ブンゴウサーチ
児童書版
TOP 岸田国士 短編(5分以内)

5分以内で読める岸田国士の短編作品(6ページ目)

青空文庫で公開されている岸田国士の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編312作品を、おすすめ人気順に表示しています。

(〜2,000文字の作品を対象としています。読了時間は「400字/分」の読書スピードで計算した場合の目安です)
251〜300件 / 全312件
Tweet
作品名
著者
読了時間
人気
中村正常君は戯曲家として世間の一部に名前を知られてゐる人である。
文学座三月公演はゴーリキイの「どん底」ときまり、私が演出を引受けた。
現在はいろいろな方面で人物払底が唱へられてゐる時代であるが、それだけにまた、全体のレヴェルがあがつてゐるのだと云へないこともあるまい。
僕は未だ嘗て「余は新感覚派なり」と自称した覚えはない。
七日本語の研究をしてゐるポリテクニツクの学生を紹介された。
わが国新劇運動の歴史を通じて、この二三年ぐらゐ、演劇の本質問題が真面目に論議せられ、それが着々実践に遷された期間はないやうに思ふ。
昨年の暮に、市川猿之助を筆頭とする歌舞伎俳優の一群が、松竹王国の手を離れて市村座に拠つたことは、いろいろの意味で世間の注目を惹いたが、これを以て、直に劇壇に一つの革新運動が起つたものと解することは早計である。
和洋折衷といふやうなことがどこまでうまく行くか、わたしは知らないが、わが国の新しい生活様式が、どうせさういふ処へ落ちつくのだらうと思つてゐる。
『博物誌』という題は“Histoires Naturelles”の訳であるが、これはもうこれで世間に通った訳語だと思うから、そのまま使うことにした。
小山内薫氏の業蹟について、最も理解あり、同時に、最も詳細な批評を下し得る人は、他に多くあるだらうと思ひます。
この劇団の目標は、いろいろの機会に、当事者の意見として発表されたものでも察せられ、殊に、その演出目録によつて私などには十分わかるつもりであるが、今や、少しづつ、その中心を失ひかけてゐる危険を感じだした。
戯曲を書きはじめてやつと二三年、小説といふものはたゞの一度も書いたことのない私に、いきなり新聞の連載小説を書けといふ注文なので、私は面喰つた。
第一次「劇作」同人として田口君に最初会つたのは随分以前のことであつたが、「翁家」とか「京都三条通り」とかいふ作品について私は直接君になんにも言つたことはないと思ふ。
演劇は、それ自身、多少の煽動的要素をもつてをり、この煽動性によつて、最も民衆に受け容れられるのであるが、また一方、劇的美の厳密な批判からは、所謂「煽動性」なるものを重要な要素と見なすことはできないのである。
私が雑誌を出すといふ話をすると、友人のあるものは、「そんな必要があるか」と問ひ返す。
映画脚本は純粋に文学の一様式たり得るかどうか。
私はこゝでこの作品の解説をするつもりはない。
翻訳といふ仕事は、いろいろ理窟のつけ方もあるだらうが、大体に於て、翻訳者自身のためにする仕事なのである。
私は、嘗て雑誌に発表した作品を、更に単行本に纏める場合、大概、一度は躊躇するのである。
この時局下に於る文化運動の意義は、それが運動として国民的性格をもつ以上、飽くまでも物質、精神両方面に亘る「生活力の強化」を直接目指すにあると思ふ。
最近二ヶ月ぶりで東京へ出た。
誇大妄想狂幕末の志士は佳し。
ずいぶん旧いことだが、「劇作」が創刊される頃はたしかに新劇の世界に一つの機運がもり上つてゐた。
彼は彼女を愛してゐるやうに見えた。
――僕はあなた見たいな女が好きですよ。
風俗といふ言葉をごく広い意味にとつて、私はこの書物に「現代風俗」といふ題をつけた。
事変が起ると同時に、各婦人団体の活躍が急にめざましくなり、何々婦人会の襷をかけた婦人達が、出征兵士の送迎に慰問に飛び歩いてゐるのは、一応婦人の国家的自覚のあらはれとして結構なことゝいはねばならないが、果して婦人のなすべきことはこれに尽きてゐるだらうか。
