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岸田国士の全作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている岸田国士の全作品639篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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「文化」といふ言葉に、私は少し食傷しはじめた。
国民文芸会が昨年度の演劇賞金を土方与志君に贈つたことは正に当を得た措置である。
演劇は黄昏に、映画は未明にある、という意味で、この書の題はわが意を得ている。
畑中蓼坡君、遂に「黒幕万歳」を唱ふ。
文学座はいはゆる「新劇」に非る新しい劇の樹立を標榜して立つた。
人間が生涯のうちで少くとも一度か二度は精神の遊びを試むべき「趣味」の草原へこの作家ほど自然に人を導き入れる作家がほかにあらうか。
文学座はその傾向と能力との許す範囲において、この挙国的行事の一翼に加はることになつた。
女の間に「キミ」「ボク」といふ言葉が流行してゐる。
横光君は疑ひもなく天才的な作家である。
不平があるなら云へといふことだが、不平を不平の形にして表はすのは如何にも芸のない話だと思ふから、近頃愉快なことだけを挙げて置かう。
今日まで活字として発表した戯曲のうち、凡そ半数は大小の劇場で脚光を浴びた。
本年度の、すなはち、最初の「世界文学賞」を贈られるのが渡辺一夫氏の訳、ラブレエの「パンタグリュエル」(白水社刊行)ときまつた。
「棉花記」、「和紙」、「伝染病院」、「淡墨」、「道」の五篇のうちから、私は「和紙」を推すことにした。
僕は、此の一年間、色々な事情で、あまり芝居を観にも行かず、月々発表される脚本も割合に読んでゐないから、劇壇全般に亘る感想といふやうなものは勿論書けない。
Y子はK病院で扁桃腺の手術をすることになつた。
ふたゝび私のために開かれた演劇の門は、やはり私にとつてなつかしいふるさとである。
「隣の花」といふ標題は、あんまり説明的で、ことによると、内容は読まなくつてもわかるといふ人があるかも知れません。
従来の新聞小説を見ると、一定の型があると思ふ、この型は数々の経験者が、意識的に、或は無意識的に、創りあげた型である、この型の跡を踏むことは新聞小説を執筆する上で、読者受けもよし、新聞社の側にも満足のゆく型である、もしくはそれに近い。
現代の演劇が純粋に健全に伸び育つためには、まづ、文学芸術の広い領域とのもつと緊密な接触を計り、それぞれの分野の活溌な協力を求めることが必要があるといふ見地に立つて、われわれは、一応、近い周囲に呼びかけ、「雲の会」といふ団体を結成した。
ドストイエフスキイの小説は、人類の残した業績の最も偉大なものの一つであることは云ふまでもないが、この天才が露西亜に生れたといふことを、われわれは特に注意すべきであると思ふ。
阿部正雄君の戯曲『骨牌遊びドミノ』を紹介します。
芸能祭の為の臨時公演として、特に内村直也君の書卸ろした戯曲「歯車」を幹事会の指名によつて私が演出することになつたのだが、私は先づ、この戯曲の主題と形式について研究した。
日清日露両戦役をはさんで、軍人の家に生れ育つた私は、「大きくなつたら何になる」といふ問題を、至極簡単に考へてゐた。
月々僕のところへ来る演劇雑誌が十種あまりある。
私は不勉強で行動主義の何であるかといふことを今日まで余り注意しないでボンヤリしてゐた。
「我家の平和」は、フランスでも一度見たことがありますが、その印象は頗る薄いものでした。
築地小劇場の「夜の宿」を観て「これは佳い」と思つた、「本もの」だと思つた。
今度「劇作」といふ雑誌が創刊されるさうである。
