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岸田国士の全作品(11ページ目)

青空文庫で公開されている岸田国士の全作品639篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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僕は嘗て、今日われわれが「新劇運動」と称へるべきものは、明かに所謂近代劇運動なるものと区別して考へなければならないことを述べた。
さあ、僕はどういふ風に云はうか?林君は熱情を見事に整理しつつ雄弁を振つてゐる。
外国へ行つて勉強したいといふ青年が、近頃非常に多い。
「たしなみ」「たしなみ」といふといかにもありふれた言葉ですが、これが今の日本人に忘れられてゐるやうです。
大政翼賛運動の発足に先立つて、国民組織といふ問題が政治的に取りあげられ、更に、近衛内閣の出現と同時に、職域奉公といふ言葉が世上にひろまつた。
笑うことのできるのは人間だけであります。
演劇の分野において、明治時代は真に革新と名づけられるやうな芸術運動も、啓蒙事業も殆ど企てられてゐない。
レオン・ドオデが、ジュウル・ルナアルの芸術を指して、「小ささの偉大さ」と呼んでゐるが、そのジュウル・ルナアルは、芸術家としてのエドモン・ロスタンをまた、「月並で、しかして、偉大」と評した。
劇文学の夜は永く続いた。
戦線は無限に広いこと武漢が落ち、広東が陥ち、わが軍の作戦区域が著るしく拡大されたことは云ふまでもないが、私の今度の中支従軍を通じて、現実にこれは大変だと感じたことは、普通第一線と呼ばれてゐる作戦軍の正面以外に、鉄道の沿線と揚子江流域の重要な都市を囲む殆ど中支一帯の地域に残敵の有力な部隊が蟠居して、わが占領地区を脅かしてゐることである。
新劇とは?「新劇」といふ言葉は最初誰がどういふ意味で使ひ出したか知らぬが、「新しい芝居」といふことを漢語で云つたまでで、専門的な術語と見做すわけに行かぬと思ふ。
今日、わが国における外国語の問題を考へるとすれば、およそ次の三点、即ち、この歴史的転換期に直面して外国語教育はいつたいどう取扱はるべきかといふこと、次には国際的な関係が一層複雑微妙になつて来たかういふ時代に、外国語の活用ないし利用がどんな状態にあるか、つまり日本人としていまどの程度に外国語を実際に生かして使つてゐるかといふこと、もう一つは、日本語の海外進出に絡んで、やはり日本語を一応ほかの国から観た外国語として考へてみるといふこと、これらの点が主として問題になると思ふ。
十四五歳の頃、私は陸軍幼年学校の生徒であつたが、そういう学校へなぜはいつたか、その理由はここでは述べないことにして、とにかく、将来軍人として身を立てる覚悟で、おおむねドイツ式を採り入れたこの学校の寮生活をつづけていたのである。
A(編集者)先月、日本の俳優は、芝居するという目先のことにとらわれすぎて、演技にフクラミがない、というようなお話がありましたが、これはやはり歌舞伎なんかのやり方と関係があるでしようか……。
夫妻夫の同僚茶の間朝妻(チヤブ台の上に食器を並べながら)あなた、さ、もう起きて下さい。
四月号の寄贈雑誌大小十六種のうちから、創作戯曲二十五種を選び出し、昨日(四日)まで暇を盗んで読んだ。
「決戦下における翼賛文化運動実践の具体的方針」について、私から御相談申上げるのでありますが、先程「論議の時代は過ぎた」とは一応は申しましたけれども、しかし吾々文化運動に携るものの間に、確乎たる共通の理念をつくつておくことが、是非共必要であると存じます。
日本は何処へ行つても日本だといふことを私は近頃ますます強く感じる。
戯曲不振の理由「戯曲家は生れながら戯曲家である」といふやうなことも云はれるが、しかしまた、戯曲家が戯曲家たる動機は、小説家が小説家たり、詩人が詩人たる動機と決して異つたものであるとは云へないのであつて、少くとも今日までの歴史を通じてみれば、多くの例が、その点について興味のある事実を語つてゐるのである。
嘗てイタリーへ旅行しました時、※ロナで、或るシェイクスピアの作中のそれのやうな月のいゝ晩に、市中を歩いてをりますと、「ロミオとジュリエットの墓」といふ標札が目に附きました。