どんな着物を着たいなどゝ思つたことは勿論ないが、こんなものを何時まで着てゐるのかなあと思つたことは度々ある。
現代日本の文化は、いろいろの部門に於て、もつと厳密な批判が加へられなければならぬと思ふが、私は、社会的に観て、最も時代の空気を反映すると考へられる演劇の立場から、この現状の憂ふべき傾向を指摘してみようと思ふ。
文学といふものを専門的なものと考へる理由は十分にあるが、また、これを専門的なものではないと考へる一面がある筈である。
文学といふものを専門的なものと考へる理由は十分にあるが、また、これを専門的なものではないと考へる一面がある筈である。
国民は当面の事態をもはやはつきり知つてゐる。
私が詩歌の朗読について考へはじめたのは、ずゐぶん久しい前からである。
森本薫君の作品を読むと非常に新しい美しさを感じるけれども、さてその森本君のほんたうの新しさといふものは何であるかよくわからないといふ批評があります。
内科の医者である私の友人Aは先日面白い話をきかせてくれた。
わが国に於ける新劇不振の原因が、俳優に未だその人を得ない所にあるといふ私の意見は、たまたま劇壇一部の批難を生んだやうであるが、これはたしかに、解釈の仕方によつては、不都合な言辞として受け取られるであらう。
拝復別に新しい意見でもありませんが、小生の持論を要約します。
一体、芝居の話といふものは、その芝居を観た同志でなければ、したつてつまらないと思ふのですが。
誰かの小説にあつたやうに思ふが、ある画家がこれも画家である友人の才能をねたみ、その作品が後世に伝へられることを妨げるため、その友人の作品を全部価格に頓着なく買収して、悉くこれを破棄するといつた話――私は、この話が如何にも作り事らしいのでこれをそのまゝ実際問題の例にはしたくないのだが、それと似た話で――ある女優が若い画家に自分の肖像をかいてもらつたが、どうも気に入らない。
かういふ問題はどういふ範囲の人々に興味があるかわからぬが、本誌「トツプ」の読者は、映画の専門家でないにしても、相当高級映画フアンであらうと思ふし、さうなら、日本映画の優秀作が、西洋の普通の水準にまで達してゐないことを万々気付いてをられる筈であるから僕と一緒にひとつこの問題を考へていただきたい。
去年の一月、久しぶりで文学座の公演をみていろいろ感慨にふけつた。
×新時代の演劇熱が、いよいよ通過すべき処を通過しつゝあるやうである。
「文芸」所載の貴作『断層』について、「テアトロ」から何か感想を書けといふ註文ですが、僕はあれを草稿の時分に読んで聞かせていただいたきり、まだ活字になつたのを拝見してゐませんから、その後手をお入れになつた部分について――つまりその部分を含めて、全体の意見を述べることはできません。
新劇に「型」などといふものがある筈はないのだが、事実、今日のあらゆる新劇団――素人の試演と称するものをも含めて――は、もう既に、一つの共通な「癖」をもつてゐる。
私は方言の専門的研究家ではないが、人一倍その魅力に惹きつけられる。
去年の秋からどうもからだの調子がわるく、新聞の仕事があつたので、用心して入院したり転地したりした。
文芸家協会の主唱にかゝる文芸銃後運動はその第一着手として、去る五月七日より十三日まで、東海道近畿の大都市八ヶ所において講演会を催し、引続き毎月これを全国各地方に及ぼす計画である。
ジョルジュ・ド・ポルト・リシュは千八百四十九年に生れたのだから、今年七十八歳である。
「博物誌」といふ題は“Histoires Naturelles”の訳であるが、これはもうこれで世間に通つた訳語だと思ふから、そのまま使ふことにした。
私は平生毛筆を使はない。
マークのついた作品は著作権が存続しています。 詳細は 青空文庫公式サイトの取り扱い基準 をご確認のうえ、取り扱いの際は十分注意してください。