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児童書版

北大路魯山人の全作品(2ページ目)

青空文庫で公開されている北大路魯山人の全作品176篇を、おすすめ人気順で表示しています。

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このごろ、酒に適する、また、美食家の気に入る美味いものの第一品はくちこの生であろう。
美味い不味いは栄養価を立証する。
さけとますとは、素人目には一見似たものではあるが、味から言えば、さけよりますの方がはるかに優る。
関西では「昆布とろの椀」で通ずるようになっているので、ここではそうしておこう。
茶碗蒸しのことは、みなさんよくご存じのことでしょう。
ふぐの美味さというものは実に断然たるものだ――と、私はいい切る。
料理と食器の話などいう、こんな平凡な事柄は、今さら私がおしゃべりしませんでも、みなさんは毎日のことでありますから、疾うにこれに関心をお持ちになり、研究もお出来になっておりますことと思いますが、この平凡事も、興味を持って向かってみますと、際限なく面白いものでありまして、私どもは毎日のようにこれを楽しみ、これをよろこびまして、時には踊り上らんばかりに、食事を摂ることも珍しいことではないのです。
元来、美味な料理ができないという理由は、料理する人が鋭敏な味覚の舌をもたないことと、今一つは風情というものの力が、どんなにうまく料理を工夫させるかを知らないからに基因する。
昆布とろというのは、昆布とかつおぶしの煮だしだけでつくるとろろ汁である。
ふしぎなような話であるが、最高の美食はまったく味が分らぬ。
魚類の肝にはなかなか美味いのがある。
このごろ田の中で、からからからからと歯切れよく鳴く声が、ときに盛んに、ときに烈しく聞える。
五月の大事変(注・昭和七年五月十五日、陸海軍将校ら首相官邸などを襲撃、犬養首相を射殺した、世に言う五・一五事件)直後、緊張しきっている帝都へ、興津の坐漁荘を出て乗り込まれた西園寺公の駿河台における警戒裡の日常嗜好の一端が、去る五月二十八日の「東京朝日新聞」紙上に、如上のような三段抜きの見出しの下に、「園公滞京中、駿河台付近の人々の不思議がったのは、園公邸から時折田舎めいた煙の立ち上る事で、これは老公が松薪でたいた飯でなければ口にせぬからで、また魚屋などへの注文もたひの目玉だけとか...
京都のごりは加茂川に多くいたが、今はよほど上流にさかのぼらないといないようである。
筍(たけのこ)の缶詰ものは、一流日本料理の料理になる資格はないが、二流以下の料理用としては、年中、日本料理にも中国料理にも重宝されているくらいだから、美食原品として一等席へ坐してもよいものであろう。
えびのぜいたくな茶漬けを紹介しよう。
四月上旬(注・昭和二十九年)には日本を発って、アメリカからヨーロッパを回ってくる予定で、いま準備中である。
ある晴れた日の午後であった。
これは美食倶楽部時代の創案になるもので、今では茶寮料理の名物の一つに数えられている。
古唐津というものの良さは、日本陶器として古瀬戸、古備前、古萩、古伊賀、古信楽等の類品と共にいずれを姉とし、いずれを妹とすべくもないまでに、著しく他に優れた良さと日本趣味に富む野趣を存する。
小堀遠州といえば、先ず第一に京都の桂離宮を思い出す人も多いことであろう。
南浦紹明(大応国師)は、宋の虚堂の法嗣で大燈国師のお師匠さん、建長寺の蘭渓道隆の門に参じたことがあり、宋から帰って後に筑前の崇福寺におること三十年、関西を風靡した。
この刺激食品は香味と辛味がすばらしい特色を持っているところから、成年以上の大人になると、たいがいはこれを好み、日常食膳に喜ばれていることはご承知の通りだ。
陶器は絵の描かれたものが大部分である。
世間、書を説く者は多いが、それは必ず技巧的にのみ観察したものであり、かつ、外見にのみ凝視することに殆ど決定的に偏している。
河井寛次郎氏の製陶もとうとう世の末になってしまった。
古美術界では、とかく掘出しが流行する。
瀬戸黒だね、俺が茶碗を作るとしたら。
美術面に於て、現存者から師を仰ぐことはなかなかむつかしい。
これは旨い字か、拙い字か、おとなか、子どもか、手の字か、心の字か、はた人格の賜物か、それとも、学者の書か、高僧の筆か、あるいは書家の字か……。
私が鎌倉の山崎に窯を築き、製陶の事に懸命に係り出してからといふものは、勢の赴くところとでも云はうか、参考品としての古陶磁の蒐集が余儀なく一箇の大事になつた。
簡単に言って、料理とは単に舌先だけで味わうものではなく、また弄ぶものでもない。
あゆの小さなものは、どうかするとうまくないというひともあるが、わたしは一概にそうは思わない。
今春、思いがけない大雪が降って、都下全体交通ストップ、自動車などは一夜に皆エンコして一歩も前進できない因果な時、拙作陶の展示会を催すことになった。
私たちが料理をとやかく言ったり、美味い不味いを口にしますと、ぜいたくを言っているように聞えて困るのですが、私が言うのはそうじゃないのです。
古来貴重視せらるる陶磁器は東洋に於て特に発達を遂げ西邦に及ぼす所ありたるは言ふまでも無い。
陶器だけで美はわからぬ。
毎年のことながら、春から夏、秋と昔からいう年魚の季節となる。
さばずしはなんと言っても古来京都が本場である。
春屋は大徳寺の名僧で、慶長十六年示寂している。
東京で西京漬けと呼んでいるのは、京都産の白味噌に魚類を漬け込んだものを言う。
ぜいたくにと、ひと口に言っても、上には上、下には下の段々がある。
料理屋の料理にせよ、あるいは家庭の料理にせよ、それがうまくできるもできないも、要するに料理をする人の舌次第なのである。
中国料理の食器を使っている日本料理日本料理に使っている上手物の陶器の食器は、多く中国で出来たものである。
書相は、よくその人の価値を表現する。
じゅんさいというものは、古池に生ずる一種の藻草の新芽である。
この名前は、昭和十年ごろ、私が勝手につけたもので、てんぷらのようであって、てんぷらとも違うものだ。
日本料理の革新を叫んで星岡を始めたころ、私が板場へ降りて仕事をしだすと、料理材料のゴミが三分の一しか出ないと、ある料理人から言われた。
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