人物三好大尉三好夫人女中隣の細君忠坊東京の郊外――初秋の午後。
一、新劇と旧劇現今、芝居好きと称する人のうちで、旧劇はつまらないと云つて見に行かない人もあるでせう。
翼賛会の文化部としては、現在まで政府が実行して来た文化政策といふものゝ全体に亘つて、一応どういふことが今日までなされて来てをり、またそれがどういふ結果を生んでゐるか、更にまた政府がどういふ方向に導いてくれゝば、一層国民全体の間に文化が向上するか、さういふやうな問題に就て研究をしてをります。
かうと思つたらどうしてもそのことをやり遂げないと承知できない人物がゐる。
演劇の不振といふことを、近頃よく世間では問題にするが、それが悦ぶべきことか悲しむべきことかといふ議論になると、私には、殆んど見当がつかないと云つていい。
時局が特に要求する国民の覚悟といふことについて私は考へた。
○左、劇文学の領域近頃、純文学と大衆文学の問題が各所で論議されてゐるやうだが、これは、所謂「文芸上の問題」とはなり得ない一個の文壇四方山話にすぎないので、「純文学では飯が食へん」とか、「大衆文学を書くのにもやはり才能がいる」とか、何れも、動かすべからざる真理に違ひないが、今まで、どの時代の文学者も、そんなことは嘗て言はなかつたほど、当り前のことなのだ。
劇作家ルナアルは、ミュッセと共に、僕に戯曲を書く希望と興味と霊感とを与へてくれた。
私の考へでは、政治には、広い意味の政治と狭い意味の政治とがあると思ひます。
彼女隣の女多田彼小森阿部[#改ページ]アパアトとは名ばかりの、粗末な貸室。
一、弁明本誌(新潮)八月号に発表された岩田豊雄氏の文章「演劇本質論の検討」を読んで、僕はいろいろのことを感じた。
[#ページの左右中央]男甲に扮する俳優女乙に扮する女優舞台は神戸のあるホテルの休憩室[#改ページ]男と女とが茶卓を挟んで向ひ合つてゐる。
音楽少女たちの合唱(歌の節にならぬやう、遠くより次第に近く)雪の降る日わたしたちは眼覚め雪の消える日わたしたちは眠る悲しみもなく怒りもなくよろこびもなくただ静かにわたしたちは息づき風に舞ひ大地にいこふ雪はわたしたちのいのち雪はわたしたちのよそほひ白く冷くもろくそーつとそーつとわたしたちはひとりぽつちのひとと話をする少女Aあのおぢいさんはどうだらう?いつも、...
葉村ヨシエと佐原あつ子とは、いづれもある官庁の文書課に勤めてゐるタイピストで、二人は採用試験のあつた日にはじめて口をきき、希望がかなつていよいよ役所に顔を出すと、そこでもまたお互に幸運をよろこび合ひ、それ以来まる三年、机を並べて仕事をしてゐる間柄である。
富士を遠景に、霞のなかに浮ぶ峠の古風な掛茶屋。
文芸と国語といふ標題を掲げたのですが、さういふ問題は考へれば考へるほど範囲が広くてどこかに重点をおかなければ短い時間にはお話が出来ません。
星野少尉臼田軍曹小西上等兵兵卒A同B同C同D荒物屋の主人その妻その娘[#改ページ]大正二三年頃の秋ある歩兵聯隊の夜間演習が東京近在の農村を中心として行はれる。
私は観光事業に関しては全くの素人で、殊にこの問題は非常に広汎な領域を含んで居りますので、私の申上げることが或は肯綮に当らないかも知れませんが、併し只今この時局下において日本全文化領域のことが考へられて居る際でありますから、観光事業も文化問題として取上げて我々の仕事の一部としたいと思つて居るのであります。
凡そ、如何なる芸術と雖も、若干の「法則」に従はないものはない。
両袖献納川村節子さんは、未だ嘗て、人のせぬことをしたことはなかつた。
弘子はいま幸福の絶頂にあつた。
実際、毎日会ふ人が沢山あるのですよ。
妻の順子が急に、「どうも、怪しいわ。
アナウンサーの紹介につづいて、別のアナウンサーの声で――――只今から、ガンバハル氏の「精神と電気」といふ御講演がございます。
女男甲男乙其の他[#改ページ]舞台は、連絡なき三つの場所を同時に示し得るやう、その空間を利用して、それぞれ独立した装置を施す。
この覗眼鏡はそんなに珍らしいものではない。
人物並木その妻三輪その妻所或るデパアトメントストアの屋上庭園時九月半ばの午後[#改ページ]二組の夫婦が一団になつて、雑談を交してゐる。
思想と性格「思想」といふ言葉がたびたび口にされる。
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