人物の意味で入れておいた。
私のふるさとは、石川県の片山津という温泉地である。
日本には昔から揉み療治というものがあって、Nの揉み療治などが特に有名である。
漱石の俳句の中に寅彦桂浜の石数十顆を送る涼しさや石握り見る掌という句がある。
弟治宇二郎が書いた本というのは、表題の『日本石器時代提要』であって、菊判三百ページくらいの堂々たる体裁であった。
昔、伊東で病気を養っていた頃、東京の一流料理店の主人が、遊びに来たことがある。
寺田寅彦先生の連句の中に春の夜や不二家を出でて千疋屋という句がある。
先日、日田へ行く機会があったので、広瀬淡窓先生の旧屋、秋風庵を訪ねた。
高知へ着いた日に、すぐ寺田紀念館で、御親戚の方や、寅彦を敬愛する人たちと、座談会の準備がしてあった。
昭和十年発行の岩波版『芥川竜之介全集』第八巻に「一人の無名作家」という短文がある。
ハーバード大学の極東美術の主任教授に、エリセーフ氏という人がある。
雪国に育った私たちには、お正月に雪がないと、どうもお正月らしい気がしない。
二十年ぶりにアメリカを廻ってみて、一番感じたことは田舎の隅の隅まで、道路が非常によくなったことである。
いよいよ今年は、二十世紀前半の最後の年にかかった。
私の郷里は、片山津という、加賀の温泉地である。
文化映画の中で特に自然科学を直接対象としたものを科学映画と呼ぶことにする。
六月に入ってしばらくすると、郭公が鳴く。
私の今つとめている札幌の大学は、楡(にれ)(エルム)の樹で有名である。
北海に愚魚ありその名をほっけという肉は白きこと雪片を欺き味はうすきこと太虚に似たり一片の三石の昆布一滴のうすくちの醤油真白なる豆腐にわずかなる緑を加うくつくつと貝鍋は煮え夜は更けて味いよいよ新たなりまだ子供たちが幼かった頃、うまくだまして、早く寝つかせた夜は、奥の六畳の長火鉢で、よく貝鍋をつついた。
八月二十四日の真夜中、当分杜絶になるという最後の連絡船に乗って本州へ渡った。
維新の先覚者たちが、蘭学の勉強のために長崎へ行ったことは今更とり立てていい出すまでもないことであろう。
伊豆の東海岸のこの温泉地では秋風の立ち始めるとともに、また室鰺が沢山漁れ出した。
加賀の蟹は、東京などにもよく知られている。
私たちは小さい時から、「おぎょうぎよくなさい」ということばを、いつも聞かされたものです。
昭和十四年の夏、といえば、太平洋戦争勃発の二年前のことであるが、私は北海道の冬ごもりに適した家というつもりで、今の家をこしらえた。
私は悪友のK画伯、但し画伯は自称、から一度だけ褒められたことがある。
これは本当に天然に見られるあの美麗繊細極まる雪の結晶を実験室の中で人工で作る話である。
今年の六月、本土爆撃がいよいよ苛烈になって、東京は大半焼け、横浜も一日の猛爆で、全市が一遍に壊滅してしまった頃の話である。
もう十年昔の話になるが、学士院賞を貰った時に、その金で『東瀛珠光』と『西域画聚成』とを買ったことがある。
少しかわった話をしよう。
黒田構想一八六八年は、日本が中世の封建制度から脱却して、近代世界へはいった年として、日本の歴史の上で、一番重要な年である。
長岡先生と寺田先生とは、学問のやり方でも、対世間的のすべての点でも、まるで正反対のように、一般に思われている。
この頃自然科学上の色々の問題が、文科系統の学問をしている人々の口に度々上っているようである。
ウィネッカの冬は寒い。
サントリーの鳥井信治郎さんとは、もう三十年越しのお近付きを願っている。
現代のわが国のもった最も綜合的な文化の恩人たる故寺田寅彦先生の全貌を語ることは、今日の日本のもつ教養の最高峰を語ることであって、単に物理学の部門での先生の一門下生たる自分などのなし得るところではないかも知れないが、何人がその任に当っても恐らく非常に困難なことであろう。
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