ジロオドウウの戯曲は、その取材と云ひ、構想と云ひ、殊にその文体の一種独特な調子と云ひ、まさに現代フランス劇壇に齎らされた文字通りの新風である。
真船豊氏のラヂオ・ドラマ集を一読して感じたことは、いはゆる「ラヂオ・ドラマ」の形式としての目立つた新工夫がない代り、飽くまでも戯曲の定石を踏んで、しかもラヂオ的な効果をねらつた独得の計算が行はれてゐるといふことである。
劇壇をざつと見渡してみて、そこに若い時代の溌剌たる動きがちつとも見えないのは特に演劇といふものゝ性格によるのであらうか?さういふこともたしかにあると思ふが、しかし、それよりもなによりも、私は、最近の新劇がやゝ老成の態を擬して新風を阻む傾向が著るしいからだと思ふ。
ベルサイユの講和条約に、国境劃定委員会が出来て、その一分科である墺伊両国間の国境劃定に日本からも委員を出すことゝなつて服部兵次郎少将(当時中佐)が任命され、私は通訳として随行した。
十一月三十日の壁評論「新劇さびれ戯曲栄ゆ」を読んで、小生が徒らに空言を弄するやうに思はれては困るから、「世界的水準に迫るのも遠からぬ各戯曲が何故新劇を興隆させることができぬかその謎をハツキリ解け」といふ車引氏の注文にちよつと挨拶をしておく。
明石哲三君は鋭い感覚の画家であり、「生きもの」に興味をもつ自然科学者であり、しかも、最も人間の原始的なすがたを愛する詩人である。
私の手許に送られて来た作品は、いづれもなかなか佳いものであつた。
私たちが文学座をはじめてから、なるほどもう十五年たつわけであるが、それだけの成長をしたかどうか、このへんで厳しい自己批判を加えてもよさそうである。
わたくしが子供の頃から身につけた習慣といえば、一般日本人なみの習慣以外になにもこれといつて取り立てて言うほどのことはない。
素人演劇には良いものと悪いものとがある。
芝居のことについて、今、何も云ふ気にならぬ。
四月号の諸雑誌の戯曲を二十五篇読んでその印象を朝日に書いたが、その後寄贈された雑誌の中にも戯曲が一二篇づゝ載つてゐるので、これも読まなければわるいやうな気がする。
近頃一部の演劇評論家の間に、「進歩的演劇」といふ言葉が使はれてゐる。
エドモン・セエの「旧友」は、辰野隆氏によつて巧みな翻案が企てられ、私が予て主張する「西洋劇の消化」が、ここに、一個の前例なき舞台的見本を提供したことは、ひそかに快とするところだ。
舟橋聖一氏長篇小説「白い蛇、赤い蛇」は新聞の連載小説として書かれたものだが、なるほどこれなら、大概の読者を満足させることに成功したであらう。
野上彰君の「夢を喰ふ女」の戯曲としての新しさは、現代の生活風景の中から、家族としてもつとも崩壊しやすい条件を持つている人間群をとらえて、それを心理的、もしくは思想的角度からではなく、一種の感覚的角度で、それらの人物個々の生態を描いていることと、戯曲の定石としての構成を無視して、人物の絵模様のリズミカルな動きを、そのまま投げ出していることとの二つにあると思う。
僕のところの子供は、父親たる僕に話しかける時は、はじめから癇癪を起してゐる。
候補作品として私の手許に送り届けられた十篇のうち、特に一篇だけ傑出したといふものはなかつた。
商業劇場の口吻を真似て、所謂新劇団体が、なにかと云ふと脚本難を訴へてゐる。
仮面座創設について、同座創立同人諸君がわれわれに提示された宣言の内容は、可なり注目に値すべきものである。
幹事の一人として一言します。
小山君の戯曲家としての成長は、その階梯が極めて劃然とし、『翻るリボン』から、『十二月』、それからこの『瀬戸内海の子供ら』に至る最近の三作を通じて、見事な飛躍をなし、遂に、同君の今日の境地に於て、恐らく完璧ともいふべき表現に到達し得たといふことは、芸術修業の道にあるものが、等しく羨望に堪へぬところである。
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